PAGETOP

世界遺産・遺跡案内

美しいグスク、でもきれいすぎ……?

中村俊介  朝日新聞記者

 このほど取材で沖縄へ行った。沖縄本島北部の今帰仁(なきじん)村で、今帰仁城に立ち寄った。ようやく、沖縄の世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のグスクすべてを訪れることができた。

 グスクとは12世紀以降、南西諸島で群雄割拠した有力者、按司たちが、それぞれ本拠地に築いた城だ。集落説や祭祀施設である御嶽を重視した説もあるけれど、やはり防御施設としての役割が大きかったのは間違いない。奄美から先島まで400を超え、巨大なものからちっぽけなものまで、大小様々、形態もいろいろ。このうち世界遺産に登録されているのは、今帰仁城のほか、首里城(那覇市)、座喜味城(読谷村)、勝連城(勝連町)、中城城(北中城村・中城村)の五つである。

 やや黒っぽくなっているものの、それでも琉球石灰岩で造られた石垣は美しい。最近は日本本土の中世城郭の影響も言われているが、グスクが沖縄独特の城郭に変わりはない。首里城などを除いて建物は残っていないが(首里城もまた復元だけれど)、それらの石垣が描く女性的で優美な曲線は、本土の実戦的で無骨な石垣とは、やはり一線を画する。

 さすがに軍事施設らしく、断崖絶壁など険しい要害が立地するが、それだけに城壁から見晴らす眺望はすばらしい。かつて訪れた中城城跡から眺めた海は、どこまでもエメラルドグリーンに澄み切っていて、真っ青な夏の空と入道雲との対比が、それは鮮やかだった。

 今帰仁城の石積みを眺めながら、その暗い歴史に思いをはせてみる。あちこちに林立した按司たちだが、やがて山北、中山、山南の有力勢力が鼎立する三山時代に突入。今帰仁城は山北勢力の居城だったが、やがて中山に滅ぼされる。優美な姿と裏腹に、ここではどんな悲劇が繰り広げられたのだろう。

 そんなグスクも、今では立派な観光地。なかでも世界遺産の五つは、沖縄観光の目玉である。さすがに国庫からお金が出ているから、整備も充実している。最終形態としての首里城は、二千円札にも守礼門が登場したほどの琉球王朝文化の顔だし、国営公園にもなっているから手厚い整備は当たり前だとしても、その他の4グスクも恩恵に預かっている。

 今帰仁城の城跡前にも立派な資料館やガイダンス施設、お土産店が並び、駐車場も完備。構造がすぐにわかるような模型もある。

 のんびり歩いてみよう。見事にそろえられた緑の芝生。一直線に整備された歩道。樹木には、ひとつひとつその草木の名前がわかるようになっている。いささか、やりすぎではないか、と思えるほどだ。

 だけど、その他大勢のグスクから見れば、世界遺産の五城は垂涎の的に違いない。訪れる人もいない、廃墟として埋もれてしまったグスクも少なくないはず。行き過ぎた整備だ、なんて言うとバチが当たる。地元にとっては大勢の観光客に来てもらわなくてはならないわけで、手を入れなければ、どうなるかわからない。

 グスクではないけれど、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一角を占める齋場御嶽では、2000年の世界遺産登録以来、観光客が8倍に跳ね上がった。参道の周りも、すっかり荒れてしまった。拝所の壺を持って行く不届き者さえいるらしい。聖なる場所としての雰囲気や景観の維持も大変だ。仕方がないので、昨年7月から200円の入場料が必要になった。世界遺産になったことが、よかったのか、悪かったのか。それはグスクにも当てはまることだ。表があれば裏がある。

 朝日新聞社のジェット機で、上空から沖縄を取材したことがある。沖縄本島に近づくにつれて、パイロットと米軍とのやりとりが頻繁になった。首里城を旋回する。「これがギリギリです」と操縦士。勝連城や座喜味城はもちろん、那覇市のまっただ中にある首里城さえ、米軍基地の厳しい航空規制がかかっていたのだ。こんなところでも、沖縄の現実をかいま見る。