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弥生時代の山陰/出雲・伯耆を訪ねる。

投稿  坂本 花子(主婦)

弥生時代の山陰/出雲・伯耆を訪ねる

 去年5月、西谷先生同行解説の「高句麗遺跡を探る旅」に参加して以来。先生のお人柄、優しさに触れ、思い出多い旅を続けております。今回は山陰/出雲・伯耆の古代史上数々の大発見、発掘の地古代ロマンを探る旅でもありました。

 7月24日初日、出雲空港に集合、参加者は先生を含めて11人、予定通りチャーターされていたマイクロバスに乗り込み最初の目的地「島根県立古代出雲歴史博物館」を目指した。博物館は出雲大社の隣接地にあり、去年3月に開館したばかり、で京都大学名誉教授の上田正昭先生が名誉館長をされている。ボランテアガイドの保科春夫氏の案内で館内に入る。中央ロビーを飾る出雲大社境内出土の1本の直径が約1.3mのスギ材を3本組にした宇豆柱が透明ケースに収められ、中央にドンと展示されている。館内はテーマ別に三つの展示室から成っている(1)出雲大社と神々の国のまつり、(2)出雲風土記の世界、(3)青銅器と金色の太刀、この展示室には青銅器の国・島根と言われる神庭荒神谷遺跡出土の銅剣358本が見事に壁一面に展示されている。中央には加茂岩倉遺跡出土の銅鐸39個がガラスケースの中に展示され、どちらも圧巻である。大変見ごたえのある博物館であった。

弥生時代の山陰/出雲・伯耆を訪ねる

 大鳥居を抜け、松並木の参道を行くと銅鳥居がある。出雲大社の祭神は大国主大神であるが、寛文6年(1666)毛利綱広の寄進したこの銅鳥居に刻まれた銘文には「素戔鳴尊者雲陽大神也」とあり、当時は祭神が素戔鳴尊とされていたようだ。本殿は八雲山を背景に大国主大神がお鎮まりになっており、延享元年(1744)に作られたもので高さ8丈(およそ24m)あり、神社としては破格の大きさである。かつての本殿は現在よりもはるかに高かったと聞く。出雲の国は、神の国、神話の国として知られているがこの光景を目の前にして色々な思いがめぐらされた。

 次は西谷墳墓群に向かったのですが、西谷先生の計らいで途中、国指定史跡「今市大念寺古墳」に立ち寄る。案内板によると、所は(出雲市今市町鷲の沢)出雲平野を一望に見渡す丘陵の先端に築造されている。前方後円墳(6世紀後期)で古墳は版築状盛土とよばれる高度な土木技術で作られているのが特徴である。副葬品も出土したと伝えられている。奥室には凝灰岩を加工して刳り抜いた家形石棺があり、横口部分には閉塞石を受ける刳り込みがあります。また蓋には縄掛突起が6個ついています。石室の規模や副葬品の豪華さから見ても、この古墳は出雲西部全体を支配し、朝鮮半島などと交流をもった首長が葬られていると思われますと記されていました。

 西谷古墳群は平成12年3月、国指定史跡となり「西谷古墳群史跡公園出雲弥生の森」として整備された。なかでも3号墳の四隅突出型墳丘の発掘調査は、1983年から十年かけて島根大学が本格調査を行い全容を解明、成果を残している。四本柱穴や大量の土器の中には吉備、北近畿、北陸等のものもあり王墓の手厚い埋葬方法がわかった。この近の三谷神社にある一番大きい西谷九号墳にも寄った。

弥生時代の山陰/出雲・伯耆を訪ねる

 7月25日、一番に神庭荒神谷遺跡へ。荒神谷博物館の前に広がる大きな蓮田には一面に花が咲いて私達を迎えてくれた。1983年、広域農道の建設に伴い遺跡調査が行われた。この時に松本岩雄先生が一片の土器片を採取され、マークしておいたことで、翌年から発掘調査が始り大発見へ・・・・358本の銅剣、16本の銅矛、6個の銅鐸が出土した。当時新聞に大きく報道された事が記憶に新しい。出土品は平成10年銅剣、銅鐸、銅矛が一括国宝指定にされ、現在、島根県立古代出雲歴史博物館に保管されている。

