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共に生きる

「共生の風景を旅する」
作家・立松和平氏との対談から
『トンボの眼』8号より

白鳥正夫  ジャーナリスト

立松和平氏

立松和平氏
1947年、栃木県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。在学中に『自転車』で早稲田文学新人賞。宇都宮市役所に勤務の後、79年から文章活動に専念。80年『遠雷』で野間文芸新人賞、97年に『毒−風間・田中正造』で毎日出版文化賞を受賞。行動作家として知られ、近年は自然環境保護問題にも積極的に取り組む。今年1月、南極の昭和基地開設から50周年を記念するイベントの一環として、宇宙飛行士の毛利衛や登山家の今井通子とともに昭和基地を訪れた。

立松和平氏との対談

 奄美大島、石垣島、四万十川、輪島、白川郷、尾瀬、足尾、白神山、知床……。美しい島々の集まりであるヤポネシア(日本列島)の森や山、川の四季は、いつまでその豊かな風景を保ちえるのだろうか。作家の立松和平氏は、列島各地を繰り返し旅する。土地に根を張って生きる人々との出会いを求める。殺伐とした都会生活で忘れかけた日本人の遠い記憶を呼び起こすかのように。

 立松氏とは15年前、能登半島で出会ってから知己を得た。このほど大阪の朝日カルチャーセンターの講座で「風景を旅する」とのテーマで対談させていただいた。地球温暖化が進むいま、私たちは開発一辺倒から脱し、自然との共生を真剣に考える時、「共生のあり方」を考える多くの示唆を得た。話題は多岐にわたったが、立松氏が約30年も通い続けている知床を中心に紹介する。

(文中敬称略)

白鳥 立松さんは全国くまなく旅をしながら、物を考え、人と触れあい、その体験を小説やエッセイに書き続けるバイタリティあふれる行動をされている。島尾敏雄さんによって発語された「ヤポネシア」を歩くことを実践されていますね。

立松 ポリネシア、ミクロネシア、メラネシア、インドネシアという文化圏があるように、島々の集まりである日本列島をヤポネシアと言い直したんです。そこには中央集権のヤマトに対し、ヤマトから見れば辺境の地からの存在証明の思いがある。

白鳥 辺境の旅でも、とりわけ山荘まで建てられ、足繁く通い続けている知床の魅力をまず伺いたいです。

立松 私が初めて現地に行ったころ、訪れる人も稀で、屋根に石をのせた家が点在し、浜に打ち寄せる波は透明で、水中には昆布が揺れていました。何もかもが澄んで美しかったのです。その後、何度も何度も訪ねることになりますが、四季を通じ美しい。秋には川が真っ黒になるほど鮭が上ってくるのです。冬には流氷がやってくる。しかしその知床もどんどん変化しているのに気づいたのです。

白鳥 知床にすむ漁師と親しくなり、生息する生き物についても、いろいろ書かれていますね。

立松 魚の様子を見て、豊かな海だなぁと思いました。一日1万5千匹もの漁があり、1匹4〜5キロありますから、大変な量です。ということは、毎日毎日1万5千の死があるのだということに思い当たりました。港を出港するときに、1メートル四方の1トンの氷を三つくらい入れるのです。目の前を30分も走ると漁場なのに「そんなものいらないべさ」って言うと、漁師が「氷がないといかん」と言うのです。魚がたくさん獲れると、その魚が水からあげると暴れますよね。何で暴れるかというと、死が怖いからです。死の恐怖から暴れるわけです。1万5千匹が暴れると熱が上がるんです。そうすると温度が高くなって鮮度が悪くなる。だから熱が上がらないように、氷を入れて冷やすんです。むごいと言えばむごいですよね。

白鳥 知床では、生と死をあからさまに目にし、感じる場所なんですね。

立松 僕は知床でいろいろなことを教わりましたが、我々の世の中というのは、解決できないことがいっぱいあるんですよ。例えば、あらゆる衆生、生きとし生けるものが幸せでありますようにと仏教徒が言いますが、魚などを食べなければ生きてゆけない。

