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旅行案内

T 今尾文昭先生同行解説旅行
『ヤマトタケル伝承地をめぐる』

『ヤマトタケルの墓は3つ、2つ、1つ?』
 魂は白鳥と化して、天に昇る。物語は終幕までロマンに溢れる。ヤマトタケルは人気がある。さて、その墓だが『日本書紀』では伊勢国の能褒野、倭の琴弾原、河内の旧市(ふるいち)の3ヶ所、『古事記』は能褒野、河内国の志幾(しき)の2ヶ所、『延喜式』は伊勢国能褒野墓の1ヶ所とある。これが伝承上の異説でないならば、何が考えられるか。伝承地に足を運び、考古学でその疑問に迫りたいと思います。

期間:2017年7月12日(水)〜7月13日(木)=2日間
同行解説:今尾文昭先生(関西大学非常勤講師)
旅行代金:45,500円(2名1室)
一人部屋追加料金: 2,500円
食事:全食事付(朝食1回・昼食2回・夕食1回)
最少催行:12名
定員:20名
添乗員:JR名古屋駅から同行いたします。
◆ 締め切り:6月7日(金)但し、定員になり次第締め切ります。
◆ 旅行主催/企画・実施:株式会社 国際交流サービス

旅程

■ 1日目
(10:00)JR名古屋集合=名古屋市(熱田神宮・断夫山古墳・白鳥古墳)=岐阜県揖斐郡(伊吹山山頂・昼食と眺望)=関が原=亀山(名越丁子塚古墳)=亀山
(ホテルルートイン第2亀山インター泊)
■ 2日目
亀山=御所市(掖上鑵子塚古墳・白鳥陵・室宮山古墳)=藤井寺市(昼食・津堂城山古墳・志貴県主神社)=羽曳野市(軽里大塚古墳)=17:00頃)JR京都駅前、解散。

旅の見どころ

熱田神社

式内社、尾張国三宮。神紋は「五七桐竹紋」。名古屋市南部の熱田台地の南端に鎮座する。古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していたが、周辺の干拓が進んだ現在はその面影は見られない。三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。神宮では北方約300メートルにある断夫山古墳を「陀武夫御墓」と称して日本武尊妃の宮簀媛(みやずひめ)の墓とし、現在も毎年5月8日に白鳥古墳と断夫山古墳とにおいて御陵墓祭を行なっている。

熱田神社

断夫山古墳

6世紀前半(古墳時代後期)の築造と推定される。美濃・尾張地方では最大規模で、現在の墳丘長は約150メートルを測り、当時としては全国でも屈指の規模の前方後円墳で、この地方に大きな勢力を持った尾張氏の首長墓に比定されている。かつては海岸線が熱田台地西側近くまで伸びており、古墳は伊勢湾を広く望んだ立地になる。

断夫山古墳

白鳥古墳

6世紀初頭に築造され前方後円墳。熱田神宮社伝では、日本武尊の陵としている。これは、能褒野に葬られてのち白鳥となった日本武尊が当地に降り立ったという伝承に基づく。

名越丁子塚古墳(能褒野墓)

伊勢北部地方では最大規模の古墳で、4世紀末(古墳時代前期)の築造と推定される。
三重県亀山市田村町にある古墳。形状は前方後円墳。能褒野古墳群を構成する古墳の1つ。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「能褒野墓として第12代景行天皇皇子の日本武尊の墓に治定されている。

名越丁子塚古墳

掖上鑵子塚古墳

墳丘長150mの前方後円墳。後円部は三段、前方部は二段に築造され、葺石や埴輪列も見られるが、過去の盗掘によって埋葬主体部については明らかでない。古墳の形状、出土遺物などから、室宮山古墳とほぼ同時代5世紀前半か、やや後の5世紀前半の築造が考えられている。両古墳から出土の形象埴輪に線刻された直弧文やその他の文様に共通性がみられ、ともに南大和を支配した族長の墓と考えることができる。

白鳥陵

日本書紀』巻第七によれば白鳥となって能褒野陵から出て、まず大和国琴弾原(奈良県御所市冨田)にとどまり、そこに「陵」を造ったところ、さらに白鳥となって河内国旧市邑にいきとどまったので、そこにも「陵」を造ったが、また白鳥となって天に上ったという。御陵の前で後ろを振り向くと、金剛山や葛城山がそびえ立っている。

白鳥陵

室宮山古墳

御所市中央部にある丘陵の先端部を切断して築造された巨大前方後円墳である。墳形・出土物などから5世紀初頭(古墳時代中期前葉)頃の築造と推定される。被葬者としては、記紀に伝わる葛城襲津彦に比定する説が有力視される。葛城地方では古墳時代前期に大型古墳はなく、中期に入り室宮山古墳が突如出現する様相を示す。室宮山古墳に次ぐ葛城地方の首長墓は掖上鑵子塚古墳と見られるが、その規模は室宮山古墳から大きく縮小する。なお、御所市域では室宮山古墳を契機とする遺跡として、5世紀中頃-後半に盛期を迎えた広域の集落遺構の南郷遺跡群や、5世紀末から営まれた巨勢山古墳群が知られる。

室宮山古墳

津堂城山古墳

古市古墳群を構成する古墳の1つで形状は前方後円墳。築造は4世紀後半とみられ、古市古墳群の中でも初期の古墳であり、誉田山古墳よりも先行する。明治初期の天皇陵の治定作業では陵墓とされなかったが、1912年に、神社に建立する石碑の材料とするため、後円部の墳丘から石板を発掘したことがきっかけで竪穴式石室と巨大な長持形石棺が発見され、鏡や鏃などの副葬品が多数出土した。そのため、後に実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「藤井寺陵墓参考地」(第19代允恭天皇)として陵墓参考地に治定されている。

津堂城山古墳

志貴県主神社

神武天皇の長子である神八井耳命を主祭神とし、伊勢大神(天照大神)・春日大神・住吉三柱神・神功皇后を配祀する。式内社、河内国総社。

軽里大塚古墳

古市古墳群を構成する古墳の1つで7番目の大きさである。形状は前方後円墳。朝顔形埴輪や家、蓋などの形象埴輪が出土した。これらの出土品や、前方部幅が後円部径に比べて約1.5倍もあるという墳形上の特徴から、古市古墳群では市ノ山古墳とほぼ同時期、5世紀後半の築造と推定されている。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「白鳥陵(しらとりのみささぎ)」として第12代景行天皇皇子の日本武尊の陵に治定されている。

軽里大塚古墳

『トンボの眼』関連講座

6月・今尾文昭先生特別講演会
「ヤマトタケル伝承と大和・河内−墓は3つ、2つ、1つ?−」

日時:2017年6月22日(木) 13:30〜15:30 (開場13:00)
会場:未定(都内区立施設利用予定 2〜3ケ月前に決定します)
講師:今尾文昭先生(関西大学非常勤講師)

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