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旅行案内

東潮先生同行解説
『渤海史跡の旅』

 渤海国は、698年、今日の中国吉林省敦化地方を中心に興り、その領域は中国東北地方から、その領域は中国東北地方から朝鮮半島北部およびロシア沿海地方にまで広がった。その国家体制は唐の律令制度などを取り入れて、9世紀には唐から「海東の盛国」と称えられるほどに発展した。わが国との交流は渤海の使節派遣が35回(研究者によっては33回とする)におよび、一方日本からは15回(研究者によっては13回)にわたって使節が派遣されて友好関係が結ばれた。渤海の領域には五京と十五府六十二州があり、今回の旅では王都であった上京龍泉府(じょうけいりゅうせんふ)、中京顕徳府(ちゅうけいけんとくふ)、東京龍原府(とうけいりゅうげんふ)の故地をめぐり、その栄華の跡を偲びます。

期間:2012年5月8日(火)〜5月14日(月)=7日間
同行解説:東 潮 先生(徳島大学教授)
旅行代金:羽田発着:243,000円、関空発着:213,000円(2名1室)
一人部屋追加料金: 31,000円
食事:朝6回、昼5回、夕6回付
添乗員:成田空港より『トンボの眼』編集室・佐々木が同行します。

募集チラシをこちらよりダウンロードしてご覧頂けます。

>>『渤海史跡の旅』チラシ(PDFファイル、拡大してご覧ください)

旅程

■ 1日目
羽田空港(10:30)→国内線→(11:45)関西空港(14:20)→中国南方航空CZ632→(17:50)ハルピン空港=ハルピン市内
(ハルピン泊)
■ 2日目
ハルピン=金(1115年〜1234年)の王都・上京会寧府/阿城(金上京歴史博物館)=牡丹江(牡丹江博物館)=牡丹江
(牡丹江泊)
■ 3日目
牡丹江=渤海(698年〜926年)の都・上京龍泉府/寧安市渤海鎮(上京龍泉府博物館、興隆寺・渤海時代の石灯籠、渤海王墓・三霊屯墓、渤海時代の上京古橋跡・七孔橋、渤海時代の交通路駅家・江東二十四石)=敦化市
(敦化泊)
■ 4日目
敦化=豆満江流域(魏志東沃沮伝の地域)の沃沮遺跡・窟隆山遺跡= 遼水鎮(渤海・東京龍原府・八連城、渤海・遼金代の城・斐優城)=板石郷太陽村(石頭河子古城東京龍原府からクラスキノ城(ロシア)への「日本道」 沿いの城跡・石頭河子古城、清時代の中ロ国境遺跡・龍虎石刻)=中ロ、中朝の交易都市として発展した琿春
(琿春泊)
■ 5日目
琿春=和龍市(渤海中京顕徳府・西古城跡)=敦化市(龍頭山渤海墓群、(792年渤海第三代王 大欽茂の四女の墓・貞孝公主墓)
(敦化泊)
■ 6日目
敦化市(渤海初期の都城跡・敖東城、六頂山渤海墓群、777年渤海第三代王 大欽茂の次女の墓・貞恵公主墓)=夫餘・高句麗・渤海の山城・城山子山城=長春市
(長春泊)
■ 7日目
長春=長春空港(08:10)→中国南方航空CZ637→(13:30)関西空港(17:50)→国内線→(19:00)羽田空港・解散。

事前説明会

旅行事前説明会(参加費無料・事前予約制)は日時決定次第発表します。


東 潮 先生の横顔

 1946年、大阪府生まれ。九州大学 大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学。奈良県立橿原考古学研究所を経て徳島島大学教授。専攻、考古学。

