『遺跡・史跡・自然の旅』・催事案内

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『遺跡・史跡・自然の旅』・催事案内

旅行への需要も復活のきざしを見せてきました。『トンボの眼』でも少しずつ活動を再開し始めました。まずは日帰り旅行を中心に「関東の古墳巡りシリーズ」の充実に加え、自然を対象とした「花めぐりシリーズ」を新たに設定しました。ここをスタートに宿泊を伴う国内旅行、さらには「海外旅行」も順次、再開していきたいと考えています。皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。

『遺跡・史跡・自然の旅』
和多都美神社
『遺跡・史跡・自然の旅』
小渕沢・神田大糸桜

【『関東の古墳をめぐる』シリーズ】


2024年下期(2024年10月~2025年3月)


【『花をめぐる』シリーズ】


【『国内・遺跡史跡の旅』シリーズ】


【『海外・遺跡史跡の旅』シリーズ】

『関東の古墳をめぐる』シリーズ

大和政権の象徴とも言える前方後円墳は、いつどのように東国(東海・信濃・関東)へ伝わったのか。豪華な副葬品や彩色壁画、鉄剣銘文など、東国古墳の特質を探り、古墳文化の東国伝播に秘められた、大和政権の東国支配の実態に迫ります。古墳や古代寺院、官衙の見学に加え、各コース共に博物館、資料館などを訪ね、学芸員の方の展示解説、訪問地ガイダンスをお願いしています。また、古墳概要などの基礎的な資料を事前にご用意しています。個人旅行では回り切れない特色ある古墳をテーマに沿って設定してコンパクトにめぐります。

関東の古墳をめぐる

No10『信濃・千曲川流域の前期古墳と大室古墳群を訪ねる』

◆ポイント

信濃国の国府があった上田市の信濃国分寺跡、千曲市・埴科古墳群(はにしなこふんぐん)にある長野県最大の森将軍塚古墳、長野市・篠ノ井の川柳将軍塚古墳・姫塚古墳、松代の約500基あるといわれる大室古墳群のなかの大室谷支群の積石塚古墳、あわせて長野県立歴史館、大室古墳館などで出土資料などを見学。

■みどころ

準備中

千曲市森将軍塚古墳
大室古墳群のなかの大室谷支群
大室古墳群中最大規模の244号墳

スケジュール

JR新幹線上田駅前集合(11:00)=上田市(信濃国分寺資料館、信濃国分寺跡)=千曲市・科野の里歴史公園(森将軍塚古墳館・長野県立歴史館・森将軍塚古墳) =長野市・篠ノ井(川柳将軍塚古墳・姫塚古墳)=長野市・小島田町(長野市立博物館)=松代町(大室古墳館・大室谷支群)=長野駅前(18:00頃)解散。

No11『下総・市川と上総・市原の古墳と国分寺跡を探る』

◆ポイント

江戸川を隔てた下総国・市川は国分寺が置かれるなど下総国の中心でした。江戸川に沿う丘陵地帯は国府台と呼ばれ、古墳時代から土地の豪族の蟠居するところでした。それを示すのが法皇塚古墳、明戸古墳などの国府台古墳群です。また『万葉集』真間手児奈伝説ゆかりの弘法寺境内には弘法寺古墳、真間山古墳があります。一方、上総国の中心、市原には上総国分寺、寺跡全国最大の国分尼寺がありました。銀象嵌銘文のある鉄剣を出土した稲荷台1号墳や前方後円墳発生期の墳形をもつ神門4・5号墳など東日本でも最古と見られる古墳があります。

■みどころ

◇下総国・市川の古墳

今でも暴れ川として知られている渡良瀬川の出口であった江戸川(古代の太日川)を治め、千葉の国を支配した豪族の故地に、わずかに残った国府台古墳群がある。天平時代開基といわれる寺境内にある弘法寺古墳(6世紀後半)、文明11年(1479)太田道罐築城と伝えられる国府台城の中にある明戸古墳(6世紀末か)、埴輪が発見された法皇塚古墳(6世紀中頃)。奈良時代には国府や国分尼寺が置かれ、下総国の中心となるこの地域は、悠久の原始、古代の歴史を垣間見ることができる。

◇上総国・市原市国分台の古墳

この地域は養老川の右岸で,国分寺台古墳群や諏訪台古墳群,神門古墳群など数多くの古墳群があったが,宅地造成に伴って発掘調査され,保存古墳は公園として宅地のなかにわずかに点在するだけとなった。稲荷台1号墳は,「王賜」銘という銀象嵌の施された鉄剣が出土したことで一躍全国的に知られた。この古墳の主は,鉄剣の他に鉄鏃,短甲などが出土していることから,畿内と関係のある武人と考えられている。また,出現期の古墳として知られる神門古墳からは畿内,北陸,東海の様相をもった土器群が出土していて,この地域の豪族がそれらの地域と行き来していたことが分かる。
奈良時代になると,この地域には場所は特定されていないが,国府が所在しており,上総国の中心であった。上総国分寺は礎石から当時の面影を知ることができる。

「王賜」銘鉄剣出土の稲荷台古墳
「王賜」銘鉄剣(複製) 
神門5号墳 前方部側から後円部側

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前)集合(08:00)=首都高速=市川市(国府台・法皇塚古墳、明戸古墳、弘法寺・弘法寺古墳、真間山古墳、真間堂、下総国国分寺跡)=市原市(市原市埋蔵文化財調査センター、稲荷台1号墳、神門4・5号墳、上総国分寺跡、国分尼寺跡、南田瓦窯跡)=湾岸道路=東京駅丸の内口(丸ビル前)(17:30頃)解散。

期日 2024年6月11日(火)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 8名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前)  集合(08:00)
締め切り 2024年5月1日(水) 満員になり次第締め切ります。

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No12『相模国の古墳をめぐる-秦野・秋葉山古墳群と三浦半島・長柄桜山古墳群-』

◆ポイント

神奈川県の代表的な古墳群をめぐります。海老名市にある関東地区最古級の古墳群・秋葉山古墳群と三浦半島の付け根、逗子市桜山と三浦郡葉山町の境界部分の丘陵尾根上に相模湾を見下ろす前方後円墳・長柄桜山古墳群などを見学します。あわせて相模国国分寺址、逗子市郷土資料館、横須賀市自然・人文博物館を訪れます。晴れていれば長柄桜山古墳群から秀麗にして雄大な富士山の姿をお楽しみいただけます。

■みどころ

◇長柄桜山古墳群

古墳群発見の経緯
長柄桜山古墳群は、1994年頃、地元葉山町在住の考古学愛好家が、逗子市と葉山町の境界にある丘陵地帯の尾根の一角が、その形などから古墳ではないかと思い始めたことに始まります。1999年3月中旬、問題の場所で携帯電話の中継所を建設するために小規模な森林の伐採が行われ、工事現場から、先の考古学愛好家が数片の埴輪の破片を採集したことがきっかけとなり、長柄桜山古墳群は発見されました。それまで逗子市と葉山町の境界の丘陵地帯に古墳があるということは、全く知られていなく、急遽、逗子市・葉山町・神奈川県の各教育委員会合同で、現地の地形調査が行われることになった。その結果、工事区域を含む一帯が全長約80メートルの前方後円墳らしいことが判明し、携帯電話の中継基地の工事は中止された。その後、この古墳は長柄桜山古墳群第1号墳と呼ばれることになった。さらに、その後間もなく、発見された前方後円墳の西側約500メートルの丘陵のピーク部にも、前方後円墳らしい地形があることが、神奈川県内の考古学研究家から指摘された。最初に発見された1号墳と違って、地形からだけでは古墳と判断しにくく、そのうえ埴輪の破片など遺物が発見されていなかったため、すぐには古墳かどうかの判断がつかなかった。そこで1999年(平成11年)6月に墳丘と思われる場所を試掘してみたところ、葺石と埴輪が確認されたため、改めて古墳であることが確認された。後から確認された西側の古墳は、長柄桜山古墳群2号墳と呼ばれるようになりました。

◇相模国分寺跡

マンション計画中止 事業者、海老名市に廃止届(2024年1月30日 朝日新聞)

秋葉山古墳群第一号墳
長柄地図
長柄桜山古墳群第1号古墳

スケジュール

小田急線町田駅前集合(09:30)=海老名市(海老名市温故館・相模国分寺跡・秋葉山古墳群==逗子市桜山・三浦郡葉山町(長柄桜山古墳群/第1号墳・第2号、逗子市郷土資料館)= =横須賀(大塚古墳・横須賀市自然・人文博物館)=京急横須賀駅前(17:30頃)解散。

期日 2024年7月9日(火)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 8名
集合・解散 小田急線町田駅前 集合(09:30)
京急横須賀駅前  解散(17:30頃)
締め切り 2024年5月31日(金) 満員になり次第締め切ります。

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No13『那須・那珂川流域の古墳をめぐる』

◆ポイント

準備中

■みどころ

◇那須国造碑

今でも暴れ川として知られている渡良瀬川の出口であった江戸川(古代の太日川)を治め、千葉の国を支配した豪族の故地に、わずかに残った国府台古墳群がある。天平時代開基といわれる寺境内にある弘法寺古墳(6世紀後半)、文明11年(1479)太田道罐築城と伝えられる国府台城の中にある明戸古墳(6世紀末か)、埴輪が発見された法皇塚古墳(6世紀中頃)。奈良時代には国府や国分尼寺が置かれ、下総国の中心となるこの地域は、悠久の原始、古代の歴史を垣間見ることができる。

◇上総国・市原市国分台の古墳

7世紀末に活躍した那須直韋提の業績を讃えて建立された石碑です。多賀城碑、多胡碑とともに日本三古碑のひとつとされています。その形態や 書風から渡来人のかかわりが考えられています(国宝)。
水戸光圀らが発掘した侍塚古墳や、那須小川古墳群、駒形大塚古墳を初現とした那珂川流域に展開した古墳をめぐります。

◇那須国造碑

碑身と笠石は花崗岩で、19字×8行=152字の碑文が刻まれています。
永昌元年(689年)、那須国造で評督に任ぜられた那須直葦提の事績を息子の意志麻呂らが顕彰するために、700年に建立されたものです。「永昌」という元号は唐のものであるが、日本の元号は686年に天武天皇の崩御により701年の大宝まで停止されていたため、唐の元号を使用したと考えられています。
延宝4年(1676年)、僧侶・円順により発見され、その報を受けて水戸藩主の徳川光圀が笠石神社を創建して碑の保護を命じました。さらに碑文に記された那須直葦提、意志麻呂父子の墓と推定した上侍塚古墳と下侍塚古墳の発掘調査と史跡整備を家臣の佐々宗淳に命じています。碑は表面を下にして埋もれていたため、碑文が風化することなく保存されたと推定されます。なお考古学的には、上侍塚古墳と下侍塚古墳はいずれも5世紀の築造と推定されており碑の年代(7世紀)よりずっと前のものになる。
現在、笠石神社の神体として祀られ崇敬されている。

◇大田原市なす風土記の丘湯津上資料館

国宝に指定されている那須国造碑の建立と発見をテーマに展示を行う資料館です。那須国造碑が建立された時代背景や江戸時代の徳川光圀による侍塚古墳発掘の業績、さらに、周辺の遺跡や出土品も紹介しています。資料館付近には、国指定史跡下侍塚古墳があり、また、車で10分のところには、那須の古代文化を紹介する那珂川町なす風土記の丘資料館もあります。

◇侍塚古墳

那須国造碑解明のために江戸時代に徳川光圀が発掘しました。発掘調査後には出土した遺物に記し、墳丘に埋め戻して松の木を植え、史跡整備を行いました。これが日本で初めての学術的な発掘調査・史跡整備といわれています。(国史跡)

◇上侍塚古墳

4世紀末ころに造られた、全長114mの前方後方墳です。

◇下侍塚古墳

4世紀末ころに造られた、全長84mの前方後方墳です。

◇那珂川町なす風土記の丘資料館

栃木県北東部を南流する那珂川流域には、河川に沿って数多くの文化遺産が残されており、東北地方や北陸地方、南関東地方の文化の接点として各地域の影響を受けた独特の文化が縄文時代から連綿と続きました。特に那珂川と箒川が合流するなす風土記の丘周辺は、古墳時代には栃木県で最も古い時期に築造された駒形大塚古墳をはじめとして、前方後方墳が狭い範囲に次々と築造され、奈良時代には那須郡の役所である那須官衙遺跡が置かれるなどこの地域が古代那須国の中心地であったことを読みとることができます。資料館展示では、全体として那須の古代文化を概観できるようになっています。

◇那須小川古墳群(国史跡)

駒形大塚古墳、那須八幡塚古墳群、吉田温泉神社古墳群をあわせ「那須小川古墳群」として平成14年に国史跡に指定されました。

◇駒形大塚古墳

4世紀初めころに造られた古墳で、全長60.5mの前方後方墳です。関東地方でも最も古い時期に造られたと考えられています。画文帯四獣鏡(中国鏡)をはじめ、銅鏃、直刀など多数の副葬品が出土しています。

◇那須八幡塚古墳

4世紀中頃に造られた古墳で、全長60.5mの前方後方墳です。夔鳳鏡(中国鏡)や鋸、鉇などの小型鉄製工具類が発見されています。

◇那須官衙遺跡

那珂川と箒川の合流地点、右岸段丘上にあります。昭和の初期から古瓦が散布することから「梅曽廃寺跡」と呼ばれていました。昭和15年に発見された銅印は現在、国の重要文化財に指 定されています。昭和30年に寺院としての全容究明を目的とした発掘調査が行われ、さらに昭和42年から圃場整備のために行われた発掘調査によって、広範囲にわたり倉とみられる建物跡が確認されました。このことから当遺跡は寺院跡ではなく郡衙であることが明らかになり、昭和51年に国指定史跡となりました。郡衙の成立は7世紀末から8世紀初期、終焉は10世紀前半と考えられています。

那須国造碑(笠石神社)
上侍塚古墳
駒形大塚古墳_出土品-1

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前)集合(08:00)=霞ヶ関IC=霞ヶ関IC=東北自動車道路=西那須野塩原IC=大田原市(大田原市なす風土記の丘湯津上資料館・那須国造碑・下侍塚・上侍塚)=那須郡那珂川町小川((那珂川町なす風土記の丘資料館・那須小川古墳群<駒形大塚古墳、那須八幡塚古墳群、吉田温泉神社古墳群>・那須官衙遺跡)=矢板IC=霞ヶ関IC東北自動車道路=東京駅丸の内南口着・東京駅丸の内口(丸ビル前) 解散(18:00頃)。

期日 2024年7月16日(火)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 8名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前)  集合(08:00)
締め切り 2024年6月6日(木) 満員になり次第締め切ります。

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No14『多摩川流域の古代をめぐる1-古墳の変遷を探る-』

◆ポイント

多摩川流域の古墳群には、その築造された時期と形式による特徴がはっきりしています。下流域の亀甲山古墳、宝来山古墳などの前方後円墳が出現する前期中葉、中下流域の野毛大塚古墳に代表される帆立貝形古墳の継続的造営と畿内の影響を強く受ける副葬品が認められる中期前葉、竪穴系円墳を主体とする群集墳が築造された中期後葉、新たに横穴式石室墳が導入された後期高葉、横穴墓などの終末期。そして古墳の終末とともにかわって寺院が建立される時代を迎えます。
今回の旅では多摩川の流れにそって「古墳の変遷を探る」をテーマに古代を旅します。

■みどころ

◇多摩川台古墳群

多摩川下流域左岸の台地上に分布する古墳時代後期の古墳群。6世紀前半に円墳の2号墳、その後2号墳を前方部に利用した1号墳(全長39mの前方後円墳)、以降3~8号墳(直径15m前後の円墳)が7世紀中頃まで継続して築造された。調査が行われた古墳の石室からは装身具や武器・武具、馬具、土師器、須恵器などが出土、墳丘からは埴輪が発見された。

