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美術館・博物館案内

よみがえるヤマトの王墓
−東大寺山古墳と謎の鉄刀−

会場:東京国立博物館
期間:6月7日(火)〜 8月28日(日)

 7月2日、東京国立博物館に出かけた。企画展示室で開催されている特集陳列「よみがえるヤマトの王墓−東大寺山古墳と謎の鉄刀−」(6月7日〜8月28日開催)を参観してきました。あわせて日本考古学会第109回記念講演「卑弥呼女王の共立−東大寺山古墳の紀年銘鉄刀は語る−」講師:金関 恕先生(天理大学名誉教授)を聴講してきました。著名な先生の上京講演、しかも後漢の年号「中平」(AD184〜190)の銘を持った鉄刀の謎への関心の高さからか満席の聴講者があった。(『トンボの眼』佐々木)

会場での金関先生 紀年銘鉄刀刀身 紀年銘鉄刀花形飾環頭部
会場での金関先生 紀年銘鉄刀刀身 紀年銘鉄刀花形飾環頭部

東大寺山古墳の紀年銘鉄刀

 東大寺山古墳の紀年銘鉄刀は天理市石上神宮蔵の七支刀銘文、市原市稲荷台1号墳出土鉄剣銘、行田市稲荷山古墳出土鉄剣銘、熊本県玉名郡和水町江田船山古墳出土大刀銘とともに卑弥呼〜倭の五王の時代を知る資料として大変、貴重なものです。
 『トンボの眼』では秋の連続講座の一つとして、森公章(きみゆき)先生(東洋大学教授)による連続講座「倭の五王と五世紀の倭国」を9月より月1回ペースで設けております

 森公章先生が倭の五王の時代へのプロローグとして著書・『戦争の日本史I 東アジアの動乱と倭国』(2006吉川弘文館刊)で「倭国大乱」をとりあげ、「東大寺山古墳の紀年銘鉄刀」の意味するところをお書きになっておられますので引用ご紹介します。

 二世紀初に成立した倭国は、七、八十年ほど経過すると、争乱の時代を迎える。『後漢書』東夷伝に「桓・霊の間、倭国大いに乱れ、更ごも相攻伐し、暦年主無し」、『三国志』魏志倭人伝に「住ること七、80年、倭国乱れ、相攻伐すること暦年」と描かれる「倭国大乱」である。倭国の成立から7、80年後、後漢の桓帝・霊帝の頃というから、170〜80年前後の状況を伝えるものと考えられる。
 この頃の倭国に関わる文字資料として、奈良県天理市東大寺山古墳出土鉄刀銘がある。

 中平□□五月丙午造作□□百錬清□上應星宿□辟不□

 中平(184〜189年)は後漢末期の霊帝の最後の年号で、この後には弘農王(在位一八九〜一九十年)、献帝(在位190〜220年)と続いていくが、献帝はほとんど傀儡の皇帝で、すでに次の三国時代へ向かう混乱期に入っていたこの時期、中国王朝の権威は衰退し、奴国や倭国王帥升が拠った北九州への外来文物の渡来も途絶しがちであった。
 そうした中で畿内で中平銘鉄刀が見つかった事実は、北九州以外にも有力な政治集団が生まれ、中国王朝から鉄刀を入手するような関係を結ぶ者がいたことをうかがわせる。北九州を窓口とする東アジア諸国との通交の独占が崩れ、それが「倭国大乱」という国内各所での争乱につながったと考えられるのである。