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旅行案内

2015年4月講演会会員旅行
継体天皇ゆかりの地をめぐる

期間:2015年4月7日(火)〜4月10日(木)=4日間
旅行代金:133,000円
(大津2名1室、芦原温泉〜4名相部屋、奈良2名1室)
一人部屋追加料金: 2000円(大津、奈良のみ)
食事:全食付
最少催行:8名
定員:15名
添乗員:『トンボの眼』佐々木が新大阪駅より同行しお世話いたします。
◆ 各地とも小型バス利用
◆ 締切:2015年3月6日(金) ※ただし満員になり次第締切ります。

旅程

■ 1日目
(12:00)JR新大阪駅集合(12:15)=継体天皇藍野稜=今城塚古墳=大津市内
(大津/ホテルチトラ大津・京都泊)
■ 2日目
大津市内=鴨稲荷山古墳・高島歴史民俗資料館=彦主人王御陵=丸岡町・高向神社(振媛高向宮伝承地)=三国町の古墳群=足羽山古墳・継体天皇稜=芦原温泉
(芦原温泉/美松泊)
■ 3日目
芦原温泉=弟国宮跡(長岡京市・乙訓寺)=牧野車塚古墳・樟葉宮跡(交野天神社・貴船神社)=同志社大学歴史資料館(筒城宮跡碑)=奈良市内
(奈良/ホテル馬酔木泊)
■ 4日目
奈良市内=磐余玉穂宮跡=桜井市埋蔵文化財センタ=手白香皇女墓・西殿塚古墳=近鉄橿原神宮駅=(15:30頃)新大阪駅・解散。

見どころ

継体天皇藍野稜

継体天皇は三島藍野陵(みしまのあいののみささぎ)に葬られた。宮内庁は同陵を大阪府茨木市太田三丁目の太田茶臼山古墳(前方後円墳・全長226m)に比定しているが、この古墳の築造時期は5世紀の中頃とみられ、6世紀前半の築造と考えられる高槻市郡家新町の今城塚古墳(前方後円墳・全長190m)を真の継体天皇陵とするのが定説になっている。宮内庁による治定の変更は行われていない。

三島藍野陵
三島藍野陵

今城塚古墳

2011年4月1日、高槻市教育委員会にて史跡公園として整備され、埴輪祭祀場等には、埴輪がレプリカにて復元された。隣接する今城塚古代歴史館では、日本最大級の家型埴輪等が復元展示されている。

いましろ大王の杜・古代歴史館
いましろ大王の杜・古代歴史館
いましろ大王の杜・埴輪祭祀
いましろ大王の杜・埴輪祭祀
今城塚
今城塚

鴨稲荷山古墳・高島歴史民俗資料館

湖西地方では平野部に立地する唯一の前方後円墳(古墳時代後期、全長約60m)。明治時代に、後円部から横穴式石室と家形石棺が掘り出された。石棺内から新羅王陵の出土品とよく似た金銅冠・沓・魚佩(ぎょはい)・金製耳飾・鏡・玉類・環頭大刀・鹿装大刀(ろくそうたち)・刀子・鉄斧など大陸との盛んな交流を思わせる豪華絢爛な副葬品が発見された。現在は、家形石棺のみ現地保存されている。

鴨稲荷山古墳 家形石棺
鴨稲荷山古墳 家形石棺
稲荷山古墳出土 金銅製冠
稲荷山古墳出土 金銅製冠

彦主人王御陵

鴨稲荷山古墳に近い田中大塚古墳 (5世紀後半の築造・円墳)は、被葬者が男大迹(おほど)王の父である彦主人(ひこうし)王に想定されている。周辺にある高塚4基と共に安曇陵墓参考地として宮内庁の所管になっている。

丸岡町・高向神社(振媛高向宮伝承地)