◇野毛大塚古墳

全長82メートル、直径66メートル、高さ11メートルの円墳に小さな前方部が付いた帆立貝式古墳(ほたてがいしきこふん)としては日本国内でも有数の規模を誇る。1897年(明治30年)に発掘調査がおこなわれ、石棺が見つかった。このときに見つかった多量の副葬品は、帝国博物館(後の東京国立博物館)に収蔵された。墳丘では葺石・埴輪を確認している。周りに馬蹄形の溝(周壕)がめぐらされている。また、後円部に埋葬用の棺が4基あり、その第1主体部は割竹型の木棺は長さ8.2メートル、幅0.8~0.6メートルの細長く、その中から短甲(たんこう)、冑(かぶと)、頸甲(あかべよろい)、肩甲、鉄剣、直刀19振り、鉄鏃25本以上、鉄製刀子、鉄鎌、銅鏡(内向花文鏡)、銅釧(どうくしろ)刀子・手斧などの石製模造品19点、竪櫛30点以上、玉類2000点以上、靫(ゆき)ないし矢筒などで出土した。箱式石棺からは勾玉・管玉・臼玉・鉄刀・剣・甲冑片などの武器・武具、玉類などのほか、滑石によってつくられた多種多様で大量の器具類が副葬品として納められていることを確認した。

◇狛江古墳群(こまえこふんぐん)

狛江百塚 (こまえひゃくづか)ともいい、東京都狛江市にある群集墳の形態をとる古墳群である。13基の古墳が現存し、12基の円墳、1基の帆立貝形古墳で構成される。かつては70基ほどの古墳が存在したが、宅地造成などによってその殆どが破壊されてしまった。
属する古墳は現在の狛江市域の全域に分布する。地質的にいえば全て立川段丘の台地に位置し、その台地に流れていた旧野川と清水川を境として和泉支群、猪方支群、岩戸支群の3つに分けられる。古墳の形状としてはその殆どが円墳であるが、一部亀塚古墳などのように帆立貝形古墳なども存在する。どの円墳も大抵ブリッジと呼ばれる構造を持っている。古墳群としては群集墳の形態を取り各地に古墳が分散している点や、群集墳にしては成立時期が早いといった点が特徴的である。

多摩川台公園古墳
野毛大塚古墳
狛江亀塚にある石碑

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前)集合 (08:00)=大田区(多摩川台公園古墳展示室・多摩川台古墳群〈亀甲山古墳・宝莱山古墳ほか〉)=世田谷区(世田谷区立郷土資料館・野毛大塚古墳・喜多見古墳群〈稲荷塚古墳・第六天塚古墳ほか〉)=狛江市(狛江古墳群〈兜塚古墳・亀塚古墳ほか〉玉川碑)=調布市(下布田古墳群〈狐塚ほか〉=東京駅丸の内口(丸ビル前) (17:30頃) 解散。

期日 2024年8月27日(火)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 8名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前)  集合(08:00)
締め切り 2024年7月17日(水) 満員になり次第締め切ります。

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特別企画】『漆山古墳発掘現場見学(高久健二先生臨地解説)と上野三碑をめぐる』

◆ポイント

群馬県(上野国)高崎市内にある、飛鳥時代から奈良時代に建てられ、漢文が刻まれた3基の石碑が上野三碑(こうずけさんぴ)です。山ノ上碑(山上碑)・多胡碑・金井沢碑の総称で日本に18例しか現存しない古代の石碑(金石文)(7世紀 ~ 11世紀)の中でも最古の石碑群です。いずれも国の特別史跡に指定されており、2017年にはユネスコ「世界の記憶」に登録されました。上信電鉄沿線に比較的隣接していますので電車、バス、徒歩で移動して見学します。また上信電鉄佐野の渡し駅の400㍍に漆山古墳が存在します。専修大学では毎夏、学生主流の発掘調査が行われ、大きな成果を上げています。その発掘現場をおとずれ、調査の指導にあたっておられる高久健二先生による臨地解説をしていただき、今年の発掘成果を学びます。発掘の成果の全貌がほぼわかる8月末に設定しました。

臨地講師

高久健二先生(専修大学教授)
略歴 1967年生まれ。
九州大学大学院文化科学研究科修士課程修了、韓国・東亜大学校大学院史学科博士課程修了・文学博士取得。
九州大学大学院比較社会文化研究科助手、埼玉大学教養学部准教授、教授を経て、現在、専修大学文学部教授。
専門は韓国・朝鮮考古学、東アジアの古墳文化。
主要著書『楽浪古墳文化研究』(学研文化社)他論文多数

期日 2024年8月28日(水)=日帰り
旅行料金 6,500円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 (JR高崎駅隣)上信電鉄高崎駅前集合・解散。
締め切り 2024年7月16日(月) 満員になり次第締め切ります。

■みどころ

◇山ノ上碑(やまのうえのひ)

高崎市山名町にある古碑です。隣接する山ノ上古墳と合わせて国の特別史跡に指定されています。日本国内で完全な形で残るものとしては最古の石碑とされています。輝石安山岩に縦4行53文字が刻まれています。書体は古い隷書体の特徴が見られます。
碑文に「辛己(巳)歳集月三日記」とあり、「辛巳年」にあたる天武天皇10年(681年)の建碑とされます。放光寺の僧侶・長利(ちょうり)が母の黒売刀自(くろめのとじ)のために墳墓の山ノ上古墳(下記参照)の近傍に建てたものとみられます。碑文はすべて漢字ですが、日本語の語順で読むことができ、日本独自の漢字の使用法を知る手掛かりとしても貴重です。

◇多胡碑(たごひ)

高崎市吉井町池字御門にある古碑です。多胡郡の建郡を記念して和銅4年(711年)頃に建碑されました。書道史の上からは日本三古碑の一つとされています。
身、笠石、台石からなり、碑文は上野国の片岡郡、緑野郡、甘良郡の三郡から300戸を分けて多胡郡を新設した内容で、『続日本紀』和銅4年(711年)3月辛亥(6日)条と一致しており、同書から711年頃の建立とされます。

◇金井沢碑

高崎市山名町にある古碑であり、国の特別史跡に指定されている。神亀3年(726年)2月29日建碑。台石にはめこまれ、文はその表面に陰刻されています。書体は古い隷書体の特徴が見られます。江戸時代の中ごろに出土し、かつては小川のほとりで付近の農家の洗濯板として使用されていたといいます。
その内容は、上野国群馬郡下賛(下佐野)郷高田里の三家(ミヤケ、屯倉)の子孫が、七世父母、現在の父母等のために天地に誓願して作る旨が記され、祖先の菩提と父母の安穏を仏に祈願している内容です。

◇漆山古墳(うるしやまこふん)

高崎市下佐野町、烏川東岸の河岸段丘上に築造された古墳です。烏川東岸一帯では帯状に古墳80基が分布して佐野古墳群が形成されましたが、現在では古墳群中最大の本古墳のほかにわずかしか残っていません。これまでに前方部の半分の墳丘が失われていましたが、2018年度(平成30年度)以降に専修大学により毎年夏期に発掘調査が実施されてきました。佐野古墳群では最終段階の築造と位置づけられ、築造当時としては古墳群を代表する盟主的古墳でした。当地域では6世紀後半頃にヤマト王権の直轄地として佐野屯倉が設置されたとされ、本古墳の被葬者はその管理者と推測する説があり、佐野屯倉の管理者の子孫が建碑したと見られる山上碑・金井沢碑の碑文との関連性が注目されています。

多胡碑
山ノ上碑覆屋・山ノ上古墳
漆山古墳・後円部墳頂の発掘調査

スケジュール

11:00)上信電鉄高崎駅改札口前集合…上信電鉄高崎駅=上信電鉄吉井駅…バスまたは徒歩…多胡碑・多胡碑記念館…バスまたは徒歩…上信電鉄吉井駅=上信電鉄西山名駅…バスまたは徒歩…山上碑…高崎自然歩道・石碑(いしぶみ)の道…金井沢碑…上信電鉄根小屋駅=上信電鉄佐野の渡し駅…漆山古墳(高久先生の臨地解説で発掘現場見学)…上信電鉄佐野の渡し駅=(17:30頃)上信電鉄高崎駅改札口前・解散。

No15『多摩川流域の古代をめぐる2-古墳の終末から寺院へ-』

◆ポイント

多摩川流域の古墳群には、その築造された時期と形式による特徴がはっきりしています。下流域の亀甲山古墳、宝来山古墳などの前方後円墳が出現する前期中葉、中下流域の野毛大塚古墳に代表される帆立貝形古墳の継続的造営と畿内の影響を強く受ける副葬品が認められる中期前葉、竪穴系円墳を主体とする群集墳が築造された中期後葉、新たに横穴式石室墳が導入された後期高葉、横穴墓などの終末期。そして古墳の終末とともにかわって寺院が建立される時代を迎えます。
今回の旅では多摩川の流れにそって「古墳の終末から寺院へ」をテーマに古代を旅します。

■みどころ

準備中

銅像釈迦如来倚像安置釈迦堂
熊野神社古墳
武蔵国の総社大国魂神社

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:00)=調布市(深大寺〈白鳳仏〉=三鷹市(三鷹天文台構内古墳)=府中市(熊野神社古墳展示館・熊野神社古墳)=国分寺市(大国魂神社・武蔵国府跡)・武蔵国分寺跡・武蔵国分寺跡資料館・東山道武蔵路跡)=東京駅丸の内口(丸ビル前) (17:30頃)解散。

期日 2024年9月17日(火)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 8名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前)  集合(08:00)
締め切り 2024年8月7日(水) 満員になり次第締め切ります。

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No1 『西毛(高崎・藤岡)の大型古墳をめぐる』』

◆ポイント

高崎市にある古墳で、渡来人集団を支配し、かつ大陸と積極的に交わった古代の毛野の首長の大型古墳・綿貫観音山古墳、藤岡市にあり毛野最大の七輿山古墳をはじめ、群集墳の分布が多い白石古墳群、この地を掌握した首長によって形成された倉賀野古墳群などを訪れます。

■みどころ

準備中

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)=関越自動車道=高崎IC=綿貫観音山古墳=観音塚考古資料館=倉賀野古墳群(浅間山古墳・大鶴巻古墳)=昼食=白石稲荷山古墳・藤岡歴史館・七輿山古墳・伊勢塚古墳=藤岡IC=関越自動車道=(18:00頃)東京駅丸の内口(丸ビル前) 解散。

期日 2024年10月16日(水)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)・解散(18:00頃)
締め切り 2024年9月9日(月) 満員になり次第締め切ります。

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No1 『西毛(高崎・藤岡)の大型古墳をめぐる』

◆ポイント

高崎市にある古墳で、渡来人集団を支配し、かつ大陸と積極的に交わった古代の毛野の首長の大型古墳・綿貫観音山古墳、藤岡市にあり毛野最大の七輿山古墳をはじめ、群集墳の分布が多い白石古墳群、この地を掌握した首長によって形成された倉賀野古墳群などを訪れます。

■みどころ

準備中

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)=関越自動車道=高崎IC=綿貫観音山古墳=観音塚考古資料館=倉賀野古墳群(浅間山古墳・大鶴巻古墳)=昼食=白石稲荷山古墳・藤岡歴史館・七輿山古墳・伊勢塚古墳=藤岡IC=関越自動車道=(18:00頃)東京駅丸の内口(丸ビル前) 解散。

期日 2024年10月16日(水)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)・解散(18:00頃)
締め切り 2024年9月9日(月) 満員になり次第締め切ります。

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No2 『上毛野の古墳(総社・保渡田古墳群・観音塚)の石室を見学する』

◆ポイント

前橋台地上の総社古墳群〈愛宕山古墳、宝塔山古墳、蛇穴山古墳の3基の方墳はこの時期としては県内最大〉、榛名山南麓の群馬町保土田・井出の地に分布し、広大な二重の堀を巡らし、多量の埴輪を立て並べていた三基の大型前方後円墳からなる保渡田古墳群〈二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳)、群馬県内では最後に造られた大型前方後円墳・観音塚古墳などと隣接の資料館を見学します。

■みどころ

準備中

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)=関越自動車道=高崎IC =総社古墳群(総社二子山古墳・愛宕山古墳・宝塔山古墳・蛇穴山古墳)=山王廃寺=上野国分寺・資料館=昼食=かみつけの里・保渡田古墳群(保渡田八幡山古墳・保渡田薬師塚古墳)=八幡観音塚古墳・観音塚考古資料館=高崎IC=関越自動車道=(18:00頃)東京駅丸の内口(丸ビル前) 解散。
・太字の古墳は横穴式石室内に入れる古墳です。

期日 2024年11月6日(水)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)・解散(18:00頃)
締め切り 2024年9月30日(月) 満員になり次第締め切ります。

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No3 『上毛野東部の大型古墳(太田天神山古墳を中心に)をめぐる』

◆ポイント

群馬県東部(東毛地域)には大型古墳が数多く築造されており、その被葬者はかつて上毛野といわれたこの地域を治めた王達と考えられます。なかでも東日本最大の前方後円墳、太田天神山古墳の被葬者は、王者の棺「長持形石棺」を用いていることから、その実力は抜きんでた存在であったことがうかがえます。この古墳を中心にそれと前後する王の古墳をめぐります。

■みどころ

準備中

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)=東北自動車道=館林IC=太田天神山古墳・女体山古墳=天良七堂遺跡(新田郡家跡)=二ツ山1号・2号墳=寺井廃寺=巖穴山古墳=鶴山古墳=亀山古墳=八幡山古墳=足利公園古墳群=佐野藤岡IC=東北自動車道=(18:30頃)東京駅丸の内口(丸ビル前)解散。

期日 2024年11月27日(水)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:00)・解散(18:30頃)
締め切り 2024年10月21日(月) 満員になり次第締め切ります。

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No4 『下毛野の大型古墳(「下野型古墳」)と寺院跡をめぐる』

◆ポイント

古代下野国の都賀郡と河内郡にあたる地域には6世紀後半に「下野型古墳」といわれる独特な型式の古墳が確立し、その後7世紀半ばまで有力な王の墓にはこの型式の古墳が継続します。そしてこの古墳の分布する地域は、奈良時代にはいると下野国分寺・国分尼寺、下野薬師寺といった仏教文化を花開かせた地でもあります。これら寺院跡と下野型古墳をめぐりながら、古代下野国の姿を実感します。

■みどころ

準備中

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)=東北自動車道=佐野藤岡IC=小山市・摩利支天塚古墳・琵琶塚古墳=甲塚古墳=しもつけ風土記の丘資料館=下野国分寺・国分尼寺=国分寺愛宕塚=山王塚古墳・丸塚古墳=吾妻岩屋古墳=御鷲山古墳=下野薬師寺跡・下野薬師寺歴史館=壬生IC=東北自動車道=(18:30頃)東京駅丸の内口(丸ビル前)解散。

期日 2024年12月18日(水)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:00)・解散(18:30頃)
締め切り 2024年11月11日(月) 満員になり次第締め切ります。

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【『国内・遺跡史跡の旅』シリーズ】
No1「世界遺産・沖ノ島関連遺産と福岡・熊本の装飾古墳、吉野ヶ里、志賀島を巡る旅」

旅のポイント

福岡、佐賀、熊本3県の歴史遺産の魅力を3日間でご堪能いただきます。
弥生時代の奴国王墓・須玖岡本遺跡。
九州北部では最大規模の古墳で筑紫君磐井の墓といわれる岩戸山古墳。
弥生時代の大規模な環濠集落で今も新しい発見が期待される吉野ヶ里遺跡。
熊本・福岡の装飾古墳(オブサン・チブサン古墳、王塚古墳、珍敷塚古墳など)。
金印出土の志賀の島、そして世界遺産の宗像・沖ノ島関連遺産……見どころ満載の旅行です。

旅程

1日目

羽田空港(09:00)→全日空245便→(10:50)福岡空港=春日市(板付遺跡)=春日市(奴国の丘歴史資料館・須玖(すぐ)岡本遺跡)=佐賀県神崎郡(吉野ヶ里歴史公園・吉野ヶ里遺跡)=福岡県八女市(岩戸山古墳・八女市岩戸山歴史文化交流館いわいの郷)=菊池温泉(菊池グランドホテル泊予定)

2日目

菊池温泉= 熊本県山鹿市(熊本県立装飾古墳館・オブサン・チブサン古墳)=福岡県嘉穂郡桂川町(王塚古墳、王塚装飾古墳館)=福岡県うきは市(うきは市立吉井歴史民俗資料館・珍敷塚古墳)=福岡(福岡市博物館)=宗像市玄海(ロイヤルホテル宗像泊予定)