 その後、1996年、荒神谷遺跡からおよそ直線にして3.4kmのところの加茂岩倉遺跡からも農道の工事中に偶然、重機に当たったことがきっかけで39個の銅鐸が発見された。この遺跡の特徴は「入れ子」状態の13組の銅鐸が出土されたことで、現場に立ってみるとどうしてこのような山の中腹に埋められたのかますます疑問がわいてきた。

 神原神社古墳は、案内書によると境内地が赤川の新堤防に含まれることになったため、県において、昭和47年8月の河川改修工事に先立つ事前発掘調査が実施された。その結果、意外にもこの古墳は狭長な竪穴式石室を内蔵する典型的な前期古墳で、多量の鉄製品を伴い、しかも副葬品の中に全国で二枚目の発見という景初3年銘の三角縁神獣鏡があって、全国的にも貴重な古墳である事が判明したとある。この古墳は一辺が30mの方墳で4世紀中ごろのものとされている。

弥生時代の山陰/出雲・伯耆を訪ねる

 次に田和山遺跡に向かう途中、先生のお奨めで玉作に関する全国で唯一の松江市立出雲玉作資料館に立ち寄りました。ホールには資料館の目の前に立つ花仙山から採掘された大きな碧玉(青瑪瑙)の原石が展示され、見ごたえのあるものでした。先生の計らいで勝部館長の解説付きで隈なく見学をする事が出来ました。見落としがちな小さな資料館や、遺跡にもここはというポイントにはお立ち寄りいただけるのが西谷先生同行ならではの旅の魅力です。

弥生時代の山陰/出雲・伯耆を訪ねる

 遠方からは小山に見えた田和山遺跡ですが、登ると意外に大きく、玄武岩の隆起で出来た山からなっていることがわかりました。弥生前期から中期にかけての環濠遺跡で、三重に山頂を囲む環濠の外側に住居跡が見つかった点が特徴で全国でも例のない遺跡だそうです。

 この日最後の見学地は安来・荒島墳墓群。この古墳群は古代出雲王陵の丘、造山公園として整備されていて、大きい方墳2基、前方後方墳1基と円墳1基があり、造山3号墳は中海がよく見える場所に位置している。一辺が40mの方墳で、昭和40年の発掘調査で竪穴石室から小振りの中国鏡と碧玉製の首飾りが出土した。古墳時代(4世紀後半)築造とされている。

 宿泊は皆生温泉・天水で湧出豊富な塩の湯にゆったりと疲れを癒し、充実した一日を終えた。

 7月26日、妻木晩田遺跡の洞ノ原東側丘陵へ案内していただきました。この地区の墳丘墓群は一世紀から二世紀前半につくられた四隅突出型墳丘墓が集中して発見された。同時期に西側丘陵で環濠に囲まれた高地性集落も確認されている。防御的機能を持つ集落と墳墓群が同時に発見された事で弥生時代の遺跡を考えるうえでの貴重な資料である。保存運動をしている佐古和枝先生は「海と山の王国」のなかで(来て見て感じて洞ノ原)は日本最大の弥生遺跡と言っておられる。

 上淀廃寺跡へ行く前に淀江歴史民俗資料館に寄り、廃寺壁画の菩薩、神将、天衣など、石馬、色々な埴輪類の説明を館長さんから詳しく説明いただいた。小さな資料館にかかわらず、国宝級の遺物の多さに感銘を受けた。海を見下ろす丘にある廃寺跡はここから400mほどの所にあり、バスで移動しての見学。国史跡指定となっており、復元途中の白鳳時代の仏教寺院遺跡を目にした。寺の造営年代については丸瓦に刻銘があり「癸未年」天武12年(683)とされている。三金堂配置跡が見られるのも珍しいとのことです。

弥生時代の山陰/出雲・伯耆を訪ねる

 筑紫と出雲の繋がりを求めて米子宗形神社に寄る。由緒によれば往古、宗像氏族が祖先神である宗像三女神を奉じて九州からこの地に来着しこれを奉斎した。出雲大社の本殿が西向きであり本殿側に筑紫社が古くから鎮座するのもいわれのあっての事だろう。この神社背後の丘陵に宗像古墳群もあり、その内三基の前方後円墳(六世紀)がある事も見逃せない。

 これで今回の旅行での見学も終わりました。

 毎日暑いなか先頭をいつも元気に歩かれて案内をして下さいました西谷先生、また小人数だからこその和気あいあいのお仲間の皆様にも深く感謝しております。