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美術館・博物館案内

企業系の美術館を歩く

白鳥正夫  ジャーナリスト

 「美術館、冬の時代」が続き、公立美術館にも指定管理者制度の導入が浸透する中、地域に根づき奮闘している企業系の美術館がある。12年目を迎えたアサヒビール大山崎山荘美術館と10年目の佐川美術館は、豊富なコレクションがあり、ゆったりとした環境に恵まれている。両館とも格調高い芸術に触れるだけでなく、格好の「癒しの空間」でもある。

木立ちに囲まれたアサヒビール大山崎山荘美術館

 アサヒビール大山崎山荘美術館は大阪府境の京都府内天王山山腹にあり、JR山崎駅を降りて急坂を10分ほど登った所にある。石張りのトンネルをくぐり、竹林の中を抜けると、山の緑に溶け込むように建つ山荘の洋館が見えてくる。

 美術館の本館となっているヨーロッパ風の山荘は持ち主だった実業家の加賀正太郎氏の設計だ。山荘は大正時代に木造で建てられたのち、昭和初期に増築されたとのこと。後にアサヒビールが京都府の意向を受けて入手し、美術館として再生した。民芸運動に理解のあった初代社長の山本爲三郎氏が集めた陶芸品を中心に約1000点の所蔵品があり、随時約100点余を鑑賞できる。

 河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチらの自由でのびのびとした作品が、細部まで思いを凝らして建てられた木造の居室に展示されている。建物内には、古いバスルームとか、ステンドグラスの窓とか、暖炉とかもあり、展示品と合わせて楽しめる。

 古い建物に加え、新たに建てられた新館は安藤忠雄氏の設計だ。建物は半地下になっていて、上部は植栽が施され周囲の景観に配慮している。重厚なコンクリート壁に仕切られた円筒形のスペースは、まさに宝物を所蔵するのにふさわしい雰囲気を醸していて、ここが「地中の宝石箱」と呼ばれている。

 両側を高い壁に囲まれた細長い階段を降りていくと展示室がある。ギャラリーの上部中央には丸い天窓があり、自然光を呼び込む至れり尽くせりの展示空間だ。ルノワールの「ココの肖像」(1905年、油彩)は30センチそこそこの小さな作品だが、燃え立つような紅い色調で、まさに印象に残る一点。ドガの「ばら色の踊子」(1878年、パステル)やモディリアニの「少女の肖像」(1918年、油彩)もあり、贅沢な時間を過ごせる。モネの「睡蓮」(1907年、油彩)は90センチ四方の作品だ。池面に浮かぶ蓮、おぼろげな薄紫の葉、所々に黄色い花がアクセントを添え、見飽きない。「睡蓮」を堪能し、再び本館2階へ。大きなステンドグラスのある階段を上がだと睡蓮の咲く池を配した広い庭でのんびりするのも一興だ。

佐川美術館に加わった十五代樂吉左衞門館の茶室

 一方、滋賀県守山市にある佐川美術館は池の中に浮かんでいた。琵琶湖大橋をのぞむ湖東端に位置しており、JR湖西線堅田駅15分のバスが便利。美術館は大きな切妻造りの屋根を持つ2つの建物が人工池の中に溶け込むように、また池の上に浮いているかのように建てられている。入り口へのアプローチも水辺の回廊を渡る構造で、まさに癒しの水辺空間を作り出している。

 外観は和風だが、回廊に沿って林立する柱はギリシャ神殿を思わせる。内観も非常に落ち着いたデザイン。館内にはミュージアムシアターがあり、100インチの大型スクリーンではハイビジョン番組が放映されている。

 そもそも佐川美術館は1998年、佐川急便が創業40周年を記念して開館した。平山郁夫と佐藤忠良の二つの展示館に加え、創業50周年記念して、十五代樂吉左衞門館と茶室をオープンした。絵画に彫刻、陶芸のコレクションを展示するユニークな館となったわけで、一つの館でジャンルの異なる展覧会を楽しむことが出来る。それ以上に街中と日常を離れて、ゆったりとした時間を過ごせる。

 平山コレクションは約300点も所蔵し、常時60点を7つの部屋に展示している。一番奥の展示室には大作「平和の祈り−サラエボ戦跡」を展示。「1986年、国連の平和親善大使として訪れたボスニア、廃墟と化した町サラエボ。子供たちの純真な澄んだ目が将来への明るさと希望を抱かせ、彼らに未来を託し平和の祈りを込めました」との作者の言葉が添えられていた。

 佐藤忠良氏は、現代具象彫刻の第一人者だ。こちらは池を挟んで別棟の5室に展示されている。「ブロンズの詩」と名付けられ、所蔵100点中50点余りの彫刻や素描を展示している。代表作の「帽子」シリーズなど女性や子供の像が心行くまで味わうことができる。

 2007年秋に新設された十五代樂吉左衞門館の展示室は水面下に埋設され、茶室のみがヨシで被われた水面にぽっかり地上部に露出する設計になっている。樂さんの構想を基に、2年半の歳月をかけて設計・施工されとのことだ。

 展示室には2000年以降に作陶された「焼貫樂茶碗」をはじめ「黒樂茶碗」「焼黒茶入」「焼貫水指」などが、樂さんの「守破離」のコンセプトをもとに、格調高く展示されている。

 「守破離」とは、利休の残した言葉「守りつくして 破るとも 離るるとても 本をわするな」に則り、樂さんは、「守」もて習い、「破」もて新たに生ぜしめ、「離」に至って「守・破」をこえ、創造の道を究める。しかも至ってなお、「本」を忘れてはならないとの戒めての精神性を強調している。

 茶室はエントランスから地下廊下を通り、地下2階に降り立つと、ブラックコンクリートの壁面の吹き抜けの天井から地上の水底を通した光が注がれてくる。地下1階から枕木を敷き詰めた細長い空間を通り抜けると、突然ぽっかりと空いた円い空が望める。コンクリートの壁を伝い落ちる水音が心地よく聞こえてくる。

 茶室は水面に沈めた小間と水面上の広間があり、広間からはヨシの水庭が広がり開放的な空間になっている。伝統的な茶室イメージを払拭させる新たな造形美を極めている。


 戦後、飛躍的な経済成長の中で、富を築いた創業者、今風に言えば勝ち組経営者の中に美術品コレクターを輩出した。関西にも白鶴美術館や藤田美術館、大和文華館など枚挙にいとまない。その歴史や形態、運営などは様々だが、業界のものまで含めると、全国で600以上を数える。

 しかし経済の停滞が続き、奈良そごう美術館や大阪の出光美術館など閉館する所も出てきた。その他でも個人所有をいつまでも続けられず財団法人で運営する企業系ミュージアムが増えた。関西には、豊かな生活文化産業の歴史的活動を背景に、質、量ともに優れた多くの企業系ミュージアムがあるが、意外に知られていないのが現状だ。

 企業には、本業を通じて社会への貢献を図ると同時にメセナ活動を押し進めることによって文化の創造・振興に役立てたい、とする基本理念がある。美術館運営もその一環として活性化されればと考える。地域社会と一体となって、より成熟した美術館運営が望まれる。