白鳥 「知床に生きる」という本に書いてありますが、自然というより野生なんですね。人間にとって危険な熊も出ますね。

立松 熊も川で魚を獲ります。観光客が入れる所なので、カメラや携帯で撮ったりしていますが、とても危険だと思います。しかし漁師たちは危険とは感じないのです。かつては、熊と見れば恐いから撃ち殺していましたが、熊は何にも悪いことをしていないと言うことに気付いたのです。熊は人を恐れない、漁師もが熊を恐れなくなったのです。お互いに知らんぷりをする。熊は鮭の雌のおなかしか食べません。山の方に持って行って、そこだけ食べ残してしまうから、狐とか他の動物の餌になり、さらに残った物は森の栄養になるんです。不思議な循環があるんです。漁師の立場で言えば、「熊は熊を生きている、人間は人間を生きなければいけない」ということです。

白鳥 熊と人、そして他の動物、さらに森が共生している大地なんですね。

立松 卵を産んだ鮭は、やることをし終えて、死を待つばかりです。全てを成し終えたものは、恐いものがない。一種の悟りの境地でしょう。だって、もう餌は食べないし、命も入らない。すぐ間近で見ると、そういう魚は生きながらあばら骨が見えている。内蔵なんかも無くなっているのに。だってものを食べず、抵抗力がないから、次第に腐っていくんです。

白鳥 立松さんの今のようなお話は、やはり現場を知るものにしか出来ませんね。そんな自然いっぱいの知床が2005年度の世界自然遺産に登録されました。その経緯をどのように見ていられたのでしょうか。

立松 ユネスコの条件としては、漁業が行われているというのはいかがなものかと。野生生物の生態系を守るというのは、誰もが認めるところですが、海岸から5キロ以内には網を入れてはいけないとか、そういう条件が付随してきたのです。これは漁師に出て行けって言うことです。生活権を奪われるわけです。そんなことなら簡単に世界遺産なんかにしない方がいいと思いました。結局、漁をしてもいい状態で、登録されましたが、どうして世界遺産なのかという位置づけがされないまま「観光客が来るぞ」と迎え入れるようになるわけですよ。僕は僕なりに、要するに自然の生態系の上に、人間の生態系が乗っかっている。そうしないと我々は生きていけないんだという覚悟というか、位置づけが必要に思えました。

白鳥 なるほど。つまり自然を守っているのは誰かということですね。

立松 知床では、一番自然を守ってきたのは、漁師ですよ。自分たちが生きるための場所をきちんと確保して漁師が守ってきたから、人と他の生き物が共生する自然が残ってきたのだと思います。

白鳥 ただ単に生態系や自然を観察するだけではなくて、地産地消という実践活動にも関われていますね。

立松 知床は単なるきれいなところではないんです。潰れた家とか、人の記憶が染みついているところなのです。結局第1次産業がそれを守っていると、僕は思っているんです。「知床ジャーニー」では、農業者が、限りなく有機栽培で作って、ホテルが朝電話をしたら、お昼過ぎには野菜を届くというシステムを作ったのです。そら、おいしいですよ。本当に新鮮だから。料理長とか、社長とかが、地元のものを食べようと、それが観光産業というのが愛されるためには必要であろうと。僕が頼まれて名前を付けたんです。「旅」とか、そういうニュアンスを入れたいというので、じゃあ「知床ジャーニー」だと。

白鳥 立松さんの書かれたものを読んでいますと、漁師や土地の人と酒を飲み語り合っています。すっかり地域に溶け込んでいますね。

立松 12、3年前にあった神社を復興したいと、開拓地の人が言ってきたんです。福島泰樹って短歌を詠む、有名な坊さんに相談したら、「ばか、お前、寺にしろ」って。彼のお寺は、東京の下谷の毘沙門天のお寺なんです。そこでみんなで木を運んで毘沙門堂を造ることにしました。その頃、僕は法隆寺で行を行うことを始めていて、金堂の中で毎朝礼拝するのが、多聞天・毘沙門様なんです。毘沙門天は北方の守り神で、法隆寺では北東の鬼門の方角におられます。で、開堂の時には、法隆寺の当時の管長高田良信さんが来てくださいまして、聖徳太子殿もあったらいいなと言われたので造りました。大野玄妙管長さんに変わられてから、観音堂もと言うので、それも造りました。毎年6月最後の日曜にお祀りをしますが、これまでに法隆寺の管長さんはじめ、清水寺や金閣・銀閣の管長さん、俳優の菅原文太さん、高橋恵子さん、オカリナの宋次郎さんらもこられました。