3日目

宗像市内=志賀島(金印公園・志賀海神社)=宗像市(宗像大社・神宝館(沖ノ島出土祭祀遺物)=神湊漁港~市営渡舟~大島(宗像大社中津宮、沖津宮遙拝所)=大島港~市営渡舟~神湊漁港=福津市(新原・奴山古墳、宮地嶽神社・宮地嶽古墳)=福岡空港(18:00)→全日空266便→(19:40)羽田空港着・解散。

◇みどころ

須玖岡本遺跡・奴国の丘歴史公園

弥生時代の遺跡密集地、須玖(すぐ)遺跡群内の東西にのびた支丘上に位置、中核をなす遺跡が須玖岡本遺跡です。国史跡。弥生時代中期の甕棺墓や土壙墓・木棺墓などの埋葬遺跡からなる墓地でこれに伴う祭祀遺構の遺跡。

吉野ヶ里遺跡

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。およそ117ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡で知られる。1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見され、現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園である。

岩戸山古墳・岩戸山歴史資料館

九州地方北部最大規模の古墳で、東西を主軸にし、後円部が東に向けられている。2段造成で、北東隅に「別区(べっく)」と呼ばれる一辺43メートルの方形状区画を有する。築造年代は須恵器の年代観から6世紀前半と見られ、被葬者と推定される筑紫君磐井に関する記録とも一致している。墳丘・周堤・別区からは一般に「石人石馬」と総称される当地周辺特有の石製品が100点以上出土しており、岩戸山歴史資料館に置かれている。

珍敷塚古墳

古墳時代後期(6世紀)に造られた円墳。現在奥と右側の壁のみが残されています。珍敷塚古墳の最大の特徴は、奥の壁に描かれた壁画で、古代人の信仰思想の一端をうかがい知ることができる貴重な資料です。

王塚古墳

王塚古墳の最大の特徴は、石室のほぼ全面に施された壁画である。描かれている図像は馬、靫(ゆぎ)、盾、刀、弓などのほか双脚輪状文、蕨手文、三角文、円文などの幾何学的文様。 2005年7月現在、日本で確認されている装飾古墳の壁画で使われている色は6色(赤・黄・緑・青・黒・白)あるが、そのうち青を除く5色が使われており、国内最多である。

吉野ヶ里遺跡全景
吉野ヶ里遺跡全景
岩戸山古墳西側より
岩戸山古墳西側より
珍敷塚古墳
珍敷塚古墳
王塚古墳玄室
王塚古墳玄室

志賀島

福岡県福岡市東区に所属する島(半島)である。博多湾の北部に位置し、海の中道と陸続きである。古代日本(九州)の大陸・半島への海上交易の出発点として、歴史的に重要な位置を占めていた。また島内にある志賀海神社は綿津見三神を祀り、全国の綿津見神社の総本宮である。金印出土地で実物は福岡市博物館に展示されている。

世界遺産・宗像と沖ノ島関連遺跡

沖ノ島出土祭祀遺物を一括展示する宗像大社・神宝館、神湊漁港から渡舟で大島(宗像大社中津宮、沖津宮遙拝所)に渡ります。福津市では新原・奴山古墳、新原・奴山古墳・宮地嶽古墳を見学します。

漢委奴国王印
漢委奴国王印
宗像大社中津宮、沖津宮遙拝所
宗像大社中津宮、沖津宮遙拝所
像大社辺津宮 神宝館
像大社辺津宮 神宝館
王塚古墳玄室
宮地嶽神社
期間 2024年3月22日(金)~3月24日(日)=3日間
旅行料金 163,000円
(2名1室・2名でお申し込みの場合のお一人料金)
一人部屋追加料金 3,200円(1名1室 お一人様申し込みの場合の追加料金)
食事 全食(朝2回、昼3回、夕2回)付
集合・解散 羽田空港発着
利用航空機会社 全日空(NH)など。
最少催行 10名
定員 15名
添乗員 羽田空港より『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年2月13日(火)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※福岡空港より中型バス利用(24名乗り)利用予定。

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No2「魏志倭人伝の道-対馬国から一支国・末蘆国・伊都国へ-」

旅程スケジュール

1日目

福岡空港(07:25)→全日空ANA241→(09:20)福岡空港(09:55)→全日空ANA4933→(10:30)対馬空港=万関橋=豊玉町(昼食、和多都美神社)=韓国展望所=上対馬町(塔の首遺跡)=上対馬町(上対馬/花海荘泊)

2日目

上対馬町=峰町(ガヤノキ遺跡・チゴノハナ遺跡・峰町歴史民族資料館)=小船越=厳原町(昼食)=金田城=厳原町(厳原町/ホテル金石館泊)

3日目

厳原町=美津島町(出居塚・根曽古墳群)=厳原町(対馬藩宗家墓所・万松院・対馬藩お船江跡・昼食)=厳原港(13:15)~ジェットフォイル~(14:20)芦辺港=郷ノ浦町(壱岐市立一支国博物館)=岳の辻遺跡=原の辻遺跡=双六古墳=掛木古墳=郷ノ浦(郷ノ浦/ステラコート太安閣泊)

4日目

郷ノ浦=印通寺港(06:50)~フェリー~唐津港(08:30)=唐津市(朝食・菜畑遺跡、双水古墳、桜馬場遺跡)=新町遺跡=志登支石墓群=伊都国歴史博物館=三雲井原遺跡=平原遺跡=福岡空港(18:30)→全日空ANA266便→(20:10)羽田空港着、解散。

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

◇みどころ
1日目

万関橋

明治後期、南下政策をとるロシアとの戦争の機運が高まり、日本海軍は水雷艇を対馬海峡東水道に出撃させるため、久須保水道(万関瀬戸)を開削しました。この万関橋は、その開削された瀬戸に架かり、対馬の上下島を結んでいます。

和多都美神社

浅茅湾の入り江にある、海の女神・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祀る古社です。竜宮伝説が残っており、入り江の水面に鳥居が佇む美しい外観が特徴です。

韓国展望所

韓国まで49.5㎞の至近距離にある「国境の町」上対馬町の展望所、からは、天気のよい日には韓国釜山市の町並みが望ます。

塔の首遺跡

比田勝港の北東、西泊湾を望む低い岬上に位置し、弥生時代の後期前半の石棺が5基発見されました。広形(ひろがた)銅矛2本の他、銅釧(くしろ)・方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)・8000個におよぶガラス小玉・管玉・水晶製棗(なつめ)玉・鉄斧・弥生土器・朝鮮半島系土器など多くの遺物が棺内外から発見されました。

万関橋
和多都美神社
和多都美神社
韓国展望所
韓国展望所
塔の首遺跡
塔の首遺跡

2日目

小船越

浅茅湾と対馬海峡が接する陸峡部にあり、古代より日本本土と朝鮮半島・中国大陸を往来する海上交通の要衝でした。小船越に着くと、小さな船は陸揚げして対岸へ運ばれ、大きな船は人と荷物だけを対岸の別の船に載せて、朝鮮半島を目指しました。小さな船が丘を越えていったので、「小船越」という地名になった、とされています。

金田城

浅茅湾西側の外浅茅の南縁の城山(じょうやま)の山上に築城された古代山城である。飛鳥時代の天智天皇6年(667年)に築城された朝鮮式山城で、西日本各地に築城された一連の古代山城のうちでは朝鮮半島への最前線に位置する。

小船越
小船越
峰町歴史民族資料館
峰町歴史民族資料館

金田城
金田城

金田城・城山山頂から浅茅湾・朝鮮半島方向を望む
金田城・城山山頂から浅茅湾・朝鮮半島方向を望む

3日目

万松院

対馬府中藩宗氏の菩提寺であり、歴代藩主の墓所は、国の史跡に指定。境内の大スギは樹齢1200年といわれ、長崎県指定天然記念物となっている。

対馬藩お船江跡

久田川河口にあり、人工の入江に4基の突堤と5つの船渠(せんきょ)がある。築堤の石積みは当時の原形を保ち、往時の壮大な規模を窺うことができる。対馬藩は多くの公用船を所有し、大阪・博多・長崎・釜山等各方面を航海したため、この船江に入渠して船体の手入れをしていた。陸上には造船場があり、船大工や水夫たちの納屋があったという。

双六古墳

壱岐市勝本町立石東触にある長崎県最大規模の前方後円墳。6世紀後半頃の築造と推定される。大陸産・新羅産の遺物は当時の海外交渉を伝えるものとして重要視される。

掛木古墳

6世紀後半~7世紀前半頃に築造された円墳。築造当時は直径30m程の規模であったと想定されている。石室は、前室・中室・玄室の三室構造両袖式の横穴式石室で玄室には島内唯一のくり抜き式家形石棺がそのまま残っている。

万松院
万松院
対馬藩お船江跡
対馬藩お船江跡
双六古墳
双六古墳
掛木古墳石室
掛木古墳石室

壱岐市立一支国博物館

「魏志倭人伝」に記された一支国の王都跡とされる原の辻遺跡や壱岐島内の遺跡に関する資料や出土品を収蔵展示している。

原の辻遺跡(はるのつじいせき)

壱岐島東部・幡鉾川下流にある、弥生時代前期から古墳時代初期にかけての大規模環濠集落を中心とする遺跡である。『魏志倭人伝』に登場する「一大国」の国都とされている。国の特別史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されている。

岳の辻遺跡・展望台

一支国博物館
一支国博物館
一支国博物館 土器展示室
一支国博物館 土器展示室
原の辻遺跡中心域 遠景
原の辻遺跡中心域 遠景
岳ノ辻展望台
岳ノ辻展望台

4日目

菜畑遺跡

縄文時代末期 - 弥生時代の遺跡である。国の史跡。唐津市中心市街地の西2キロメートルほどのところに位置する。縄文時代の水田跡が発見されており、日本最古の水稲耕作遺跡とされる。魏志倭人伝に出てくる末盧国に因んだ末盧館という資料館が建てられ、この遺跡から出土した炭化米や石包丁、鍬、鎌などの農業用具ほか発掘に関連した資料が展示され、竪穴建物や水田跡も復元されている。

双水古墳

志登支石墓群(しとしせきぼぐん)

糸島半島の付け根に広がる糸島平野を流れる瑞梅寺川左岸の沖積平野の微高地にある。 外来墓制である本支石墓群は、弥生時代前期~中期と推定され、国の史跡指定。

伊都国歴史博物館

糸島平野は、『魏志』倭人伝の百余国の一国と想定されている「伊都国」の所在地とする説が有力で、その王墓と推定されている三雲遺跡の甕棺墓から前漢鏡35面とともにガラス壁、金銅四葉座飾金具、ガラス勾玉、管玉、細形銅戈、中細銅戈などが出土している。博物館では国宝に指定された平原遺跡出土の銅鏡、勾玉その他の出土品や遺跡の発掘時の復元模型などが展示されている。平原遺跡出土の直径46.5センチメートル、重さ8キログラムの大型内行花文鏡は日本一大きな銅鏡である。糸島市に8件ある国指定の史跡の発掘品、市内からの出土品のほか、近世以降の日常的な生活用具の収蔵・展示も行われている。

平原遺跡(ひらばるいせき)

倭国の中で勢力を誇ったクニの1つ、伊都(イト)国は、倭国の形成前から奴国と同様に独自の外交を行い、中国や朝鮮半島から青銅器、ガラス製品、鉄器、土器など様々な物資を輸入していました。そして倭国の形成後も外交や交易の中心拠点として重要な位置を占めました。伊都国について、中国の歴史書『魏志』では「代々、王がいた」ことが記されています。倭国の中でも重要な地位を占めた伊都国王の墓だと見られているのが平原遺跡1号墓です。

菜畑遺跡 復元された水田跡
菜畑遺跡 復元された水田跡
伊都国歴史博物館
伊都国歴史博物館
平原方形周溝墓出土内行花文鏡10号鏡 (国宝)
平原方形周溝墓出土内行花文鏡10号鏡 (国宝)
平原遺跡1号墓
平原遺跡1号墓

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

期日 2024年3月26日(火)~3月29日(金)=4日間
旅行料金 旅行料金 183,000円
(上対馬2~4名相部屋、厳原・壱岐2名1室のお一人料金)
一人部屋追加料金 3,200円(厳原・壱岐泊のみの追加料金)
食事 全食(朝4回、昼4回、夕3回)付
集合・解散 羽田空港 集合・解散
福岡空港発対馬空港行き第1便が早朝のため、希望者は福岡前泊手配承ります。
利用航空機会社 全日空(NH)など。
最少催行 10名
定員 15名
添乗員 羽田空港より『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年2月20日(火)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

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No3「丹後半島に巨大古墳を訪ねる」

◆ポイント

京都府北部の丹後半島には、古代の潟湖(ラグーン)を港として日本海交易を展開した勢力が存在しました。「日本海三大古墳」と言われる巨大古墳を中心に、それに先立つ弥生時代の墳丘墓や製鉄遺跡、大陸との交流がうかがわれる遺物を展示する博物館などを訪れます。
さらに「元伊勢籠神社」とも称される籠神社(このじんじゃ)、浦嶋伝説、天女伝説が残る神社なども訪れます。また天橋立、伊根の舟屋集落といった美しい風景、日本海の幸をも堪能いただきます。

みどころ

◇天橋立

京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6キロメートルの湾口砂州[。日本三景の一つであり、観光客数は京都市を除いた京都府内の観光地で第1位である。

◇籠神社(このじんじゃ)

式内社(名神大社)、丹後国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
元伊勢の一社で「元伊勢籠神社」とも称し、また「元伊勢根本宮」「内宮元宮」「籠守大権現」「籠宮大明神」とも称する。現在まで海部氏(あまべうじ)が宮司を世襲している。

◇伊根・舟屋の集落

伊根湾(伊根浦)の海辺に230軒余りの「舟屋」が5キロにわたって湾を取り囲むように建ち並んでいます。舟屋は1階が舟と漁具置き場、2階が住居となっており、何百年もの間、漁師たちによって守られてきました。日本の原風景。

◇「日本海三大古墳」
・神明山古墳(しんめいやまこふん)

竹野川河口付近にあり、墳丘長は190m、日本海側では最大級の大型前方後円墳です。3段築成、墳丘外表では葺石のほか、円筒埴輪・形象埴輪(家形・盾形・蓋形埴輪など)・石製模造品・弥生土器などが検出されています。丹後型円筒埴輪の破片が見られるほか、舟を漕ぐ人物の線刻を有する破片も見られます。古代の潟湖(ラグーン)に対して葺石で覆われた墳丘の横面を見せる形式をとっており、潟湖を港として日本海交易を展開した様子が示唆されます。

・網野銚子山古墳(あみのちょうしやまこふん)

福田川河口付近の丘陵上に築造された巨大前方後円墳です。日本海側および京都府では最大規模の前方後円形です。墳丘長は201mを測り、神明山古墳(190m)とともに日本海側では最大級の規模です。墳丘外表では葺石・円筒埴輪列(推計2,000本)が検出され、埴輪のうちでは丹後型円筒埴輪が認められます。古墳時代中期の4世紀末-5世紀初頭頃(または4世紀後半頃)の築造と推定され、蛭子山1号墳(4世紀中葉)に続き、神明山古墳(4世紀末-5世紀初頭)に先立つ2番目の築造になります。

・蛭子山1号墳(えびすやまこふん)

神明山古墳・網野銚子山古墳と合わせて「日本海三大古墳」と総称されます。台地上では1号墳を含む古墳8基が分布しています。古代の丹後半島では、日本海交易により伸長した勢力が存在したことが知られ、三大古墳はその様子を物語ります。3段築成、墳丘長145m、丹後半島では網野銚子山古墳(201m)・神明山古墳(190m)に次ぐ第3位の規模です。墳丘各段には埴輪列が巡らされているほか、墳丘外表には川原石の葺石が認められます。3基の埋葬施設が認められており、そのうち中央の第1主体では舟形石棺および銅鏡・大刀などが発見されている。