『日本書紀』は、男大迹王を応神天皇の五世の孫としている。父の彦主人王は、越前三国(福井県坂井郡丸岡町付近)の振媛(ふるひめ)を娶って三尾の別業(なりどころ)に住んだ。二人の間に男大迹王が生まれた。だが、王の幼年期に彦主人王が亡くなったため、振媛は高向(越前国坂井郡高向郷)に戻り、そこで親の面倒を見ながら男大迹王を養育したとされている。

振媛高向宮伝承地/高向神社
振媛高向宮伝承地/高向神社

足羽山古墳・継体天皇像

男大迹王は大規模な治水を行い九頭竜川・足羽川・日野川の三大河川を造ることで湿原の干拓に成功するとともに港を開き水運を発展させ稲作、養蚕、採石、製紙など様々な産業を発達させた。このような伝承から男大迹王は越前開闢の御祖神とされている。福井市街地の足羽山の山頂に建つ足羽神社は、越前に暮らしていた男大迹王が河内国樟葉で継体天皇として即位したとき、越前を守るため大宮地之霊(おおみやどころのみたま)を祀りこの地の守護神として建立された。またその事実を裏付けるかのように足羽山には多数の古墳が残されている。足羽神社の近くにある足羽山公園には継体天皇を模した巨大な石像が三国を見下ろすように建っている。

継体天皇像/足羽山公苑
継体天皇像/足羽山公苑

樟葉宮跡(交野天神社・貴船神社)

樟葉宮跡
樟葉宮跡

同志社大学歴史資料館(筒城宮跡碑)、弟国宮跡(長岡京市・乙訓寺)、磐余玉穂宮跡

手白香皇女墓・西殿塚古墳

継体天皇の皇后は雄略天皇の孫娘で、仁賢天皇の皇女であり、武烈天皇の妹(姉との説もある)の手白香皇女である。継体天皇は大和に入る以前に現地で複数の妃を持ち沢山の子もいたが、先代天皇の妹で正当な血筋を持つ直系の手白香皇女を皇后にする事により、武烈天皇系との融和を図るとともに、一種の入り婿という形で血統の正当性を誇示したと考えられている。継体天皇は他に沢山の子がいたにもかかわらず、嫡子は手白香皇女との間の皇子である天国排開広庭尊(欽明天皇)であった。ヤマト王権の傍系の血を、皇后の直系の血統により補強したと考えられている。かくして継体天皇と手白香皇女の皇子である欽明天皇の血筋が、長く現在まで続く事になる。
天理市南部に広がる大和古墳群の中でも最大の大きさであり、延喜式で山辺郡にあったとされる手白香皇女衾田陵の位置にあたるため、宮内庁により手白香皇女衾田陵に治定されている。しかし箸墓古墳と同様の吉備様式の特殊器台が後円部に並び、埴輪や墳丘の形態等からも箸墓古墳に続く時期の大王墓という見方がある。こうして築造時期は3世紀後半から4世紀初めごろと想定されている。これらの見方では築造時期が手白香皇女の生没年と合わない。その場合は、衾田陵は延喜式でいう山辺郡でも推定築造時期が6世紀と考えられている周辺唯一の古墳である西山塚古墳と考えられている。箸墓古墳に続く大王墓とみた場合、まずは箸墓古墳の被葬者を卑弥呼と考え、台与らその次世代の王を西殿塚古墳の被葬者と考える。。また崇神陵の陵守が衾田陵を合わせて守っていたという記録から、西殿塚古墳こそが崇神天皇陵であったという解釈もある。現在、宮内庁が管理しており立ち入りは禁じられている。

磐余玉穂宮跡の伝承がある丘
磐余玉穂宮跡の伝承がある丘
西大塚古墳
西大塚古墳

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上記の国内旅行は『トンボの眼編集室』が、『トンボの眼講演会会員』向けに企画および旅程を立案し、当編集室が指定する旅行会社に手配を依頼、旅行会社との間で受注型企画旅行契約を締結する受注型企画旅行です。取消料金等の旅行諸条件は、お知らせする手配依頼会社にお問い合わせください。

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