白鳥 知床だけで何時間でもお話ししていただけますね。今度は四国の四万十川のお話をしていただきたいのですが。

立松 四万十川は暴れ川ですから、普段は美しい川だけど、ちょっと雨が降ると、すごく暴れるんです。有名な沈下橋っていうのがあって、コンクリートの橋ですが、水に沈むので、どんなに川が荒れても流されない。晴れたら、また渡れる。川が暴れると、きれいに掃除ができて、水通しがよくなる。魚の生存環境にも非常によろしい。近頃は、あまり暴れなくなった。地元の漁師さんが言うには、山が変わったからです。山が針葉樹ばかりになって、昔のように炭を焼くような広葉樹が無くなってしまって、だから、保水力がないから、水が少なくなった。四万十川は良い川に違いないのだけれど、自然問題としては、相当の変化があると僕は思っています。

白鳥 私も四国の生まれで、故郷のことは山や川の思い出と結びついています。

立松 現在は川で遊ぶガキがいなくなっちゃった。おそらく今一番元気な川ガキがいるのは、四万十川でしょうね。カワウソがいると信じている人もいますが、「ニッポンカワガキ」は絶滅危惧種ですよ。川を旅する野田知佑さんは、僕の兄貴分なんです。川ガキ復興運動をやっています。子供は川で遊びながら、教えられていく文化って言うのがあるんですね。僕は栃木の川ガキでした。川で泳ぐためには、川のことを知らなくてはいけない。水中めがねで潜って、魚がいて、川の流れの中で泳ぐっていうのは、川のことを知らなきゃできません。時々おぼれて流されて、もう、だめだと思ったら、川岸で足がついたりするんですね。危険と裏腹でそれを超えて強くなっていくということがありました。川は先生です。

白鳥 「やりたいことは、ただひとつ書くこと」だと言う立松さんにとって、書くことは生きることであり、生きることは旅することでもあるということなんだろうなと思います。 たくさんの旅をして、たくさんの人と出会い、そのことをすべて書き尽くしておいでですが、団塊の世代として、これからはどんな旅になるのでしょうか。

立松 あんまり旅しないで原稿を書きたいんですが。『立松和平日本を歩く』という全七巻の本を出します。編集者がやってきて、「あなたは旅をしている。都道府県の全ての文章がある」って言うんです。「いやー、それは無いでしょう」って言ったら、全部出してきたんです。日本中よく歩いたなと思いますが、一つだけ言いたいことがあるのは、日本の風景が、どこも同じになった。本当に大阪も東京も同じなんですよ。京都の郊外に行っても鹿児島に行っても変わらない。なぜ日本がこんなに同じ風景になってしまったのか。これは、コスト意識です。安いものに価値があるという時代なんです。安いものとはどういうものかというと、大量生産したもの。だからスーパーに行くと安いものが目玉商品としてあるし、コンビニでもそうです。建物まで、大量生産品だから、同じものを建てて、同じレイアウトで売っている。それで、全国どこへ行っても同じ店があり、建物があり風景が同じになってしまうんです。

白鳥 立松さんの言う「人のいる風景」というのは、人の営みとか、人の命に関わっているから感銘を受けるのだと思います。NHK「課外授業」という番組で、立松さんが出身の小学校を訪れて授業をするわけですが、野や山に登って寝転がるようにして、命の大切さを教えておられました。その最中にお母様が倒れられた。その子供たちに出した宿題は、「自分たちが生まれたことを、お母さんの立場で書きなさい」ということでした。立松さんは、お母さんの看病でその晩徹夜をして、ご自分も書かれたわけです。その文章を自分で読みながら、大粒の涙をぽろぽろこぼしていましたね。これが教育だなと思いました。時の首相が「美しい国・日本」と唱えられているが、立松さんのお話こそ説得力があります。失われてゆく風景の中で、自然との共生という点に、真に美しい日本を築くためのヒントがありました。