◇赤坂今井墳墓

福田川と竹野川の分水嶺付近、中郡盆地から網野町方面に抜ける細い谷を見下ろす丘陵尾根の先端部上に立地する弥生時代後期末の墳丘墓です。墳丘規模は、底辺が南北39m・東西36m・高さ4mで、墳頂部に南北27m・東西25mの平坦面を持っています。埋葬施設は、墳頂部の平坦面に6基、墳丘裾の平坦面に19基が確認されています。初葬と思われる第1埋葬の西辺には、葬送儀礼に伴うと考えられている柱穴が南北に4基並んでいます。第1埋葬の墓壙上から河内・生駒西麓産、もしくは讃岐・香東川下流域産など、多くの他地域からの搬入土器が出土しました。第4埋葬からは、頭飾りと垂飾具(耳飾り)が被葬者に装着された状態で出土し、その頭飾りは、緑色溶結凝灰岩製管玉・緑色の鉛バリウムガラス製勾玉・青色の鉛バリウムガラス製管玉で構成されていました。古代中国の顔料「漢青」が使用され、棺底部中央には、三重県・丹生鉱山産の辰砂から調製された朱が敷きつめられていました。

旅程スケジュール

1日目

JR京都駅中央改札口前集合(11:00)・京都駅(12:25)-特急はしだて5号(車中・弁当昼食)-(14:30)JR天橋立駅=西国第28番札所・成相寺=真名井神社=京都府立丹後郷士資料館・丹後国分寺跡・式内社籠神社=天橋立
(天橋立・ベイホテル泊予定)

2日目

天橋立=伊根町(舟屋集落・浦嶋伝説の宇良神社)=丹後町(丹後古代の里資料館・神明山古墳)=網野町(黒部銚子山古墳)=弥栄町(奈具岡遺跡、天女伝説の奈具神社、遠所遺跡)=峰山町(赤坂今井墳丘墓・大田南古墳群)=天橋立
(天橋立・ベイホテル泊予定)

3日目

天橋立=大風呂南遺跡=与謝野町立古墳公園(はにわ資料館・蛭子山古墳・作山古墳群)⇒JR宮津駅(13:53)-特急はしだて4号-(16:05)JR京都駅・解散。

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

籠神社拝殿
籠神社拝殿
海沿いに立ち並ぶ舟屋
海沿いに立ち並ぶ舟屋
天橋立
天橋立
網野銚子山古墳
網野銚子山古墳
赤坂今井墳墓 朱床の頭部に残った頭飾り
赤坂今井墳墓 朱床の頭部に残った頭飾り
作山1号墳出土丹後型埴輪と合子型埴輪
作山1号墳出土丹後型埴輪と合子型埴輪
期日 2024年5月22日(水)~5月24日(金)=3日間
旅行料金 88,000円(海側2名1室、おひとり様料金)
一人部屋追加料金 3,000円(山側1名1室、2泊分)
食事 全食付
朝1回:ホテルレストランでバイキング料理
昼3回(車中弁当1回含む)
夕2回(郷土料理含む)
集合・解散 京都駅集合/京都駅解散。
利用ホテル 天橋立・ベイホテルまたは同等クラス
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 京都駅より京都駅まで『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年4月12日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※JR切符料金は全区間、旅行費に含まれていません。
催行決定後、各自で発着地より全区間の切符のご購入をお願いいたします。

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No4「日向・大隅国の『天孫降臨の神話』をめぐる」

★ポイント

記紀神話にみられる『天孫降臨』神話のふるさとを日向・大隅国(宮崎・鹿児島県)に訪ねます。渓谷が美しい高千穂峡、南国的な海岸が美しい日南海岸、爽やかな高原から眺める秀麗な霧島連峰といった自然美と、天岩戸神社、高千穂神社、宮崎神宮、鵜戸神宮、霧島神社、鹿児島神宮など神話にまつわる古社をめぐります。また西都原古墳群、上野原縄文の森といった遺跡も訪れます。

みどころ

◇天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)

岩戸川を挟んで東本宮と西本宮がある。西本宮が拝する天岩戸に由来する。

◇高千穂の夜神楽

国の重要無形民俗文化財に指定されている「高千穂の夜神楽」。三十三番の神楽の中から代表的な4番「手力雄の舞」「鈿女の舞」「戸取の舞」「御神体の舞」を公開しています。

◇西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)

標高70メートル程の洪積層の台地上に分布する日本最大級の古墳群である。第81号墳を現状最古として、4世紀初頭から7世紀前半にかけての築造と推定されている。現在、高塚墳319基が現存し、その内訳は前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基であるが、他に横穴墓が10基、南九州特有の地下式横穴墓が12基確認されている。宮内庁により「男狭穂塚陵墓参考地」(被葬候補者:瓊瓊杵尊)として陵墓参考地に治定されており、南側の女狭穂塚陵墓参考地(女狭穂塚古墳)と隣接する。女狭穂塚古墳とともに九州地方では最大規模の古墳であるとともに、帆立貝形古墳としては全国で最大規模の古墳で、5世紀前半(古墳時代中期)頃の築造と推定される。

◇宮﨑神宮(みやざきじんぐう)

社伝によれば、鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地で、後に九州に下向してきた皇孫の建磐龍命(阿蘇神社の祭神)がその縁にちなんで創祀したといい、崇神天皇の時代に初めて、社殿が創建され、景行天皇の熊襲征討に際して重ねて造営がなされ、さらに応神天皇の時代からは『国造本紀』に載せる日向国造の祖、老男命(おいおのみこと)が祀るようになったと伝える。

◇霧島神社(きりしまじんじゃ)

かつて日向国にあった神社(式内社)である。また、霧島神宮の旧社名でもある。
国史の初見は『続日本後紀』承和4年(837年)8月1日条で、「日向国子湯郡都濃神。妻神。宮埼郡江田神。諸県郡霧島岑神。並預官社(都農神社・都萬神社・江田神社・霧島岑神社を官社に預かる)」とし従五位上を授けられたと記載されている。

旅程スケジュール

1日目

羽田空港(10:00)→全日空(NH643)→(11:40)熊本空港=高千穂町(高千穂峡、天岩戸神社、天安川原、高千穂神社、くしふる神社、国見ケ丘)
(夜、夜神楽鑑賞)(高千穂町宿泊)

2日目

高千穂町=延岡=日向=日向・馬ケ背の断崖絶壁=都農・都農神社=西都市・都萬神社、西都原古墳群(男狭穂古墳・女狭穂古墳<外部>、鬼岩古墳、酒元ノ上横穴墓<内部>など) =宮崎市内 
(宮崎市内泊)

3日目

宮崎市=日南海岸(江田神社、宮崎神宮、鵜戸神宮、青島神社)=宮崎=高原町(狭野神社、王子原神社、霧島東神社)=霧島温泉
(霧島温泉泊)

4日目

霧島温泉=霧島市・霧島神社、高千穂川原、蛭子神社、鹿児島神宮、大隅国分寺址、上野原縄文の森=鹿児島空港(16:20)→全日空機(NH628)→(18:10)羽田空港・解散。

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

高千穂峡
高千穂峡
高千穂神社の夜神楽
高千穂神社の夜神楽
天岩戸神社本宮
天岩戸神社本宮
東之宮古墳_出土鏡_(複製)
東之宮古墳_出土鏡_(複製)
鵜戸神宮
鵜戸神宮
霧島神宮
霧島神宮
期日 2024年5月28日(火)~5月31日(金)=4日間
旅行料金 145,000円
一人部屋追加料金 6,000円
食事 全食(朝3回、昼4回、夕3回)郷土料理含む)
集合・解散 羽田空港発着→集合・解散
利用航空機会社 全日空(NH)など。
利用ホテル 高千穂町:ソレスト高千穂ホテルまたは同等クラス
宮崎市内:ホテルルートイン宮崎橘通または同等クラス
霧島市:ホテル京セラまたは同等クラス
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 羽田空港より『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年4月19日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

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No5「邪馬台国に抗った狗奴国を東海地方に探る」

★ポイント

邪馬台国の所在地に畿内説、九州説があるように、その邪馬台国に敵対した狗奴国の所在地にも諸説がある。今回は有力な候補、東海説の有力候補・東海地方に狗奴国を訪ねます。
「その南に狗奴国あり。男子を王となす、その官に狗古智卑狗あり。女王に属さず。(中略)その八年(正始8年)、太守王頎官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼ともとより和せず、倭の載斯・烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。……」(『魏志』東夷伝倭人条)

みどころ

◇安城市/桜井古墳群・古井遺跡群

葺石や埴輪を伴わないことなどから前期を中心とした古墳群と見られる。中心的な二子古墳(前方後方墳)は最古級に位置づけられています。東側に展開する古井遺跡群は古墳群の母体となる集落であると考えられ、膨大な量の遺物が出土、中でも他地域から搬入された土器、とくに北陸系土器や畿内系の叩き甕が非常に多く出土、単に大きな集落遺跡というのではなく、西三河の中の拠点的集落と見られています。

◇犬山市/青塚古墳

墳長123メートルの前方後円墳で、愛知県内では断夫山古墳に次いで2番目の規模の古墳です。古墳時代前期、4世紀半ばに造営された青塚古墳群の首長墳と考えられています。

◇犬山市/東之宮古墳

白山平の山頂にある全長約78メートルの前方後円墳で、愛知県内で最古(4世紀初め)の部類に属します。11面の鏡、うち三角縁神獣鏡が5面出土しており,畿内との関係の深さが予想されます。濃尾平野にしか分布しない人物禽獣文鏡が4面も存在し,鳥頭の表現をもつ最古の四面形鏡、東濃地域に産する緑色岩を加工した石製品などの出土品から被葬者は,この地で最先端の技術集団を把握し得た人物であったと想像されます。長大な割竹形木棺、多量の水銀朱を豊富に使用していたことからもその権力が推察できます。

◇大垣市/昼飯大塚古墳

全長約150メートル、岐阜県最大の前方後円墳です。墳丘は3段で築造され、周囲には壕を巡らせていました。竪穴式石室と粘土槨そして木棺直葬の3棺が確認されています。勾玉や管玉、ガラス玉、鉄剣や鉄刀など副葬品が多数見つかっています。また、古墳の上からは円筒埴輪のほか、家・盾・甲胃形埴輪など豊富な形象埴輪が出土しています。

◇養老町/象鼻山古墳群

南宮山の東南端に位置する象鼻山(別庄山)の山頂にある古墳群で、古墳時代前期から古墳時代後期(3世紀末から6世紀)にかけて300年以上の期間、数度にわたって築造されてきた約62基の古墳からなっています。墳形様式は前方後方墳・円墳・方墳。標高約142mの山頂にある第1号墳を基幹古墳とし、山頂から下るに従い古墳の築造時期が新しくなってきています。第1号古墳は古墳群最大最古の古墳で築造時期は古墳時代前期、墳形は前方後方墳、全長約42.80m。象鼻山は東に広大な濃尾平野が広がり、また頂上からは旧伊勢湾を眺望でき、東西交通、軍事の重要な地となっていたと見られます。

◇松坂市/片部貝蔵遺跡・向山古墳・宝塚古墳

古墳時代前期の遺跡で「田」の文字が記された墨書土器を出土した片部貝蔵遺跡、伊勢湾西岸のほぼ中央部、雲出川の南岸に沿いながら、東に張り出した標高約50メートルの台地先端部に所在する前方後方墳・向山古墳、全長140センチメートル、高さ90センチメートルの日本最大、独特の装飾がなされた船形埴輪(松阪市はにわ館に展示)が出土した宝塚古墳などがあります。

旅程スケジュール

1日目

JR新幹線三河安城駅(11:15)集合=安城市・安城市歴史博物館(人面文土器展示)、古井 遺跡群、国史跡桜井二子古墳=犬山市・青塚古墳、大縣神社、東之宮古墳
(犬山市内泊)

2日目

犬山市=大垣市・昼飯大塚古墳(史跡整備中)=養老町・象鼻山古墳群(象鼻山散策・出土 遺物の見学)=弥富市・愛知県埋蔵文化財調査センター(東海系土器・S字甕などの出土遺 物展示)=松坂市
(松阪市内泊)

3日目

松阪市(旧嬉野町)・片部貝蔵遺跡、西山古墳、向山古墳、嬉野考古館(「田」が書かれた墨 書土器展示)、松阪市はにわ館(舟形)・宝塚古墳=(16:00頃)近鉄伊勢中川駅前・解散

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

東之宮古墳_出土鏡_(複製)
東之宮古墳_出土鏡_(複製)
昼飯大塚古墳
昼飯大塚古墳
象鼻山古墳群
象鼻山古墳群
宝塚古墳出土舟形埴輪 
宝塚古墳出土舟形埴輪 
期日 2024年6月12日(水)~6月14日(金)=3日間
旅行料金 115,000円(2名1室の場合の1名様旅費)
一人部屋追加料金 4,300円
食事 全食(朝2回、昼3回、夕2回)付
集合・解散 新幹線三河安城駅集合/近鉄伊勢中川駅前解散。
利用ホテル 犬山市内:ホテルミュースタイル犬山エクスペリエンスまたは同等クラス
松坂市内:フレックスホテルまたは同等クラス
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 JR三河安城駅より近鉄伊勢中川駅前まで『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年5月2日(木)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

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No6-世界文化遺産 百舌鳥・古市古墳群と三島・今城塚古墳―
「大阪に倭の五王と継体大王の王陵をめぐる」

★ポイント

大阪府下の大王陵、三島(高槻市)の継体大王陵と、「倭の五王」の天皇陵をはじめとする巨大古墳が密集する河内(藤井寺市・堺市)の百舌鳥・古市古墳群を訪れます。日本海から琵琶湖、淀川水系の水運、河内湖から瀬戸内、九州・朝鮮・中国へ-鉄・須恵器、ガラス、渡来人、仏教へと想いを馳せながらの旅です。

みどころ

◇今城塚古墳

大阪府高槻市郡家新町(ぐんげしんまち)にある前方後円墳。国の史跡に指定されている。造営時の6世紀前半では最大級の古墳である。宮内庁の治定は受けていないが第26代継体天皇の真の陵とする説が有力で、発掘調査や一般人の立ち入りが可能な大王陵になる。

◇大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)

百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、日本最大の古墳にして、世界最大級の墳墓である。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)として仁徳天皇の陵墓に治定されている。仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)や仁徳陵古墳とも言う。
ユネスコは2019年7月6日、仁徳天皇陵古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産として登録することを決定した。

◇叡福寺北古墳(えいふくじきたこふん)

磯長谷古墳群を構成する古墳の1つ。宮内庁により「磯長墓(しながのはか)」として第31代用明天皇皇子・第33代推古天皇皇太子の聖徳太子(厩戸皇子)の墓に治定されている。考古学的にも厩戸皇子の墓の可能性が高い古墳として知られる。

◇誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)

古市古墳群を構成する古墳の1つ。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により第15代応神天皇の陵に治定されている。名称は「応神天皇陵(おうじんてんのうりょう)」とも呼ばれることがあり、大仙陵古墳(大阪府堺市)に次ぐ全国第2位の規模である巨大古墳。

旅程スケジュール

1日目

JR新大阪駅新幹線改札口前(11:40集合)=高槻市(今城塚古墳・古代歴史館・新池埴輪公園・大田茶臼山古墳)=堺市内
(堺市内2連泊)

2日目

堺市内・百舌鳥古墳群(堺市役所展望ロビー、御廟山古墳…いたすけ古墳…履中陵古墳…七観古墳…グワショウ古墳…堺市博物館…大仙陵古墳<伝仁徳天皇陵>)=近つ飛鳥博物館=太子町(推古陵・叡福寺<聖徳太子墓>)=堺市内
(堺市内泊)

3日目

堺市内=藤井寺市(津堂城山古墳・雄略陵古墳・允恭陵古墳…仲姫陵古墳…小室山古墳…藤井寺市生涯学習センター=誉田御廟山古墳<(伝応神天皇陵>=(17:30頃)新大阪駅前・解散。

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

今城塚古墳後円部
今城塚古墳後円部
埴輪列・今城塚古墳
埴輪列・今城塚古墳
大仙陵古墳
大仙陵古墳
水鳥埴輪・近つ飛鳥博物館
水鳥埴輪・近つ飛鳥博物館
西墓山古墳洲退部・鉄製品の埋葬(レプリカ)
西墓山古墳洲退部・鉄製品の埋葬(レプリカ)
応神天皇陵・空撮
応神天皇陵・空撮
期日 2024年6月19日(火)~6月21日(金)=3日間
旅行料金 99,000円(2名1室・おひとり様旅費)
一人部屋追加料金 2,400円
食事 全食(朝2回、昼3回、夕2回)付
集合・解散 JR新大阪駅新幹線改札口前集合・新大阪駅前解散。
利用ホテル 堺市内:ダイワロイネットホテル堺東または同等クラス(連泊)
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 JR新大阪駅前より『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年5月10日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

