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シンポジウム・『トンボ塾』案内

9月/特別企画・講演&対談シリーズNo8
「古墳時代から飛鳥時代へ
−東国と畿内の終末期古墳を考える−」

講師:右島和夫先生(専修大学、群馬大学講師、群馬県文化財保護審議会委員)
講師:千賀久先生(葛城市歴史博物館館長)
日時:2015年10月4日(日) 13:30〜16:50 (開場13:10)
会場:豊島区立生活産業プラザ・大会議室(豊島区東池袋1-18-1)
交通:JR、東京メトロ(丸の内線、有楽町線、副都心線各線)池袋東口下車徒歩7分
地図:こちらの地図を参照ください
講演:
右島和夫先生「東国における前方後円墳の終焉と終末期古墳」 13:30〜14:30
総社古墳群・宝塔山古墳
総社古墳群・宝塔山古墳
 古墳時代後期後半に当たる6世紀後半の時期、東国(主として関東地方)は、最も活発に造墓活動が進められた。前方後円墳の突出した築造数、豪華で豊富な副葬品、異常とも言える盛んな埴輪樹立がこのことをよく物語る。そこには、ヤマト王権との特別な関係を見ていく必要がある。前方後円墳消滅後の7世紀になっても巨大方墳・円墳の成立や、上円下方墳、八角形墳の築造に見られるように、他地域と異なる造墓の動向は継続する。律令国家体  制に集約されていく、中央集権的支配体制の成立過程に於いて、東国がどのような歩みをたどったのかをみていきたい。
千賀久先生「畿内における前方後円墳の停止とその後−大和と河内の大王墓・豪族墓」 14:40〜15:40
橿原市植山古墳
整備工事中の橿原市植山古墳
左奥に五条野丸山古墳の後円部が見える
 6世紀後半以降、大和に集中する大王墓は、前方後円墳から大型方墳、八角墳へと変化します。前方後円墳の停止と大型方墳の採用は推古朝の政策、そして八角墳の採用は皇極朝の政策とみられます。前者は蘇我氏との協同政策と考えられるため、方墳と円墳の違いは蘇我氏との距離の違いで説明できそうです。そして後者では、蘇我氏から距離をおき王権を中心とする政治体制をめざした、舒明・皇極朝の政治的意図が読み取れます。ところが、摂津や河内では、大和と同様な変遷がたどれる地域はほとんどみられません。今回はそのような状況を整理し、東国の様相と比較検討する機会になればと思います。
対談:
右島和夫先生・千賀久先生「東国と畿内の終末期古墳を考える」 15:50〜16:50
資料代:1800円(事前払い) 当日払い(2000円ただし事前予約要)

※ 詳細、近日発します。


右島和夫先生の横顔

 1948年群馬県生まれ、関西大学大学院文学研究科修士課程修了。1977年、群馬県教育委員会文化財保護課。主として埋蔵文化財調査に従事。群馬県立歴史博物館学芸課長、群馬県埋蔵文化財学芸課長、群馬県埋蔵文化財調査事業団調査研究部長、群馬県教育委員会文化財主監等を経て、現在、専修大学、群馬大学・高崎経済大学・前橋国際大学講師、群馬県文化財保護審議会委員。群馬県埋蔵文化財調査事業団理事。

主要著書

 『東国古墳時代の研究』(学生社)、『古墳構築の復元的研究』(共著、雄山閣)、『季刊考古学別冊 古墳時代毛野の実像』(編著、雄山閣)、『列島の考古学 古墳時代』(共著、河出書房新社)など。他論文多数。


千賀久先生の横顔

 1950年、大阪府生まれ。同志社大学文学部文化学科卒業。1974年、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に就職し、2011年同博物館定年退職。現在、葛城市歴史博物館館長。

主要著書

 『日本の古代遺跡5 奈良中部』(共著・保育社)、『はにわの動物園』(保育社)、『考古資料大観7 鉄・金銅製品』(共編著、小学館)、『ヤマトの王墓 桜井茶臼山古墳・メスリ山古墳』(新泉社シリーズ「遺跡を学ぶ」049)、主な論文に「日本出土の初期馬具の系譜1・2」『橿原考古学研究所論集9・12』「日本出土の「新羅系」馬装具の系譜」『東アジアと日本の考古学3』(同成社)がある。


お申し込み方法

※無事終了いたしました。多数の方のご参加誠にありがとうございました。