主要著書

 韓国の古代遺跡〈1〉新羅篇(慶州(東潮/田中俊明・中央公論新社1988))、韓国の古代遺跡(2)百済・伽耶篇(東潮/田中俊明・中央公論新社・1989)、巨大古墳と伽耶文化―空白の四・五世紀(共著・角川選書 1992)高句麗の歴史と遺跡(東潮/田中俊明・中央公論新社1995)、高句麗考古学研究(吉川弘文館1997)、伽耶はなぜほろんだか―日本古代国家形成史(共著・大和書房1998)、古代東アジアの鉄と倭(渓水社1999)、川と人間―吉野川流域史(渓水社2003)、倭と加耶の国際環境(吉川弘文館2006)、北東アジアの歴史と文化(共著・北海道大学出版会2011)、墳時代の考古学(共著・学生社)など多数。


資料請求・お申し込み

上記の海外旅行は『トンボの眼編集室』が企画し、(株)道祖神(観光庁登録旅行業第757号東京都港区芝5-13-18 MTCビル 9F)が旅行企画・実施する募集企画型旅行です。

お問合せ、資料請求、お申込みは旅行取り扱い会社Jトラベルセンターまで。

株式会社Jトラベルセンター
〒105-0013 東京都港区浜松町1-7-3 第一ビル3階
TEL:03-6402-7585 FAX:03-6402-7583
担当:宮地・水沢

※資料請求受付は終了いたしました。



旅のコラム 1

 渤海国は、698年から926年まで、吉林省から朝鮮半島の北部にかけて存続し、唐の人々に「海東の盛国」と言わしめる程の大国だった。だが、この国の記録はほとんど消滅してしまい、中国側の『旧唐書』、『新唐書』、日本の『続日本紀』などに断片的な記事があるだけで、不明なことが多い。しかし、1990年代以降、環日本海地域において考古学をはじめとした「東北アジア」研究の地道な努力が続けられており、その姿が序々に解明されてきている。


旅のコラム 2

 668年に高句麗を滅ぼした唐は宝蔵王や貴族らを長安に護送し、残りは営州(熱河省朝陽)に移して高句麗復興の動きを封じ込めようとした。ところが営州に移送されていた高句麗王族の流れをくむ大祚栄が696年、契丹族の李尽忠の反乱をきっかけに立ち上がり、高句麗遺民を引き連れて東牟山麓(吉林省敦化)で辰国を建てる。後を継いだ大武芸が領土を広げ基礎を固め、第三代大欽茂の762年に唐皇帝から「渤海国王」の称号を授けられた。


旅のコラム 3

 渤海には唐の三省に倣った三省があり、地方制度には高句麗の五部を受け継ぐ五京と十五府六十二州があった。五京は上京龍泉(じょうけいりゅうせん)府(ふ)、中京(ちゅうけい)顕(けん)徳府(とくふ)、東京(とうけい)龍原府(りゅうげんふ)、西京鴨緑府、南京南海府であって、上京と中京、東京が都として利用された。大欽茂がいつ敦化から中京に移ったかは定かでないが、第三代大欽茂が中京から上京へ遷都し、晩年に東京へ移っている。上京が再び都となるのは第五代王・成王の時794年で、その後渤海が遼の太祖・耶律阿保機によって滅亡する926年まで都として栄える。

旅のコラム『渤海史跡の旅』


旅のコラム 4

 上京から内陸部の中京をへて鴨緑江ほとりの西京を結ぶル−トは唐との交通のための「朝貢道」で、上京から日本海に望む東京を結ぶル−トは日本との交通のための「日本道」、さらに東京から南京に降るル−トは敵対していた新羅国境にいたる「新羅道」であり、これらのル−トはそれぞれに整備され管理されていた。南部の新羅に対して旧高句麗の故地を奪取するなど領土拡大をとげたが、緊張関係の高まりの打開を対日本外交に活路をみいだし、727年に日本へ使節を送った。その後、渤海の使節派遣は35回(研究者によっては33回とする)、一方日本からは15回(研究者によっては13回)にわたって使節が派遣され、両国の友好関係が続いた。