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No7-東海から近畿編-
「ヤマトタケルの伝承地をめぐる旅」

★ポイント

素手で伊吹の神と対決しに行った倭建命の前に、牛ほどの大きさの白い大猪が現れる。倭建命はこれを無視するが、実際は猪は神そのもので正身であった。神は大氷雨を降らし、命は失神する。山を降りた倭建命は、居醒めの清水(山麓の関ケ原町また米原市とも)で正気をやや取り戻すが、病の身となっていた。
弱った体で大和を目指して、当芸・杖衝坂・尾津・三重村(岐阜南部から三重北部)と進んで行く。能煩野(三重県亀山市)に到った倭建命は「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」など4首の国偲び歌を詠って亡くなるのである。……。倭建命は八尋白智鳥となって飛んでゆくので、后や御子たちは竹の切り株で足が傷つき痛めても、その痛さも忘れて泣きながら、その後を追った。……白鳥が磯伝いに飛び立った時は “浜千鳥のように、あなたの魂は私たちが追いかけやすい浜辺を飛んで行かず、磯づたいに飛んで行かれるのですね”と詠んだ。(古事記より)

みどころ

◇名越丁子塚古墳(能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)

三重県亀山市田村町にある古墳。形状は前方後円墳。能褒野古墳群を構成する古墳の1つ。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「能褒野墓(のぼののはか)」として第12代景行天皇皇子の日本武尊の墓に治定されている。別称を「丁子塚(ちょうじづか)」とも。伊勢北部地方では最大規模の古墳で、4世紀末(古墳時代中期初頭)[注 2]の築造と推定される。

◇室宮山古墳(むろみややまこふん)

5世紀初頭(古墳時代中期)頃の築造と推定される。別称を「室大墓(むろのおおはか/むろのおおばか)」とも。築造時期は、古墳時代中期前葉の5世紀初頭頃と推定される。被葬者としては、記紀に伝わる葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)に比定する説が有力視される
墳形は前方後円形で、墳丘は3段築成。墳丘長は238メートルを測り、葛城地方では最大、ひいては全国でも第18位の規模になる。
墳丘外表には花崗岩製の割石による葺石が葺かれ、各段には円筒埴輪・朝顔形埴輪が巡らされていた。墳丘周囲には盾形周濠が巡らされ、さらに周堤に乗るように陪塚のネコ塚古墳が築造されている。
埋葬施設は、後円部に2ヶ所、前方部に2ヶ所、張出部に各1ヶ所の計6ヶ所と推定される。後円部の2ヶ所は、それぞれ竪穴式石室に竜山石製の長持形石棺を納めたものである。長持形石棺は「王者の石棺」とも称される王墓に特有の棺であるが、本古墳の棺はその中でも大規模な部類になる。

◇堂城山古墳(つどうしろやまこふん)

大阪府藤井寺市にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群(世界文化遺産)を構成する古墳の1つ。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「藤井寺陵墓参考地」(被葬候補者:第19代允恭天皇)として陵墓参考地に治定されている。また国の史跡に指定されている(史跡「古市古墳群」のうち)。
大王墳とする説を支持し、尚且つ記紀の内容を重視する立場の研究者の何名かは、初めて河内に埋葬された大王として記述された仲哀天皇を被葬者の候補として提案している[7][8][9]。
森浩一は古墳から出土した水鳥形埴輪と記紀の伝承との間に関連を見て、仲哀天皇の父で死後に白鳥となって天に昇ったとされるヤマトタケルの三つの墓の一つである可能性を指摘した[10][11]。また、古墳の築造者としては仲哀天皇の息子で神功皇后と誉田別皇子(応神天皇)に対して反乱を起こした忍熊王を挙げている[12]。宮内庁は軽里大塚古墳を記紀に語られたヤマトタケルの墓に定めているものの、考古学上の編年では5世紀後半の築造であると推定されているため、それよりも1世紀ほど年代が古く、尚且つヤマトタケルの父である景行天皇の陵とされる渋谷向山古墳の築造年代とも近接する本古墳の方が伝承にある墓として相応しいと考えられる。

旅程スケジュール

1日目

JR新幹線・名古屋駅改札口集合(09:30)=名古屋市(熱田神宮・断夫山古墳・白鳥古墳)=関が原(伊吹山山頂)=関が原=鈴鹿(名越丁子塚古墳)=亀山市内(泊)

2日目

亀山市内=御所市(掖上鑵子塚古墳・白鳥陵・室宮山古墳)=藤井寺市(津堂城山古墳・志貴県主神社)=羽曳野市(軽里大塚古墳)=(17:00頃)JR京都駅・新幹線口前解散。

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

伊吹山山頂
伊吹山山頂
日本武尊能褒野墓拝所
日本武尊能褒野墓拝所
室宮山古墳 石棺・盗掘穴
室宮山古墳 石棺・盗掘穴
掖上鑵子塚古墳
掖上鑵子塚古墳
期日 2024年7月10日(水)~7月11日(木)=2日間
旅行料金 80,000円(2名1室・お一人参加の旅費)
一人部屋追加料金 2,000円
食事 全食(朝1回、昼2回、夕1回)付
集合・解散 JR名古屋駅新幹線改札口集合・JR京都駅解散。
利用ホテル 亀山市内:アパホテル<三重亀山>または同等クラス
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 JR名古屋駅からJR京都駅まで『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年6月3日(月)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

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No8「古代の出雲・伯耆を訪ねる」

★ポイント

大和の中心にある三輪山になぜ出雲の神様が祭られているのか?このような疑問からこの旅を企画しました。出雲勢力が大和に早くから進出し、邪馬台国を創ったのも出雲の人々だったからではないか?ゆかりの地や遺跡を歩きながら、記紀・出雲国風土記・魏志倭人伝等を読み解き、古代世界における出雲の存在と役割を考えます。

みどころ

◇西谷墳墓群(にしだにふんぼぐん)

弥生時代後期の弥生墳丘墓、古墳時代の古墳・横穴墓群、奈良時代の火葬墓などからなる。1953年に発見され、2018年現在で27号までと番外5号までの32基の墳墓と横穴墓群が確認されている。このうち、1~4・6・9号の6基が四隅突出型墳丘墓である。四隅突出型墳丘墓は出雲地域を中心とした特徴的な形をした弥生時代の墳丘墓で、出雲地域ではこの西谷墳墓群や安来市の荒島墳墓群に多く見られる。

◇荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)

広域農道の建設に伴い遺跡調査が行われ、この際に調査員が古墳時代の須恵器の破片を発見したことから発掘調査が開始された。1984年 ~ 1985年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。1998年に一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されている。出土品は国(文化庁)が所有し、2007年から「島根県立古代出雲歴史博物館」に常設展示されている。

◇加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)

1996年(平成8年)から~翌年にわたり、加茂町教育委員会と島根県教育委員会により発掘調査が行われた。その結果、一か所からの出土例としては日本最多となる39口の銅鐸が発見された(滋賀県野洲町大岩山遺跡における24個の出土例を大きく更新)。1999年に遺跡は国の史跡に指定。出土した銅鐸39口は、2008年に国宝に指定された。これらの銅鐸は国(文化庁)が所有し、島根県立古代出雲歴史博物館に保管されている。

◇田和山遺跡(たわやまいせき)

丘陵尾根に掘られた三重の環濠を持つ弥生時代の環濠集落で、通常、環濠内部に住居跡などが配置されるが、田和山遺跡の狭小な環濠内部は建物跡が2棟検出されたのみで、それ以外の建物跡は環濠の周辺から検出された。そのため、なぜこれだけ膨大な労働力を投下して環濠を掘削したのか、環濠内部には何があったのかが謎とされ、遺跡の性格・位置付けが問題とされた。環濠内からは、つぶて石や石鏃が出土しており、弥生時代の戦争を物語る山城ではないかという説、祭祀の拠点であったという説、環濠内部に銅鐸などの青銅祭器が保管してあったのではといった想像も提唱された。そのほか、弥生遺跡では極めて珍しく硯の出土も認められている(他例は福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で知られる)。遺跡の山頂部からは、宍道湖や松江市街、大山などが一望でき、大変眺望が良いロケーションにある。

◇荒島墳墓群・王陵の丘

1970年代前半には、仲仙寺古墳群、安養寺墳墓群、宮山古墳群が相次いで確認されるが、三者とも宅地造成業者により破壊を受ける。このうち仲仙寺古墳群は9・10号墓が発掘調査され8・9号墓のみが保存された。安養寺古墳群では発掘調査後すべて失われた。宮山古墳群はすでに記録保存されていた1号墳以外はすべて保存されることとなった。3遺跡の多くが失われてしまったとはいえ、地元研究者を中心とした活発な保存運動は先駆的なものであり、運動のなかで、仲仙寺古墳群と宮山古墳群は国史跡に指定された。1999年に国史跡「造山古墳」(造山1号墳)に造山2-4号墳、大成古墳、塩津山古墳群を追加指定し、史跡名称を「荒島古墳群」に変更した。

◇妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)

鳥取県西伯郡大山町富岡・妻木・長田および米子市淀江町福岡にある弥生時代の集落遺跡。国の史跡に指定されている。遺跡の面積は156haにもおよぶ大規模なものである。
大山山系・孝霊山から続く丘陵(通称「晩田山」)上に位置し、美保湾(日本海)を一望できる。島根県安来市から、この妻木晩田遺跡まで弥生後期に栄えた古代出雲の中心地であったと考えられる。

◇熊野大社(くまのたいしゃ)

島根県松江市八雲町熊野にある神社。式内社(名神大社)、出雲国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮である。出雲国造本来の奉斎社であり、意宇六社の一つに数えられている。

旅程スケジュール

1日目

羽田空港(10:20)→日本航空機(JL279)→(11:45)出雲空港=出雲・島根県立古代出雲歴史博物館=出雲大社=日御碕=西谷墳墓群=松江市内
(松江市内泊)

2日目

松江市内=荒神谷遺跡=加茂岩倉遺跡=神原神社古墳=田和山遺跡=安来・荒島遺跡=米子
(米子市内泊)

3日目

米子市内=妻木晩田遺跡=淀江廃寺跡・上淀白鳳の丘展示館=熊野神社=出雲風土記の丘=玉造博物館=出雲空港(16:05)→日本航空機(JL284)→(17:30)羽田空港着、解散。

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

西谷墳墓群
西谷墳墓群
銅剣発見現場・荒神谷遺跡
銅剣発見現場・荒神谷遺跡
加茂岩倉遺跡出土の銅鐸
加茂岩倉遺跡出土の銅鐸
田和山遺跡
田和山遺跡
妻木晩田遺跡洞ノ原地区
妻木晩田遺跡洞ノ原地区
荒島墳墓群・古代出雲王陵の丘
荒島墳墓群・古代出雲王陵の丘
期日 2024年8月21日(水)~8月23日(金)=3日間
旅行料金 176,000円(2名1室・お一人様の旅費)
一人部屋追加料金 追加無し
食事 全食(朝2回、昼3回、夕2回)付
集合・解散 羽田空港集合・解散
利用航空機会社 日本航空(JL)など。
利用ホテル 松江市内:ドーミーイン松江または同等クラスホテル
米子市内: 米子ニューアーバンホテルまたは同等クラスホテル
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 羽田空港より『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年7月10日(水)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

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No9「北東北から津軽、縄文の世界を訪ねる」

★ポイント

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうち、今回は北東北にある縄文時代の遺跡群を訪れます。
これらの地域では約15,000年前には土器を使用して定住を開始しました。日本最大級の縄文集落跡である三内丸山遺跡や大湯環状列石をはじめ、是川遺跡・御所野遺跡・伊勢堂岱遺跡などを訪れます。また是川縄文館、三内丸山縄文時遊館などの博物館の国宝、国宝級の縄文土器、漆器などを鑑賞します。

みどころ

◇御所野遺跡(ごしょのいせき)

馬淵川右岸に位置し、東西に長く延びる河岸段丘における標高190~200mの中位段丘面に立地する。広い箇所では幅120mにもおよぶ平坦な台地が遺跡周囲では東から北へ弧状に0.5㎞ほどつづき、台地上の平坦面の広さはおよそ6haヘクタールにもおよんでいる。周辺にはケヤキやブナなどの落葉広葉樹林が広がり、クリ、ドングリ、アケビなどが豊富に実る。そばには馬淵川が流れ、そこを遡上するサケ・マスなどが利用された。

◇大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)

岩手県二戸郡一戸町で発見された縄文時代の環状集落遺跡。所在地は一戸町岩舘字御所野。1993年(平成5年)、国の史跡に指定された。遺跡は公園として整備され、竪穴建物、掘立柱建物、配石遺構などによる集落が再現されている。公園内に博物館も併設されている。
山岳丘陵の末端にのびる舌状台地の先端部に造られており、河原石を菱形や円形に並べた組石の集合体が外帯と内帯の二重の同心円状(環状)に配置されている配石遺構である。その外輪と内輪の中間帯には、一本の立石を中心に細長い石を放射状に並べ、その外側を川原石で三重四重に囲んでいる。その形から「日時計」といわれており、万座と野中の両方の遺跡にある。
大きい方の万座遺跡の環状直径は46メートルもあり現在発見されている中で日本で最大のストーンサークルである。組石は大きいほうの万座では48基、野中堂のほうは44基ある。中央の立石は大湯の東方約7-8キロメートルにある安久谷(あくや)川から運んだと推定されており、労働力の集中が見られる。
遺跡の使用目的に関しては諸説あるが、近くには構造が似ている一本木後ロ遺跡があり、これは墓であることが調査によって明らかになっており、またそれぞれの配石遺構の下から副葬品をともなう土坑が検出されたため大規模な共同墓地と考えられている[3]。さらに1948年(昭和23年)から始まった万座の周辺調査から掘立柱建物跡群が巡らされていたことが明らかになり、これらは墓地に附属した葬送儀礼に関する施設ではないかと推測されている

◇伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)

秋田県北秋田市脇神字伊勢堂岱にある縄文時代後期前半の環状列石が主体の遺跡である。国の史跡に指定されている。2021年7月27日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された。
秋田内陸縦貫鉄道の縄文小ヶ田駅南方の湯車川をこえた標高40 - 45メートルの河岸段丘の北端台地の上にあり、国内で唯一4つの環状列石(ストーンサークル)が発見された遺跡である。
保存状態が良く、学術的な価値が高いことから2001年1月に国の史跡に指定された。また、2021年7月27日に世界文化遺産に登録された[1]「北海道・北東北の縄文遺跡群」を構成する遺跡の一つでもある。
半径3キロメートル以内に大館能代空港・秋田内陸線 縄文小ヶ田駅・伊勢堂岱インターチェンジがありアクセス面で優れていて、縄文遺跡群を巡る起点の役割が期待されている[2]。
園路南側の森を抜けると、環状列石と白神山地が一望でき[3]、ガイダンス施設の「伊勢堂岱縄文館」周辺では田んぼアートや、約2千年前の品種の「蓮の花」を見ることができる。

◇三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)

縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前[1])の大規模集落跡。当時、クリ、クルミなど手入れされた落葉広葉樹林(ナラ林帯)に囲まれた集落で[2]、現在の沖館川右岸の河岸段丘上に立地する。1997年3月5日[3]、国の特別史跡に指定。2021年7月27日[4]、国際連合教育科学文化機関により、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された。遺跡には竪穴建物(竪穴住居)群、高床建物(高床倉庫)群、大形竪穴建物のほか、シンボル的な3層の掘立柱建物が再現されており、資料や出土品の展示施設「縄文時遊館」もある[5]。青森県教育庁三内丸山遺跡センターが継続的に発掘調査を行っている。

旅程スケジュール

1日目

(12:15)JR東北新幹線・新花巻駅集合(12:15)=岩手県二戸郡一戸町(御所野遺跡【国指定史跡】・御所野縄文博物館)=八戸市(八戸市博物館・八戸市縄文学習館・是川縄文館)=八戸市内
(八戸市内泊)

