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2014年7月11日 17:20  司馬遼太郎『跳ぶが如く』
7巻・8巻一気読み終了。あと9・10の二巻。 田原坂から城山への道が残る。

シモタ

薩人で終始官界にあって栄達した西郷の旧友吉井友実は、「西南ノ変の火付け役は海老原穆(ぼく)の評論新聞である」といっているが、評論新聞は、川路が警察官を帰郷させようと思い立った早々の段階において嗅ぎつけ、それを暗殺者と見、鹿児島旧城下の有力者へ報じている。
九年十一月中、流言あり。政府密に刺客を鹿児島に遣はし、西郷大将を暗殺せんとすと。...

草牟田にも陸軍火薬庫(火薬局)がある。ときに、政府による討薩や西郷を暗殺するという噂の充満しているおりでもある。
「政府がすでにその気であれば、すべからく機先を制し、これをわが手にオサムべきではないか」
ということになり、深夜十二時を期し、二十余人が参加し、火薬庫を襲い、番人を縛り上げ、小銃弾六万発をうばった。ただし、私学校幹部の知るところではない。

反するも誅せらる。反せざるも誅せらる。如かず、大挙して先発せんと。という文章は、のち、太政官側の柳原前光が鹿児島に入って事情を調べたあと、岩倉具視に書き送った書簡(明治十
年三月十八日付)のなかのものである。この書簡は西郷の決起事情を書いたもので、簡略ながら当を得ている。この場合の心事と決断についても、適用しうるであろう。篠原は桐野の決断に賛成し、一同もそれに従った。桐野は、辺見十郎太と成尾常経をかえりみて、
「すぐ巨大目(うどめ)(西郷さァに)」
と、命じた。

「シモタ!」
西郷は、最初、そうつぶやいたらしい。漢語でいえば「万事休ス」とか「ワガ事畢(おは)ル」とか「大事去ル」といったことばになるであろう。

西郷の衝撃は、その胸中の思惑も構想も、この状況の発生ではじけ飛んだということであろう。かれは私学校という士族団をロシアの南下に備えるために使おうとしていた。そういう大状況がいつかは到来すると思い、それまで薩摩の士気を保存しようとしていたが、かれの生徒たちは目前の太政官の挑発にやすやすと乗り、一揆化した。

西郷が、私学校の幹部たちに自分の決意を告げたことばというのは、
「そいじゃ。俺(おい)の体を上げまっしょう」ということだったという。

西郷、云く。大将の任たるや、全国の兵を率ゆるも、天皇陛下の特許にして、即ち大将の権内なり。時機次第、鎮台兵も引率すべし。
西郷は、辞職こそしたが、政府がなお俸給を送りつづけているため、陸軍大将であることにかわりがない。大将というのは、陸海軍創設早々のこの時代、西郷一人しかいなかった。海軍は中将どまりであった。

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