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共に生きる

台湾出身歌手・寒雲さんのコンサート『生きる』

台湾出身歌手・寒雲さんのコンサート『生きる』

 世間には余りにも多くのことごとが起こるので記憶から消え去られていくことがあまりにも多い。2004年のことだ。アジアを中心に猛威を振るった新型肺炎(SARS)の恐怖が全国を襲った。小豆島などを観光した台湾の医師が帰国後に発症、二次感染の恐れが出たからだった。国は、感染症対策では異例ともいえる医師の詳細な行程を公表、利用者の追跡調査や社会不安の解消に努め、県、国がそれぞれ安全宣言を出したが、風評被害の広がりは島全体に暗い影を落とした。小豆島の旅館・ホテルなどでは宿泊キャンセルが相次ぎ、深刻な打撃を招いた。この時、「SARS」の風評被害をとめる為、最も大きく被害を受けた小豆島で私財を投げ売っての「200人宿泊無料ご招待イベント」を実行したのが、台湾台北市出身で、石川県白山市在住の寒雲さんだった。

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寒雲さんのプロフィール

 中学生時代に授業中の校舎の窓からゆったりと大空を流れる冬雲を眺めていて「寒雲」の芸名を思いついた。1978年に台湾で歌手デビューした後、1983年にシンガポール・マレーシアに活動拠点を移す。赤道に近い常夏の両国では「寒雲」の冬雲を連想させる季節観念が薄いため、芸名を「宋佩璇」と改めるが、1992年より日本での活動開始を機に再び「寒雲」に戻した。日本デビュー当時、シンガポール・マレーシア時代にレコーディングしたマスターテープを持参して複数の大手レコード会社などに自ら売り込むが、アイドル全盛当時、年齢を理由に門前払いに近い扱いを受け続けた。それにより自暴自棄となり自信を失い、歌手活動断念をも思案した時期もあるが、持ち前の負けん気で引退危機を乗り越え、以後は精力的に国外、日本全国を巡り2010年には世界的名曲「オンリーユー」「煙が目にしみる」などで有名なR&Bグループ「ザ・プラターズ」から着目され、ジョイントコラボ公演を実現。谷村新司のファンで、その多くの楽曲に深い感銘を受けている。『一歩踏み出せば、夢はかなう』この言葉を心情に歌手活動の傍ら、台日文化交流親善活動、国際活動にも尽力している。