2日目

八戸市=奥入瀬(奥入瀬渓流の景観<石ヶ戸(駐車場を基点に約15分散策)…銚子大滝駐車場を基点に約30分散策) …十和田湖>)十和田湖=秋田県鹿角市(大湯環状列石【国指定特別史跡】・大湯ストーンサークル館)=北秋田市(伊勢堂岱遺跡【国指定史跡】・北秋田市文化会館内資料展示室)=大館市内
(大館市内泊)

3日目

大館市=青森県田舎館村(垂柳遺跡【国指定史跡】・田舎館村埋蔵文化財センター弥生館)=青森市(三内丸山遺跡【国指定特別史跡】・縄文時遊館・ねぶた館)=(16:30頃)JR東北新幹線・新青森駅前・解散。

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

御所野遺跡・屋根の竪穴式住居
御所野遺跡・屋根の竪穴式住居
伊勢堂岱遺跡出土土偶
伊勢堂岱遺跡出土土偶
奥入瀬渓流
奥入瀬渓流
大湯環状列石
大湯環状列石
是川縄文館
是川縄文館
三内丸山遺跡
三内丸山遺跡
期日 2024年9月18日(水)~9月20日(金)=3日間
旅行料金 113,000円(2名1室・お一人様の旅費)
一人部屋追加料金 追加料金無し
食事 全食(朝2回、昼3回、夕2回)付
集合・解散 JR東北新幹線・新花巻駅新幹線改札口前集合
JR東北新幹線・新青森駅前解散。
利用ホテル 八戸市内・・・ルートイン八戸駅前または同等ホテル
大館市内…ホテルルートイン大館大町または同等ホテル
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 JR新花巻駅よりJR新青森駅まで『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年8月8日(木)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※JR切符料金は全区間含みません。
催行決定後、各自で発着地より全区間ご購入願います。

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No10「邪馬台国を大和に探る」

★ポイント

日本はいかに形作られたのか。それを知る最良の手がかりは全国に点在する巨大古墳である。あい次ぐ発掘、また年輪年代法など最新科学の応用により、古代日本は急速にその姿を顕しつつある。―魏志倭人伝にも記された「邪馬台国」とはどこか?
最新の発掘成果を検証しながら大和を歩きます。

みどころ

◇安満宮山古墳(あまみややまこふん)

大阪府高槻市安満御所の町にある古墳。墳形は長方形で、規模は東西18m、南北21mと推定される。埋葬施設はコウヤマキ製の割竹形木棺の直葬。発掘調査によって青龍三年の紀年鏡などの副葬品が出土している。青龍三年の紀年鏡の発見により3世紀後半の築造とされている。

◇椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)

石室内には朱が塗られ、粘土床には10㎏を超える水銀朱がまかれていた。
小林行雄は、出土した三角縁神獣鏡を分類して7つの型式に大別した場合、この古墳の出土品では最古型式から4番目までの新しい鏡が含まれていたので、3世紀末の造営とした。桜井市の箸墓古墳、岡山市の浦間茶臼山古墳、天理市の黒塚古墳などとともに出現期古墳と総称される。

◇黒塚古墳(くろつかこふん)

1997年から翌年にかけて奈良県立橿原考古学研究所が行った第3次発掘調査で、三角縁神獣鏡33面とそれよりも少し古い画文帯神獣鏡1面が、副葬当時に近い状態で発見された。鏡を含めて埋葬当時の位置を保っていて、副葬品の配列方法とその意味がわかるものとなった。北東隅に大小2本の鉄棒をU字形に曲げた用途不明の鉄製品が立てかけられていた。大小2本の棒の間にはV字形の鉄製の管が、複数、付着または崩落し、この管で鋸歯状に大小のU字形鉄棒を結び付けていた形跡がある。畿内前期古墳に多い頭位北向きで、木棺外の北側には朱塗りの木盾が斜めに立てかけられていた。棺外の北鏡は斜めに置かれた盾の上部に乗せられていたとみられる。木棺外の西側の北小口に近い部分に、鏃群があり、切先は南を向き、元は隙間に矢柄の束があったと推定する。その南に11点の刀・剣・ヤリがまとめて置かれていた。棺内には被葬者の頭のところに画文帯神獣鏡と両側に刀1・剣1をおき、木棺外に東壁側15面、西壁側17面の三角縁神獣鏡を鏡面を内側に向けて木棺と壁のわずかな間に立てられていた。被葬者の上半身を棺内、棺外の二重に鏡と刀剣でコの字形に取り囲み、この配列により呪術的な役割をしていたとみられる。他に棺外の南側に、革を綴った胃だったとみられる約600点の大量の小札(こざね)、斧とヤリガンナの工具類、土師器などが配置してあった。玉類や腕装飾品類は出ていない。

◇箸墓古墳(はしはかこふん)

奈良盆地東南部、三輪山北西山麓の扇状地帯に広がる大和・柳本古墳群に含まれる纒向古墳群(箸中古墳群)の盟主的古墳であり、纒向遺跡箸中地区に位置する。出現期古墳の中でも最古級と考えられている前方後円墳である。築造年代は、墳丘周辺の周壕から出土した土器(土師器)の考古学的年代決定論と、土器に付着した炭化物による炭素14年代測定法により、邪馬台国の卑弥呼の没年(248年から遠くない頃)に近い3世紀中頃から後半とする説がある。現在は宮内庁により陵墓として管理されており、研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ)命である。

◇桜井茶臼山古墳(さくらいちゃうすやまこふん)

磐余の地に接した初瀬川の左岸にあり、自然丘陵を利用して築造されたものである。墳丘長207m、前方部が細長く、全体が柄鏡(えかがみ)形を呈する柄鏡式古墳である。古墳時代初期の内でも比較的新しいものであり、箸墓古墳に後続する時期に造営された巨大な前方後円墳である。墳丘に特殊器台や円筒埴輪を使用した痕跡がない。段築面には葺石が施されている。2023年、同古墳調査の結果、国内最多の103面以上の銅鏡破片が見つかり、桜井茶臼山古墳の被葬者は「他の古墳の追随を許さない隔絶した地位にあった人物であり、「3世紀末の奈良盆地には邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになったと発表した。

旅程スケジュール

1日目

(11:50)JR京都駅集合=安満宮山古墳=ふるさとミュージアム山城(京都府立山城郷土資料館)=椿井大塚山古墳=奈良市内
(奈良市内2連泊)

2日目

終日:橿原考古学研究所付属博物館・邪馬台国中枢部〈瀬田遺跡=黒塚古墳・黒塚古墳展示館=唐古・鑓遺跡=箸墓古墳=桜井茶臼山古墳=桜井市立埋蔵文化財センター=纏向遺跡=纏向石塚古墳=ホケノ山古墳=奈良市内
(奈良市内泊)

3日目

奈良市内=平城宮跡(大極殿・奈良文化財研究所展示館)=石上神宮=大和神社=近鉄奈良駅前解散(16:30頃。)

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

安満宮山古墳雨宮山
安満宮山古墳雨宮山
椿井大塚山古墳
椿井大塚山古墳
黒塚古墳で大量の鏡
黒塚古墳で大量の鏡
箸墓古墳全景
箸墓古墳全景
桜井茶臼山古墳石室
桜井茶臼山古墳石室
桜井茶臼山古墳・銅鏡破砕片
桜井茶臼山古墳・銅鏡破砕片
期日 2024年9月25日(水)~9月28日(金)=3日間
旅行料金 128,000円
一人部屋追加料金 2,000円
食事 全食(朝2回、昼3回、夕2回)付
集合・解散 JR京都駅新幹線改札口前集合・近鉄奈良駅前解散
利用ホテル 奈良市内:コンフォートホテル奈良または同等クラス
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 J京都駅より近鉄奈良駅前まで『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年8月9日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

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【『海外・遺跡史跡の旅』シリーズ】
No101特別企画・高久健二先生同行解説旅行「百済の王都を巡る旅」

終了しました。有難うございました。

No102-匈奴・突厥・遼・モンゴル帝国-
『モンゴル草原に遊牧騎馬文化を探る』

◆ポイント

ユーラシア大陸を疾駆した騎馬遊牧民―匈奴、鮮卑、柔然、6世紀に一大帝国を築いた突厥、その分裂後、8世紀中頃に建国されたウイグルもまた…。ウイグルが瓦解したモンゴル高原でさらにさまざまな集団が興亡を繰り返した。その中から1206年にテムジン率いるモンゴルが統一を成し遂げ、チンギス・ハーンとして即位した。モンゴル帝国の誕生です。
どこまでも見晴るかす草原、満点の星、可憐な花々・・・青き狼を育てた大自然を体感しながら。民族の興亡のあとを巡ります。

■みどころ

◇ウランバートル

・モンゴル国立歴史(民族)博物館…モンゴルの歴史的変遷を特徴づける収蔵品を約60,000点展示している。
・考古研究所

◇ノイン・ウラ(ノヨン・オール)匈奴墓

・ウランバートルから北へ直線距離80㌔の山林中にある。匈奴の王侯の墓地であったところで数基の張り出し付き方墳が残る。梅原末治の報告書で有名な24号墳の木槨墓からは琥珀の飾り玉や銅製品、6号墳からはスキタイの動物文様の伝統を受け継ぐ絹織物、5号、6号墳からは前漢末の漆塗りの耳牌などが出土した。
・ウンゲドゥ突厥遺跡

◇ホスタイ国立公園

・面積50000haの国立公園。シカ、ガゼル、マーモットなど多くの動物を観察できる。
・ザーマル乙突厥墓
・ハルブフ(遼代のハルブフ城址)

◇ホショーツァイダム

・突厥第2王朝のビルゲ汗、弟キョル・テギンの追悼碑、亀趺などを陳列するホショーツァイダム博物館、ビルゲ汗廟、キョル・テギン廟のあるビルゲ汗遺跡。

◇ハラホリン(カラコルム)

・モンゴル帝国の首都
・かつて仏教寺院だったエルデニ・ゾーラマ教寺院。四方に102の仏塔がある(ユネスコ世界文化遺産)。
・ハルホリン博物館・モンゴル帝国第二代オゴタイ・ハーンの万安宮

◇ハルバルガス遺跡

・オルホン川西岸にある突厥を破りモンゴル草原の覇者となったウイグル帝国の都城址

◇ツェンヘル温泉

・露天風呂付のツーリストキャンプ地。草原、森林にかこまれたでリラックス(水着着用)

◇ツェツェルレグ

・ウランバートルから西へ450Km、アルハンガイ県の県都
・アルハンガイ県博物館、ソグド文字の銘文が刻まれたブグト碑文が中庭にある寺院兼博物館

◇ゴルモドⅡ匈奴墓

・ウランバートルから西へ直線距離370㌔のゴルモドにある張り出しを持つ大型積石方墳。ゴルモドⅠとゴルモドⅡがあり、ゴルモドⅡを見学する。

◇オラーン・オーシグ遺跡

・円形あるいは方形の石列で囲まれた10数基の積石塚(ヘレクスル)と全面に鹿の図像が浅く彫り込まれた鹿石群とからなっている。

◇ホスタイ国立公園

・第二突厥の功臣トニュククの廟(トニュクク碑文・バルバル列石)
・匈奴時代のホスティンボラグ製鉄遺跡

◇ウランバートル近郊

・直径30mの円形台座の上に50mの巨大なチンギス・ハーン騎馬像が立つ・青銅器博物館

現地ではオユンザルドル先生同行をお願いしています(東北大学留学・モンゴル国立大学教授・日本語堪能な女性の先生です)とスルーガイド1名が全コース同行します。添乗員:成田空港から同行します。

旅程

日程 スケジュール
<1日目> 成田国際空港(14:40)→モンゴル航空(OM502)直行便→(18:50 )ウランバ―トル・チンギス・ハーン空港=ウランバートル
(ウランバートル泊)
<2日目> 午前:ウランバートル見学(考古研究所・モンゴル国立歴史(民族)博物館)=北へ80㌔
午後:ノイン・ウラ匈奴墓=ウンゲドゥ突厥遺跡=ホスタイ国立公園
(ホスタイ国立公園泊)
<3日目> ホスタイ=ザーマル乙突墓見学 =ハルブフ(遼代のハルブフ城址)=ホショーツァイダム(ホショーツァイダム博物館・突厥のビルゲ汗廟、キョル・テギン廟出土遺物・ビルゲ汗廟)=ハルホリン
(ハルホリン泊)
<4日目> ハルホリン(エルデニ・ゾーラマ教寺院・ハルホリン博物館・モンゴル帝国第二代オゴタイ・ハーン万安宮)=ハルバルガス(ウイグル帝国のハルバルガス都城)=ツェンヘル温泉
(ツェンヘル温泉泊)
<5日目> ツェンヘル温泉=ツェツェルグ(ツェツェルグ博物館・ブグト碑文)=ハヌイ川沿い=ゴルモドⅡ匈奴墓=大型積石塚・鹿石群からなるオラーン・オーシグ遺跡=フヌイ川沿い=ツェツェルグ
(ツェツェルグ泊)
<6日目> ツェツェルグ(ツェツェルグ博物館・ブグト碑文)=オルホン川渡河=ホスタイ
(ホスタイ国立公園泊)
<7日目> ホスタイ国立公園=第二突厥の功臣トニュククの廟(トニュクク碑文・バルバル列石)=匈奴時代のホスティンボラグ製鉄遺跡=ウランバートル近郊(巨大なチンギス・ハーン騎馬像・青銅器博物館)=ウランバートル
(ウランバートル泊)
<8日目> ウランバートル=ウランバ―トル空港(08:05)→モンゴル航空(OM501)→(13:40)成田空港、着後、解散。
遊牧の風景
草原に放牧された馬の群れ
草原の朝
四輪駆動車で水たまりを渡る
エルデニ・ゾーラマ教寺院
ハルバルガス都城
ブグト碑文
匈奴墓ゴルモドⅡ
鹿石
色とりどりの野生花
ツーリスト・ゲル
ゲル内部
期間 2024年7月22日(月)~7月29日(月)=8日間
旅行料金 未定
一人部屋追加料金 未定(ウランバートル・ツェツェルグ泊の3泊、他宿泊地はツーリスト・ゲル
食事 全食付(朝食7回、昼食6回
(うち3回ピクニックランチ)、夕食7回、機内食2回)
利用予定航空機会社 モンゴル航空機(OM )利用予定 エコノミークラス
宿泊予定ホテル ウランバートル・ツェツェルグではホテル泊:2名1室、ホスタイ国立公園、ハルホリン、ツェンヘル温泉(露天風呂あり)ではツーリスト・ゲル泊:相部屋)
最少催行 8名
定員 15名
締め切り ★繁忙期につき利用航空席確保に制約があります。航空席確保を確実するあめに参加希望者を募ります。ご参加を予定、希望(まだ予約は必要でありません)の方は3月29日(金)までに『トンボの眼』佐々木に事前にお知らせください。
★最終締切:5月31日(金)
事前希望者を基準に航空機座席確保後の予約回答となります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 株式会社TABi’Z(タビーズ・観光庁長官登録旅行業1906号)
旅行取扱会社 三進トラベル(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※燃費サーチャージは旅行代金に含まれておりません。目安50000円(基準日12月21日現在)今後、原油価格の変動に伴い金額が変更される可能性がございます。
※国内空港施設使用料、旅客保安サービス料、海外空港税、国際観光旅客税が別途必要となります。

宿泊

・ウランバートル、ツェツェルレグでは都市型ホテル(2名1室・個室希望可=別料金)、国立公園内、温泉地での安全なツーリストキャンプ地内のツーリストゲルに宿泊(ゲルは4~5名の相部屋(男女別)、トイレ、シャワー、食堂用,団らんは別棟のゲストハウスにて)

食事

・洋式朝食可、サンドイッチ、ハムなどのお弁当式昼食とローカルレストラン(日本風アレンジ)臭みが全くしない羊肉、ウシ、ブタシャブシャブ、食べ物の不安は感じません。

体験

・日本製4WD車(3~4人)に分乗、草原走行、渡河体験。
・馬頭琴演奏鑑賞、星空観察
・遊牧民ゲル訪問(馬乳酒作り、乗馬など)

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No103「金官・大加耶から前方後円墳地帯へ」

◆ポイント

加耶(カヤ)の国とは?

