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旅行案内

【国内旅行】T/オリジナル 赤塚次郎先生同行解説
ヤマトタケル伝承を求めて信濃坂(神坂峠)越え

期間:2017年10月17日(火)〜10月19日(木)=3日間
同行解説:赤塚次郎先生(特定非営利活動法人 古代邇波の里・文化遺産ネットワーク 理事長)
旅行代金:91,000円
一人部屋追加料金: 1,200円
食事:全食事付(朝2回、昼3回、夕2回)
最少催行:12名
定員:15名
添乗員:『トンボの眼』佐々木章が名古屋駅より同行します。
◆ 『トンボの眼』編集・作成の資料集を出発時、お渡しいたします。
◆ 少人数限定旅行 中型バス(24名乗り利用・1名1シート(2座席分)利用)
◆ 集合・解散: JR名古屋駅集合・解散
◆ ※列車手配は各自手配となります。秋季繁忙期のため催行決定後、出来るだけお早目に手配ください。
◆ 締切:9月8日(金) 但し、定員になり次第締め切ります。
◆ 企画:『トンボの眼』
◆ 旅行企画実施:株式会社TABi’Z(タビーズ観光庁長官登録旅行業1906号)

旅程

■ 1日目
(10:30)名古屋駅集合=小牧JC=中央自動車道=中津川IC-=中津川落合=神坂峠(神坂峠・神坂峠遺跡) =中津川IC=中央自動車道=恵那山トンネル=飯田IC=飯田市内(泊)
(飯田・ホテルニューシルク泊)
■ 2日目
飯田市内=飯田IC=園原IC=園原駅・・・ロープウェイ・・・ヘブンそのはら駅、富士見台高原からの眺望を楽しみます。・・・園原駅=阿智村(園原の里・神坂神社・東山道・園原ビジターセンターはゝき木館)=園原IC=中津川IC-=恵那峡
(恵那峡。恵那峡国際ホテル泊)
■ 3日目
恵那峡=旧中山道太井宿(自由散策)=富加町(富加町資料館・東海地域最古の前方後円墳と言われる夕田茶臼山古墳)=(16:00)名古屋駅

旅の見どころ

神坂峠と周辺図
神坂峠と周辺図
東山道 神坂峠
東山道 神坂峠
紅葉のロープウェー
紅葉のロープウェー
神坂神社
神坂神社
大井宿本陣跡
大井宿本陣跡
夕田茶臼山古墳
夕田茶臼山古墳

神坂峠(御坂峠)

 美濃国と信濃国の南部伊那谷との往来には、峠越えの道がいくつかあります。その中央アルプスの南に続く恵那山と富士見台の間の峠を越える道があり、この峠を『神坂峠』と呼ばれています。岐阜県中津川市と長野県下伊那郡阿智村の間にある標高1,569 mの峠です。
 この峠越えの道の歴史は古く、縄文時代から天竜川水系と木曽川水系を結ぶ道として存在し、古代においては日本の古代国家の中枢であった畿内の中央政権が地方を一元支配するために整備し、機能させた古代の官道「東山道」が通過する主要道路でした。峠を挟んで坂本駅と阿知駅が設置されていました『延喜式』によれば両駅間は約40キロで通常の2・.5倍の距離があり、通常10匹の駅馬が両駅にはそれぞれ30匹備えられていたといいます。しかも標高差1,000メートル以上、急峻な坂道、尾根歩き、沢越えのある山道に加えて夏場の雷雨、晩秋からの降雪など気象環境も厳しい難所でもありました。(『東山道の峠の祭祀 神坂峠遺跡』市澤英利・新泉社より)
 現在は峠を越えていく道はなく、中央自動車道が恵那山トンネルを抜けて両県を結んでいて、峠には岐阜県側から林道を小型バスで直接行けるのですが、阿智村側からは小型車またはロープウェイで中腹まで行きます。その先、峠まではハイカーの足で登り道を1時間ほどかかります。展望台からのアルプスの眺望や天竜川の流れを眺望するためです。この旅行では素晴らしい紅葉をお楽しみいただきます。

