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2014年7月17日 15:18  東アジアの動乱と倭国
『東アジアの動乱と倭国』
戦争の日本史1 
森公章・著
吉川弘文館

外交・戦争と内政...
外交は「平時の戦争」と言われる。武力を行使する戦争を回避するために、常日頃から周囲の国々との関係において優位を勝ち取るという意味で「戦争」と表現されるのだろう。古代日本も例外ではない。現代社会ほどに緊密で日常的なものではないとしても、外交は国際社会の維持を目的としたやはり重要な課題であった。また近代的な概念としての国境が不明で、国家の枠組みや地域の勢力分布が流動的な段階にあったことを考慮すると、その枠組みを決定・維持する手段として外交も肝要であった。
 それでも不幸にして戦争が起きた場合には、できるだけ速やかに戦争を勝利に終わらせなければならない。戦略・戦術を駆使して勝利を導くのが理想だが、それはなかなか実現困難で、実際には戦争を有利な形で終結させるために、また外交が必要とされるのである。したがって外交と戦争は同一事象の両面であるともいうとができ、四〜七世紀の東アジアの動乱と倭国の処世を考究する際にも、戦争の状況だけでなく、国際情勢の推移と倭国の外交方策のあり方に目配りしなければならない。
 また外交方針の決定や戦争に突き進む背景には、当然それぞれの段階で各国が抱えている課題であるわけで、そうした国内事情にも着目する必要がある。古代日本の場合、中国王朝、朝鮮諸国との通交、先進文物の移入がどのような形で古代国家の体制整備を推進していくのか、またその結果としていかなる課題が生じたのか、倭国の内政面の解明にもつ努めたいと思う。

四〜七世紀の東アジアの動乱と倭国の外交・軍事、そして内政の展開
1 百済の対高句麗戦争と倭国……四〜五世紀を対象とし、高句麗の南下とそれに対抗する百済・新羅という構図の下に、倭国が百済に引き込まれる形で半島情勢に関与していく過程を描く。

2 加耶諸国をめぐる紛争……六世紀、高句麗の南下という従前からの課題に加えて、半島南部では百済と新羅が加耶諸国の併合をめぐって争う様子や百済支持の基調の下に倭国が加耶諸国をめぐるめぐる紛争にいかに介入していくかを整理する。

3 白村江への道程……七世紀、隋・唐の介入を含む半島情勢に関与し、白村江の敗戦に到る倭国の方向性などを検討する。

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