西暦42年首露王(スロワン)が駕洛国(金官加耶)を建国し、朝鮮半島の南部にあった6つの小国を形成して加耶と呼んだ。鉄の製造が盛んだったと言われている加耶時代の古墳からは鉄製品の副葬品が多く出土し、また同時代の日本の古墳からも同型の鉄製品が出土していることから盛んな交易交流があったとされている。建国してから10代まで王位が続き、西暦562年、当時勢力のあった新羅に攻められ、520年の加耶の歴史は幕を閉じた。

韓国の前方後円墳

西南部の栄山江流域では、日本列島に特徴的な前方後円形の墳形を持つ10数基の古墳の存在が知られ、当時の倭・百済・加耶のいずれとも異なる独自の在地系勢力(馬韓残存勢力)が存在した地域とされる。そしてこの在地勢力が百済の支配下に入る時期(6世紀中頃)の前段階において、在地系の高塚古墳と列島系の前方後円形墳の2つの墓制が展開した。一帯では列島からの大量移住の形跡もなく、各前方後円形墳自体も1世代のみで築造を終焉するため、このような列島系の墳形が築造された背景は依然詳らかでない。現在も、被葬者としては在地首長説・倭系百済官人説・倭人説の3説に大きく分かれて議論が続く。

■みどころ

◇金海(金官国)

・亀旨峰
・国立金海博物館
加倻の文化財を集めて展示するとともに釜山と慶南地域の先史時代の文化と加倻の成長の基盤になった弁韓の文化遺産を展示しています。
・大成洞古墳群
亀旨峰と会峴里貝塚の中央に位置し、丘陵の稜線部には王や支配者層の墓が築かれています。調査された墓は全136基で種類は木棺墓、木槨墓、甕棺墓、石槨墓、橫穴橫口式の石室墓です。大型の木槨墓は支配者層の墓であると推測されます。発掘の結果、3世紀末に初めて人と馬を殉葬し武器を副葬する習慣とともに、騎馬用の鉄製の鎧と兜、北方遊牧民族的な墓祭、馬具類、陶質土器、銅復など北方遊牧民族の習慣が反映された遺物が多く出土しました。さらに筒形銅器、巴形銅器、各種碧玉製の石製品など古代日本との交流の実態を究明することができる倭系遺物が出土しました。
・大成洞博物館
加耶文化を知る上で欠かせない博物館。施設内には発掘された遺品もさることながら加耶文化を深く理解できるように立体模型や映像資料、実物大の墓の復元、当時の伽耶人の生活様式など一般の人々が加耶文化に触れることができるような博物館になっています。

◇大邱(卓淳国)

・不老洞古墳群
琴湖江が流れる東区鳳舞洞一帯の山に約200基の古墳群があります。史跡に指定されている古墳群は三国時代に造られたもので、昔、この地域を治めていた土着支配勢力の集団墓地であると推定されています。
・国立大邱博物館

◇慶山

・林洞古墳群
・嶺山大学校博物館)

◇高霊(大耶国)

・主山山城・池山洞古墳群
大加耶邑の周囲を取り囲む山上に大加耶時代の主山山城があります。大加耶王宮の背後城で外城と内城を備えた二重城です。その山城から南方に延びた稜線に沿って、大加耶が成長し始めた400年頃から滅亡した562年の間に作られた大加耶の王陵が並んでいます。韓国で初めて発掘された殉葬墓の王陵である池山洞44号墳・45号墳を始め、王族・貴族が埋葬されたと推定される704基の大小の墓が分布しています。大加耶独特の土器や鉄器、馬具を始め、王が使用していた金銅冠や耳飾りなど、華やかな装身具が多く出土した大加耶最大の古墳群です。
・高霊大加耶博物館
大加耶の歴史を中心に、高霊地域の歴史が一目でわかるように旧石器時代から近代に至るまでの歴史及び文化に関する説明と遺物が時代別に展示されています。

◇東蓬(金官国)

・福泉洞古墳群・釜山市福泉洞分館
住宅街の再開発で、金官加倻時代の未盗掘墓40基が発見されました。金銅冠や土器、鎧、兜など数多くの遺物が出土しました。加倻の優れた鉄器文化が分かる遺物や、様々な墓の形態が展示されています。

◇海南

・海南長鼓山古墳
朝鮮半島南部には長鼓墳(前方後円墳)10数基が分布し、日本に多く存在する前方後円墳との関連が指摘されます。墳丘は日本の前方後円墳に対して比較的急斜しています。横穴式石室で石室内側にベンガラ(弁柄)を塗るという倭系の要素が一部に見られますが、玄室平面形は細長方形でかつ羨道が細長く発達しており、全体的に見ると独特な構造が採用されています。5世紀後半から6世紀前半の築造と推定され、日本の同時期の古墳に比しても大規模な部類に相当します。一帯は平野が狭く農業生産力のある地域ではないが、海上交通の要衝であり、被葬者はそうした海上交通を掌握する地位にあったと推測されます。また周辺一帯に長鼓山古墳以前の在地系古墳の系譜はなく、突如出現する長鼓山古墳に続く形で造山古墳・竜頭里古墳などの倭系要素を持つ古墳群が形成されています。

◇木浦

・木浦大学校博物館
・国立海洋文化財研究所
第2展示室・新安(シンアン)船室
新安郡の沖から引き揚げられた新安船(全長35m、幅11m)は、1323年、現在の中国の寧波から日本へ向かう途中に難破した大船です。新安船には、硬貨29トン、1万2千余点の青磁、5千余点の白磁、7百余点の金属製品などが発掘されました。中国製の陶磁器以外にも、高麗の青磁、日本の瀬戸焼なども見つかりました。シタン(紫檀)、香料、薬剤、胡椒、桂皮、各種の種などが発掘され、14世紀の東アジア海上貿易や国際交流などをうかがうことができます。

◇光州

・国立光州博物館
・月桂洞1・2号墳
光州市街地北部の丘陵先端部に2基の前方後円形墳が隣接して築かれている。朝鮮半島南部の栄山江周辺には10数基の前方後円形墳が分布するが、ほとんどは他の前方後円形墳とは距離を置いて単独で存在する。そのような中、複数の前方後円形墳が並んで築造されたのはこの古墳群が唯一の例になる。1号墳・2号墳とも、外部施設に関しては外形(前方後円形)・盾形周濠や埴輪状土製品・木製品の存在から倭(日本)系要素が強いが、内部施設である玄室内の棺・副葬品に関しては百済系要素が強い。

◇栄山江流域

・咸平新徳古墳・威平長鼓山古墳
朝鮮半島南部、咸平郡北東縁の平野部において北に円墳、南に前方後円形墳の2基が隣接して築かれている。前方後円形墳(長鼓墳)のうちでは初めて石室構造が明らかになっている。周辺では3世紀頃から4世紀頃築造の万家村古墳群や、百済系横穴式石室を有する月渓里石渓古墳などが知られる。しかしその後の古墳系譜はないと見られるため、新徳古墳群はこの地域で突如出現した古墳になる。
・羅州伏岩里古墳
全羅南道 羅州市内から西へ約7.5キロ離れている羅州 伏岩里古墳群は、栄山江北岸の川辺に形成された沖積平野に位置している。羅州には栄山江流域ならではの特有な大型甕棺古墳が多く分布しているが、伏岩里古墳は、馬韓の甕棺から百済の石室墳へと交代していく3世紀から7世紀にわたって造成された古墳として知られている。
・羅州潘南面古墳群
・霊岩チャラボン古墳

◇昌原

・固城(松鶴洞1号墳)
1号墳は、韓半島に前方後円墳が存在する説の発端となった古墳だが、最近の調査で、実は重なり合った3基の円墳だったことが、韓国・東亜大学校の発掘調査によって明らかにされた。
韓国での前方後円墳の分布は半島南西部の全羅南道・光州や霊岩など栄山江中流域に集中していて、現在までに10基前後の前方後円墳が確認されている。この地域は馬韓(後百済の領域となるが、かなり後の時代まで馬韓)の領域にあるが、松鶴洞1号墳のある半島東南部の慶尚南道・固城は加耶の領域、この古墳のみが韓半島における前方後円墳の分布中心から外れていた。松鶴洞1号墳が前方後円墳ではないことが確定したため、現状では韓半島の前方後円墳は全て栄山江流域を中核とする地域に存在することになった。

旅程

日程 スケジュール
<1日目> 羽田空港(12:45)→大韓航空KE716便→(14:55)釜山金浦空港=金海(大型木槨墓など136基の古墳からなる大成洞古墳群・加倻の文化財を集めて展示する国立金海博物館)=大邱広域市
(大邱泊)
<2日目> 大邱(約200基の古墳群・不老洞古墳群・大邱、慶北地域の出土遺物を集成・展示する国立大邱博物館)=慶山(林洞古墳群・嶺山大学校博物館)=5世紀以降の加耶連盟の盟主となった大加耶国の故地・高霊(大加耶の王が眠る池山洞古墳群・尾根に連なり宮都を守る山城・主山山城、池山洞博物館)=釜山
(釜山泊)
<3日目> 釜山市内=金海(伝説上の加耶建国者が祀られた首露王稜、天より金官王が舞い降りたとされる亀旨峰など)=東蓬(福泉洞古墳群・釜山市福泉洞分館)=全羅南道の海南郡(韓国の前方後円墳・長鼓山古墳・造山古墳・竜頭里古墳)=戦前、日本人も多く暮らした港町・木浦(木浦大学校博物館)
(木浦泊)
<4日目> 木浦(新安沖で難破した交易船から引き揚げられた青磁などを展示する国立海洋遺物展示館)=湖南地方の中心・光州(国立光州博物館・韓国の前方後円墳・明花洞、月桂洞1・2号墳)=栄山江流域(咸平新徳古墳・威平長鼓山古墳)=羅州(伏岩里古墳・羅州潘南面古墳群)=霊岩・チャラボン古墳=慶尚南道の道庁所在地・昌原
(昌原泊)
<5日目> 昌原=固城(松鶴洞1号墳)=釜山金浦空港(16:00)→大韓航空713→(18:10)羽田空港・解散。
池山洞古墳群(金海)
不老洞古墳群(大邱)
池山洞古墳群(高霊)
釜山市福泉洞分館(釜山)
長鼓山古墳(海南)
国立海洋文化財研究所(木浦)
月桂洞1・2号墳(光州)
栄山江流域の前方後円墳分布地図
期間 2024年8月5日(月)~8月9日(金)=5日間
旅行料金 未定(近日発表・2名1室・2名様参加の1名様代金)
一人部屋追加料金 未定(1名でお申し込みの場合の追加料金)
食事 全食付(朝4、昼4、夕4回)
利用予定航空機会社 大韓航空機(KE)利用予定 エコノミークラス
集合・解散 羽田発着 羽田空港集合・解散
宿泊予定ホテル 大邱市内…00000又は同等クラス
釜山市内…00000又は同等クラス
木浦市内…00000又は同等クラス
昌原市内…00000又は同等クラス
最少催行 10名
定員 20名
締め切り 2024年9月6日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 株式会社TABi’Z(タビーズ・観光庁長官登録旅行業1906号)
旅行取扱会社 三進トラベル(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※羽田空港発着となります。福岡・大阪発着希望の方はご相談ください。
※添乗員1名が羽田空港より同行してお世話いたします。
※燃費サーチャージ(目安11、800円:2023年11月2日現在)、また日本の空港施設使用料等、国際観光旅客税、および現地空港諸税が別途必要となります。

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No104加耶諸国(金官加耶から大加耶、安羅加耶)への旅

◇ポイント

今、日韓古代史関連で、目覚しい解明がみられ、もっとも熱い視線がむけられているのが伽耶の地です。4世紀後半の高句麗の南下にともなうヤマト政権の百済を軸とした朝鮮半島との交渉、吉備、北九州などの地方勢力と新羅や百済、加耶との独自な交渉がからみあって、それが6世紀の磐井の乱を契機として朝鮮半島との交渉が大和政権に集約されていきます。その過程の舞台となった大加耶(高齢)や安羅加耶(咸安)などといった加耶諸国の主要地を巡ります。

見どころ

★忠州高句麗碑

高句麗と新羅との関係を兄弟になぞらえながらも、高句麗を「大王」として新羅王を「東夷之寐錦」と位置づけている。また高句麗が寐錦以下の官に衣服を下賜したことや、新羅領内で300人を徴発して高句麗軍官の指揮下に置いたことも記され、朝鮮半島内に勢力を拡大した長寿王の時代、高句麗が新羅を従属させていたことを示す資料である。国宝第205号。

★国立中原文化財研究所

★池山洞古墳群

大加耶邑の周囲を取り囲む山の上にある山城は大加耶時代の主山城で。大加耶王宮の背後城で外城と内城を備えた二重城です。山城から南方に延びた稜線に沿って、大加耶が成長し始めた400年頃から滅亡した562年の間に作られた大加耶の王陵が並んでいます。ここには韓国で初めて発掘された殉葬墓の王陵である池山洞44号墳・45号墳を始め、王族・貴族が埋葬されたと推定される704基の大小の墓が分布しています。

于勒博物館

于勒博物館は伽倻琴を創り出した楽聖于勒に関する資料を収集・展示し、于勒と伽倻琴の世界を紹介するために建てられました。

★海印寺

韓国三大寺院の一つで、新羅時代の802年に順應、理貞の両僧侶によって創建されました。

★陜川博物館

玉田古墳群から出土された鉄器、土器、各種装身具など、350余点の遺物が展示されています。

★玉田古墳群

日本書紀に登場する古代の「多羅国」の支配層たちの古墳群で、古代日本と深い交流があったが、6世紀、新羅に併合される際、日本に移住した渡来人をタラシヒコ、タラシヒメと呼び、百済を旧多羅=「くだら」と呼んでいた。玉田古墳群の名前は田んぼからたくさんの玉が見つかったことで名づけられた。

★末伊山古墳群

咸安末伊山古墳群は加耶の全時期において勢力を維持した阿羅加耶を代表する古墳群です。丘陵地の稜線に沿って大小の墳丘が並び、一番大きいものは直径40m、高さ9.7mに達します。また墓からは高杯、長頸壺、双把手付壺、器台など阿羅加耶特有の様式で製作された土器が多数出土しています。6世紀に新羅(シルラ)に併合されるまで、優れた鉄器文化を発展させた加耶国ですが、特に阿羅加耶は、日本の日本書紀による「任那(みまな)日本府」の地としても注目を集めてきました。

★咸安博物館

末伊山古墳群(史跡第525号)から発掘された阿羅加耶の高杯や馬甲など、多様な遺物が古墳群のすぐ横にある咸安博物館に展示されています。

★亀旨峰

伽倻の始祖である首露王が降りてきたと伝えられているところです。以前はカメの頭の形をしていることから亀首峰といわれていましたが、現在は亀旨峰と呼ばれています。

★国立金海博物館

古代国家のひとつ伽倻の文化遺産を集大成した博物館です。伽倻の文化財を集めて展示するとともに釜山と慶南地域の先史時代の文化と伽倻の成長の基盤になった弁韓の文化遺産を展示しています。

★大成洞古墳群

発掘調査の結果、金官伽倻支配者層の墓地であったことが判明しました。墓は全136基で種類は木棺墓、木槨墓、甕棺墓、石槨墓、橫穴橫口式の石室墓です。丘陵の稜線部に形成された大型の木槨墓は埋葬主体部の大きさと副葬された遺物の量と質から見て、3世紀後半~5世紀前半にかけのて金官加倻支配者層の墓であると推測されます。3世紀末に初めて人と馬を殉葬し武器を副葬する習慣とともに、騎馬用の鉄製の鎧と兜、北方遊牧民族的な墓祭、馬具類、陶質土器、銅復など北方遊牧民族の習慣が反映された遺物が多く出土ました。さらに筒形銅器、巴形銅器、各種碧玉製の石製品など古代日本との交流の実態を究明することができる遺物が出土しました。大成洞遺跡は伽倻の成立と展開、性格、政治や社会構造を解明するのに欠かせない重要な遺跡です。