ヤマトタケルの再征伝承

 ヤマトタケルが峠越えの際に峠の荒ぶる神とやりとりしたという説話が『日本書紀』にみることができます(『古事記』では足柄峠のこととなっています)。
 「日本武尊は信濃に進まれた。この国は山高く谷は深い。青い嶽が幾重にも重なり、人は杖をついても登るのが厳しい。岩は険しく坂道は長く、高峯数千、馬は行き悩んで進まない。しかし日本武尊は霞を分け、霧を凌いで大山を渡り歩かれた。嶺に着かれて、空腹のため山中で食事をされた。山の神は皇子を苦しめようと、白い鹿になって皇子の前に立った。皇子は怪しんで一箇蛭で、白い鹿をはじかれた。それが眼に当たって鹿は死んだ。ところが皇子は急に道を失って、出るところが分からなくなった。そのとき白い犬がやってきて、皇子を導くようにした。そして、美濃に出ることができた。吉備武彦は越からやってきてお会いした。これより先、信濃坂を越える者は、神気を受けて病み臥す者が多かった。しかし白い鹿を殺されてからは、この山を越える者は、蛭を噛んで人や牛馬に塗ると神気にあたらなくなった。」(『日本書紀(上)』講談社学術文庫」

神坂峠遺跡

 大正10年に鳥居龍蔵氏が峠越えの踏査を試み、須恵器破片の散布を発見したのが最も古いものであるが、戦後の昭和26年には、大場磐雄博士が峠の頂上付近を発掘し、石製模造品・土師類・須恵器等の出土品を得ている。さらに昭和42年および43年には、阿智村によって調査が行われた。その結果、祭祀関係遺物は総数1,300点余に達し、また調査地区の中央西寄りの部分で、径約4メートル、高さ0.7メートルの積石塚の遺構が発見されている。

富士見台高原

 ロープウェイで紅葉を楽しみながら標高800mから1600mのヘブンそのはら展望所へ。そこは南アルプスの山並みと大自然、伊那谷が見下ろすことができる絶好のビューポイント・富士見台高原です。もとは山伏台と呼ばれ、明治時代より富士教信者が富士山参拝所をここに設けたことから「富士見台」の名が付きました。しかし、富士見台といっても富士山が見えるわけではなく、参拝者の願望からその名が付いたと言われます(富士山見たい→富士見たい→富士見台)。360°の大パノラマが広がる山頂からは、深田久弥「日本百名山」の二十三座が一望できます。

園原の里

 園原の里には「万葉集防人歌碑」、園原の里の来歴を万葉仮名で刻んだ「園原碑」など、12基の文学碑があります。

神坂神社

 住吉様が祀ってある境内にはヤマトタケルの腰掛け石なる石ものこされています。樹齢2千年以上ともいわれる杉や栃の巨木があります。

恵那峡

 水力発電には絶好の地形と豊富な水量に着目した大正時代の「電力王」・福沢桃介によって建設されたダムは湖は漫々と水を湛え、湖畔の四季とともに訪れる人の心を癒します。ダム湖右岸の「さざなみ公園」には園内を周遊する散策路があり、湖面を背景に桜、藤、ヤマツツジ、紅葉と四季折々の自然が楽しめます。

中山道大井宿

 「中山道六十九次」の江戸から数えて46番目の宿場町で、格調高い本陣正門や、格子戸のある庄屋宅、旧家や旅篭屋などが、今でも「美濃16宿中随一」ときこえた大井宿の繁栄ぶりを伝えています。

富加町郷土資料館

 今から約1300年前、大宝2年(702年)、『御野國半布里戸籍』が作られました。これは現存する日本最古の戸籍であり、全国的に見ても、奈良東大寺正倉院に残っている数少ない戸籍のうちの一つです。 54戸、1,119人もの人々の氏名・続柄・年齢などがほぼ完全な形で残っている物は他にありません。

夕田茶臼山古墳

 富加町では、現在51基(岐阜県遺跡地図より)の古墳が確認されており、主に町内の丘陵地に、前方後円墳・円墳・方墳・群集墳など、様々な古墳が点在しています。確認されている古墳の数で言えば、美濃地方でも有数の古墳密集地であるといえます。近年には平成21〜24年度に夕田茶臼山古墳の確認調査が実施され、岐阜県最古の前方後円墳であることが判明しました。岐阜県南部、富加町市街地から東方の丘陵突端部に築造された左右非対称な前方後円形です。


※資料請求受付は終了いたしました。