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シンポジウム・『トンボ塾』案内

トンボ塾番外編
『房総半島の「壬申の乱」伝説を訪ねる』

日時:2009年4月9日(木) 13:30〜15:30 (開場13:00)
会場:渋谷区勤労福祉会館(渋谷区神南1-19-8/パルコ前)
講師:山口博先生(聖徳大学教授)
定員:60名
資料代:各回ごと1500円(『房総壬申の乱伝説地と忌部氏渡来地を行く』参加者:無料)

 壬申の乱に敗れた大友皇子は、偽の首を検分させ、自分は蘇我赤兄・蘇我大飯などと共に、琵琶湖畔の別所より船に乗り、瀬田川を下って難波へ出ました。難波から尾張国矢作−伊豆国下田−相模と海路を辿って東に進み、最後に上総国の着浜ツバマ(千葉県富津市津浜)に辿り着きました。上陸した皇子は小櫃川を遡上し、天武二年四月に田原の里(同県君津市俵田)に館を築城し、これを小川宮と称しました。その後、大友皇子の所在を知った天武天皇は二万からなる追っ手を派遣し、大友皇子も手勢三千を率いてこれを迎撃しましたが敗れ、田原付近の地蔵堂で自決しました。大友皇子の遺骸は、小櫃に納められ、城山(同所に鎮座する白山神社の裏手の小山)に葬られました。
 大友の妃十市皇女との間には葛野王が生まれている。大友の子としては他に与多王と壱志姫王がいたと伝えられるが、このうち壱志姫王については、『本朝皇胤紹運録』に「従四下。母大織冠女、耳面刀自」と記録されている。『懐風藻』大友伝は鎌足の娘との結婚を伝えている。この鎌足娘耳面刀自と従者を祀った十二柱神社、彼の正妃である十市皇女を祀った筒森神社があります。十市皇女は難産のため亡くなったとされています。・・・・・・・・。


お申し込み方法

※無事終了いたしました。多数の方のご参加誠にありがとうございました。