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アフガニスタンからのレポート

西垣敬子  宝塚・アフガニスタン友好協会代表

 女性や子どもの支援活動を続けているアフガニスタンを3月末、9ヵ月ぶりに訪ねた。昨年夏以来、退避勧告および渡航延期の警告が出る中での出発である。ドバイ経由で入った首都のカーブルは心なしか静かで、ホテルも閑散として、外国人の姿が減っていた。また、物価が急激に上昇し、とりわけ小麦粉の値上がりが人々の生活を圧迫していた。ホテルの真向かいにあったナンを売る店が値上げに耐えられず廃業していた。

 これまで市中をパトロールしていたISAF(国際治安部隊)の姿が消えていた。不審に思って尋ねると、自爆テロに巻き込まれる市民が増えたことで政府がISAFに頼んで早朝のパトロールのみに切り替えてもらったとのことであった。たしかにISAFのパトロールはものものしく、装甲車が銃口を廻らしながら走るのを見ると怖くてドキドキする。この車列を狙う自爆テロを避けるためパトロール中の装甲車の横を車で追い越すことは禁じられている。

 今回の渡航は東部の町ジャララバードのナンガルハル大学に建設した女子寮を訪ねることが一番の目的であった。昨年春に仮の完成式をしたが、その後に外回りの整備が意外に手間取った。これは西側の部屋が隣接のグラウンドの観客席スタンドからのぞき見られるという問題が生じたためである。

 そこでスタンドを壊して段数を減らし、その上に塀を高く付け足してなおかつ鉄条網を張り巡らした。この他、ガードマン用の小屋も建て、鉄製のゲートも作った。こうしたことから思わぬ出費を余儀なくされた。ベッドと寝具一式、タンス、食堂のいすとテーブル、カーテンは辛うじて間に合わせ、なんとか昨年9月に新入生を迎えた。

 現在9人の女子学生が入寮している。その一人一人に会って話をした。4人がイスラム法「シャリーア」を、2人が英文学を専攻していた。他の学生は、それぞれ政治学、市民法(political Law)、数学であった。イスラム法を学ぶ4人は将来、判事や裁判官になるかもしれない。

 彼女たちの学問への情熱や、自立した精神は、目を見張るものがあった。年齢は17才から22才までとまちまちで、タリバーン時の教育の空白の影響がみられる。7人まで両親が教育を受けた家庭で育っている。父が医者や判事、母親のほとんどが教師で、中には助産婦の母親を持つ学生もいた。

 ナンガルハル大学には8学部3000人を越す学生が在学し、女子の数はその1割に満たない。医学部はそのレベルの高さで知られていて、200人以上の女子学生が市内にある独立した学舎で学んでいる。教室内では男女共学だ。一度、英語学の授業に出たことがある。女性も活発に質問し、答えていたのが印象的であった。中には幼い弟を連れて授業に出席する女子学生もいた。

 この国では、小学校から大学まで教育にかかる費用はすべて国が負担、女子寮も無料である。女性の識字率13%、女子は14才までに結婚する一般的風潮から見て、彼女たちの存在はこの国の未来を一身に背負っていて、私には頼もしく光輝いて見えた。

 復興7年目の現在、表面的には女性も少しずつ開放されてきているようだ。日本やアメリカなどの大学への給費留学、文化や芸術面での外国からの助成も増えてきているので、大きな視野を持つ女性が育ち始めているのも確かだ。もう二度と決して後戻りすることのないよう、祈るばかりである。