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世界遺産・遺跡案内

ダルヴェルジン・テパ遺跡の発掘

川崎建三  創価大学シルクロード研究センター客員研究員

 ウズベキスタン南部の州都テルメズからスルハンダリア河に沿って100キロメートルほど北上したところにダルヴェルジン・テパ遺跡がある。この遺跡は紀元前3世紀から紀元8世紀まで存続した都城址であるが、クシャン朝時代(1〜3世紀)に最盛期を迎えたといわれる。

加藤九祚先生が建てられた調査隊の宿舎「ドーム・カトウ」

 ダルヴェルジン・テパでは、1960年代から考古学調査が行われていて、これまで都城郊外の第一寺院(DT-1)と都城内の第二寺院(DT25)の二つの仏教寺院址が発見されている。それぞれの寺院址から仏陀像、菩薩像、供養者像などの塑像が多数出土した。これらは中央アジアにおける仏教伝播の歴史を研究する上で、重要な資料とみなされている。

 1989年に創価大学教授だった加藤九祚先生(現名誉教授)が着手された日ウ共同調査は、2006〜2007年に小山満教授を団長とする調査隊に引継がれ、第二寺院址で発掘が行われた。昨年の調査では、発掘の前半に塑像を発見する幸運に恵まれた。それは、赤い三角帽子をかぶる若者の頭部像である。元々全身像であったが、胴部は壊れ、両足と頭部のみが残っていた。頭部は両掌に収まるほどの小さな像であるが、三角帽子をかぶり正面を見据えた顔は王族の威風を醸し出している。

ダルヴェルジン・テバ都城址の中央に位置する DT25(2007年9月撮影)

 第一寺院の礼拝室では、円錐形宝冠をかぶる王侯像が発見されていて、仏陀に供養するクシャン朝王族であると解されている。今回出土した三角帽像もクシャン族の系統を引く人物を造形化したものであろう。

三角帽子をかぶるクシャン族王侯像(2007年8月、DT25出土)

 ところで、これら二つの寺院址とそこから出土した仏教塑像の制作年代をめぐっては、学者の間で見解が大きく異なり、古くはクシャン朝の1・2世紀説からエフタル時代の5・6世紀説まで実に400〜500年の開きがある。第二寺院址に関していえば、建物の改築や塑像の修復が行われていたとはいえ、礼拝室を中心とした城内の比較的小規模な仏寺が400年間も存続したとは考え難い。クシャン朝のカニシカ王に由来するラバターク碑文によると、同王の神殿は3年で完成したと伝えられる。

 私見ではあるが、恐らくダルヴェルジン・テパの仏寺も数年で建立・建築され、その後改築を重ねながらも、宗教施設として機能した期間は100年ほどではなかったかと思う。

 これまでの研究では、第二寺院址の下層と上層でも生活層が確認されたことから、DT25の建築期は「仏教以前」、「仏教時代」、「仏教以後」の三時代に区分された。また最近では、「仏教時代」をおよそクシャノ・ササン朝時代に比定する見方が強まっている。しかし、クシャン朝と同様この王朝も王の在位年代の特定が難しく、仏寺の活動年代を決定するには至っていない。この年代観の差異を埋め、時代の特定を一つの課題として日ウ共同調査が実施されてきた次第である。

部屋の床面からまとまって出土した土器(2006年8月、DT25出土)

 昨年の発掘では、上述の三角帽像のほかにも、土器、テラコッタ、コイン、金属製品、貝製品、象牙製品、ガラス製品など貴重な遺物が出土した。また、上層と中層の建築遺構が確認され、中層が「仏教時代」に相当すると考えられる。今回特に注目されたことは、台所施設や貯蔵施設と思われる場所で、土器やコインが一括して出土したことで、生活が中断された様相を示していた。これは、住人が家財を持ち出さずに、突如逃げ出したことを容易に想像させるものであり、仏寺の廃絶と関係している可能性が高いと思われる。それが地震や洪水などの自然災害によるものか、あるいは敵の襲撃によるものかは今のところ不明である。都城内の他の発掘区でも同様の出土例が報告されている。1972年には商人の邸宅の床下から壷が発見され、中には35キログラムの黄金製品が隠されていた。これほどの財宝が持ち出されなかったのは、都城全体を揺るがすよほど緊急の事態が発生した故であろう。

 ダルヴェルジン・テパの研究史はすでに半世紀を越えたが、まだまだ未知の部分も多く、発掘を通して、謎のクシャン民族といわれる所以を垣間見る思いがする。

※写真1〜4の撮影は、シルクロード研究センター調査団

表 クシャン朝カニシュカ王
表 クシャン朝カニシュカ王
裏 ウェーショー神
裏 ウェーショー神
表 クシャン朝ヴァースデーヴァ王
表 クシャン朝ヴァースデーヴァ王
裏 コブ牛の前に立つ神像
裏 コブ牛の前に立つ神像

※コインの撮影:浦辻栄治氏(第5次、第6次の発掘では、クシャン朝やクシャノ・ササン朝のコイン120枚も出土した)