★大成洞博物館

旅程

日程 スケジュール 食事
<1日目> 忠州(忠州高句麗碑・国立中原文化財研究所・弾琴台)(水安堡泊予定)
日本語ガイドと合流し、専用車で移動忠州へ
忠州高句麗碑、国立中原文化財研究所、弾琴台忠州見学
ホテルへご案内 (水安堡温泉 泊)
朝:×
昼:×(自由食)
夜:キジ鍋
<2日目> 忠州から大邱へ移動
国立大邱博物館 見学
高霊へ移動
高霊博物館、池山洞古墳群、主山城、延詔洞王宮推定地・于勒博物館、 見学
海印寺へ移動
海印寺見学
ホテルへご案内(陜川郡 泊予定)
朝:ホテル
昼:参鶏湯
夜:山菜韓定食
<3日目> 海印寺から陜川へ移動
梅岸里加耶碑、陜川博物館、玉田古墳群、城山土城 見学
咸安へ移動
忠義公園、推定王宮址、咸安博物館、末伊山古墳群 見学
昌原へ移動
夕食
ホテルへご案内(昌原 泊)
朝:ホテル(韓国式朝定食)
昼:韓牛カルビ
夜:ふぐチリ
<4日目> 朝食
晋州から金海へ移動
首露王妃陵・亀旨峰・国立金海博物館・大成洞博物館・大成洞古墳群・首露王陵・鳳凰台 見学
釜山・金海空港へ
金海空港(16:20)→大韓航空(KE713)―(18:30)成田空港着。着後、通関手続きを経て解散
お疲れ様でした
※上記行程は現地事情で変更になることがございます。ご了承ください。
朝:ホテル
昼:コンドゥレ石釜飯定食
夜:×
忠州高句麗碑
高霊池山洞古墳群
八万大蔵経・海印寺
咸安博物館
末伊山古墳群の馬甲塚から出土された馬甲と馬具
金海亀旨峰
金海大成洞古墳群
馬甲・大成洞博物館
期間 2024年9月5日(木)~9月8日(日)=4日間
旅行料金 未定
一人部屋追加料金 未定(1名でお申し込みの場合の追加料
食事 全食付(朝3、昼3、夕3回)
利用予定航空機会社 大韓航空機(KE )利用予定 エコノミークラス
宿泊予定ホテル 水安堡・・・水安堡パークホテル又は同等クラス
海印寺・・・加耶ホテル又は同等クラス
晋州・・・ホテルインターナショナル晋州又は同等クラス
最少催行 10名
定員 20名
締め切り 2024年7月19日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 株式会社TABi’Z(タビーズ・観光庁長官登録旅行業1906号)
旅行取扱会社 三進トラベル(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※成田空港発着となります。福岡・大阪発着希望の方はご相談ください。
※添乗員1名が成田空港より同行してお世話いたします。
【旅行代金に含まれるもの】 往復国際航空(航路)エコノミークラス運賃(※現地発着の方は除く)、運送機関が課す付加運賃料金(燃油サーチャージ)、空港税、国際観光旅客税、空港施設使用料、日程表記載の移動車両の運賃・料金、日程表に記載されている宿泊料金および諸税・サービス料、日程表に記載されている観光の料金、日程表に記載されている食事代および諸税・サービス料、日程表記載の観光の料金及び伴う場合のガイド料金、団体行動中のチップ
【旅行代金に含まれないもの】 日本での前後泊時の宿泊費・移動交通費、超過手荷物料金、任意の海外旅行傷害保険、お飲み物代金、オプショナルツアー代金、日程表記載の内容以外に行動される場合の諸経費、個人的性質の費用、傷害・疾病に関する治療費、パスポート取得費用、カフェ代
※前泊・延泊などは個別に対応いたします。ご相談ください。

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No105「文明の十字路・ウズベキスタン」

◆ポイント

シルクロードの青い都・サマルカンド

サマルカンドはアレクサンドロス大王の時代にはマラカンダと呼ばれ、その繁栄はソグドによって担われていた。商才と工芸技術にたけたソグド人は、さまざまな王朝の支配を受けながらも数世紀にわたって営々とサマルカンドを築き上げてきた。しかし、1220年のモンゴル軍の攻撃で、町の人口の四分の三以上が殺されるという壊滅的な被害を受ける。アフラシャブの丘にあった町は壊滅的な被害を受ける。そのサマルカンドを蘇らせたのがチムールである。彼は帝国各地から連れ帰った職人や建築家たちを使い、サマルカンドをイスラム世界に名だたる都市に復興した。
それから600年以上を経た現在も圧倒的な迫力で旅人の目をくぎ付けにする。

テルメズ周辺の仏教遺跡

クシャーナ朝の時に仏教の盛んな土地になり、玄奘が通った道には仏教遺跡が多く残っていて、『大唐西域記』ではテルメズに「呾蜜」の漢字をあてて、伽藍が十余ヶ所あることを伝えている。
ウズベキスタンには、中央アジア諸国の中で最も多くの仏教遺跡がある。そのうちの多くが国の南部、アム川北岸の都市テルメズとその周辺に集中している。仏教僧院(寺院)としてのみ機能したもの、都城址の城壁内にあって、ゾロアスター教など他の宗教施設と共存する、の二つのタイプがある。

■みどころ

◇テルメズ

アムダリヤ川を隔てた向こう側はアフガニスタンである。町の名前の由来はギリシア語 で「暑い所」を意味し、アレクサンドロス大王の東征の時代にまで遡ることができるという。実際、ウズベキスタンで最も暑い都市である。バクトリアの時代には既に定住があったことが認められる。クシャーナ朝の時は仏教の盛んな土地になり、仏教遺跡が多く残っている。

◇ダルヴェルジンテベ遺跡

ウズベキスタン・スルハンダリヤ州南東部、州都テルメズより60km北東にある遺跡である。グレコ・バクトリア王国時代、バクトリア地方北部に小規模な要塞が作られた後、紀元前1世紀頃都市が形成され、クシャーナ朝の時代に発展を遂げ、行政地域、居住地域、窯業などの産業地域、仏教寺院などが建設された。遺跡の住居からは金のネックレスなど多くの金製品が発見されている。3世紀頃には都市として衰退したと考えられている。

◇シャブリサーブス

7世紀には玄奘もインドへの途上に立ち寄ったほか、チムールの生誕地としても知られている。1336年、この地の豪族の家に生まれたチムールは広大な帝国を築いた後も故郷を忘れず、サマルカンドに引けを取らない壮大な建築群を建設、今もゆかりの廟や建物が残っている。
・ドルッティロワット建築群
チムールの父と指導者の二つの廟、モスク、神学校が一緒になった建築群。美しいタイル、鮮やかなドーム、室内の美しい模様のフレスコ画が印象的です。
・ドルッサオダット建築群
自分の後継者にと願っていた22歳の若さで戦死した長男を悼む廟として建てられた。
・アク・サライ宮殿
チムールが残した最大の建造物。現在は入口アーチの残骸だけが残る。テチムールが建てたお城で、とても大きな建造物です。現存しているのはほんの一部。

◇サマルカンド

紀元前10世紀ごろからオアシス都市として発展し、シルクロードの要衝として商業が盛であった。13世紀、チンギス・ハーンによって街が破壊された後、アミール・チムールによるチムール帝国の首都としてあらたに発展した。15世紀に入り、第4代君主であるウルグ・ベクによって、ウルグ・ベク・マドラサが建築されたことが、レギスタン広場の始まりである。
・レギスタン広場
3つのマドラサ<ティラカリ・マドラサ、ウルグ・ベク・マドラサ、シェルドル・マドラサ>が囲む広場で世界遺産に登録されている。
・ウルグ・ベク・マドラサ
レギスタンン広場正面から左に位置する最も古いマドラサ。チムール朝第4代君主ウルグ・ベクにより、1417年から1420年の約3年の工期をかけて完成した。モスク・講義室・寄宿舎があり、当時の学生が生活していた。現在では、天文学者でもあったウルグ・ベクの功績を讃える博物館となっている。
・シェル・ドル・マドラサ
ウルグ・ベク・マドラサの対面に位置するマドラサ。ク・マドラサを模しているが、王の権力を誇示するための装飾が施されている。「シェル・ドル」とはタジク語でライオンを意味し、正面にライオンがシカを追う様子が描かれている。イスラム教では偶像崇拝が禁止されているため、イスラム建築に動物が描かれることは珍しい。
・ティリャー・コリーモスクマドラサ
レギスタン広場正面に位置する最も新しいマドラサ。1646年から1660年にかけて建設された。当時、中央アジア最大といわれたビビハニム・モスクが破壊されていたため、このマドラサが、サマルカンドのメインモスクとして位置付けられた。「ティリャー・コリー」とは金箔を施されたという意味があり、その名前の通り、礼拝所には一面の金の装飾が施されている。建設当時は5kgの金箔が使われていたとされ、後の修復時にも3kgの金箔が使われたとされる。
・グリ・アミール廟
チムールとその一族、ウルグ・ベクが眠る墓がある
・ビビハニム・モスク
イスラム最大のモスク跡、青のイスラム建築群・シャーヒズンダ廟群
・サマルカンド郊外
チンギス・―ハンが破壊し荒廃したアフラシャブの丘、ウルグ・ベク天文台など。

◇ペンジケント

タジキスタンの西部ソグド州ザラフシャン川沿いにあり、ウズベキスタンとの国境の街でサマルカンドから約60㎞と近い。ウズベキスタンのサマルカンド州、ブハラ州とともに古代国家ソグディアナに相当する。
・中央アジアのポンペイ
8世紀のアラブ襲来の時に、住民が町を放棄したままの状態で古代都市としての原形をとどめている。

◇タシケント

・ナボイ劇場
中央アジア内で随一の舞台芸術(バレエ・オペラなど)レベルを誇る。第二次世界大戦中に建てられ、ソ連時代には政府から“Grand(グランド)”の称号を与えらえた、由緒正しき劇場でした。実は日本とも繋がりの深い建物。この美しい劇場を建てたのは、第二次世界大戦後にタシケントに連行された日本人捕虜の人たちでした。1966年の大地震でタシケントの街は壊滅的な被害を受けましたが、ナボイ劇場だけはびくともしなかったそうで、住民の避難所などとして使われました。この出来事は、日本とウズベキスタンの友好関係が深まる大きなきっかけとなりました。劇場の外には、日本兵が建設に携わったことを記すプレートが飾られています。
・ウズベキスタン国立博物館
石器時代の出土品から現代の資料までバラエティ豊かに揃えられた展示物は、有史以前からのウズベキスタンの歴史を物語っています。そのうちの一つが、テルメズから見つかった三尊仏。紀元前のものと考えられており、この時代にはすでにウズベキスタンに仏教が伝わっていた事を示す大変重要なものです。ほかにも、様々な時代に作られた世界各地のお金のコレクションも大きな見どころです。

旅程

日程 スケジュール
<1日目> 成田国際空港(10:25)→ウズベキスタン航空(HY528)直行便→(16:05)タシケント空港着後、中央アジア最大の都市・タシケント市内へ。
(タシケント泊) 
<2日目> タシケント空港へ。タシケント空港(10:30)→国内線(HY1159)→(11:45)テルメズ空港着。スルハンダリヤ州の州都・テルメズ見学(ファヤズ・カラ、カンブレ・テパ、カラテバ、国立博物館)
(テルメズ泊)
<3日目> クシャーナ朝時代の都城址、ダルヴェルジンテベへ。着後、ダルヴェルジンテベ見学。テルメズに戻り休息。
(テルメズ泊)
<4日目> チムールの生誕地で古代ソグディアナのオアシス都市、シャブリサーブスへ。着後、シャブリサーブス見学(チムールの父の墓・ドルッテオバットバット建築群、長男の墓・ドルオダット建築群)、見学後イスラムの宝石・サマルカンドへ。
(サマルカンド泊)
<5日目> 午前、サマルカンド市内観光(旧市街の中心にあり、壮大な3つのメドレッセが囲むレギスタン広場<金色に輝く内装が美しいティラカリメドレッセ、天文学者であったウルグ・ベクの遺産ウルグ・ベク・メドレッセ、イスラムのタブーを破る人面が描かれたシェルドル・メドレッセ>、チムール一族が眠るグリ・アミール廟、イスラム最大のモスク跡ビビハニム・モスク跡、青のイスラム建築群・シャーヒズンダ廟群。
午後、サマルカンド郊外観光(チンギス・ハーンが破壊し荒廃した旧サマルカンドの街址アフラシャブの丘、驚くべき正確さを誇るウルグ・ベク天文台など)
(サマルカンド泊)
<6日目> タジキスタンのペンジケントへ(タジキスタン国境で入出国手続きを受けます)、ソグド人の古代都市遺跡・ペンジケント見学(古代ソグド人の遺跡や郷土博物館、バザール、モスクなど)見学後、サマルカンドに戻ります。夕刻、サマルカンド駅へ。
サマルカンド駅(17:00変更→17:20)=高速列車変更→高速鉄道・アフラシャブ号新幹線=(19:30変更→19:44)タシケント駅着後、タシケント市内へ。
(タシケント市内泊)
<7日目> 終日、タシケント市内観光(抑留日本兵によって建てられたバレエ・オペラ劇場・ナボイ劇場、ウズベキスタンの歴史を紹介するウズベキスタン国立博物館、テレビ塔、自由広場、ドーム屋根の下の巨大食料品バザール・チュルスーバザール、旧市街など)夕食後、タシケント空港へ。
タシケント空港(21:05)→ウズベキスタン航空(HY527)→(機中泊)
<8日目> (08:55)成田空港着。入国手続きを経て解散。
カラテパ(テルメズ)
ダルヴェルジン・テペ遺跡(テルメズ)
テルメズの市場
レギスタン広場(サマルカンド)
ウルグベク天文台跡(サマルカンド)
アフラシャブの丘 アフラシャブ博物館
カラーン・ミナレット・ブハラ (高さ46m)
チャハル・ミナール・ブハラ(「4本のミナレット」)
釈迦如来像 ウズベキスタン歴史博物館(タシケント)
ウズベキスタン料理
プロフ(ピラフ)
シュルボ・ドゥシュペラ
期間 2024年10月4日(金)~10月11日(金)=8日間
旅行料金 未定(近日発表)
一人部屋追加料金 未定(一人様参加の場合の追加料金)
食事 全食付(朝食7回、昼食6回、夕食7回、機内食2回)
利用予定航空機会社 ウズベキスタン航空機(HY )利用予定 エコノミークラス
宿泊予定ホテル テルメズ…00000または同等クラスホテル
サマルカンド…ヒルトンガーデンインホテルまたは同等クラス
タシケント・・・ハイアットリージェンシーホテルまたは同等クラス
最少催行 8名
定員 15名
締め切り 2024年8月26日(月)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 株式会社TABi’Z(タビーズ・観光庁長官登録旅行業1906号)
旅行取扱会社 三進トラベル(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※燃費サーチャージは旅行代金に含まれておりません。目安50000円(基準日12月21日現在)今後、原油価格の変動に伴い金額が変更される可能性がございます。
※国内空港施設使用料、旅客保安サービス料、海外空港税、国際観光旅客税が別途必要となります。

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No106「新羅王都と新羅文化圏(慶州と慶尚北道)を訪ねる」

旅のポイント

新羅千年の都・慶州に善徳女王をはじめとする王陵や四天王寺址などの仏教寺址を見学し、慶尚北道の義城、大邱、安東、尚州の周辺文化圏では新緑の幽山に包まれた桐華寺などの木造建築物、造塔洞塼塔(せんとう)をはじめとする塼塔・石塔、軍威の三尊石仏…さらに各地の博物館や古墳群に新羅文化のなごりを探ります。また世界遺産の歴史民俗村を訪ねるのも楽しみです。

◇みどころ

慶州文化財研究所

新羅文化圏における文化財発掘や学術調査を担当している研究所で、展示館では博物館などでは見学できない所蔵遺物を観覧することができます。

聖徳王陵

国内政治を安定させ、唐との外交を活溌にし、三国統一以後の政治的に最も安定した新羅の全盛期をつくりあげた新羅33代聖徳王の陵墓です。唐の習慣が多く流れ込み、墓も同様で墓の前を文人、武人、獅子が守り、まわりを仏教の護国思想とも習合した十二支像が守っています。

四天王寺址

三国統一後に仏法の力で唐の勢力を退散させることを目的で、30代文武王によって創建された寺です。双塔式伽藍配置(双塔一金堂式)で、現在は塔の礎石、亀趺、幢竿支柱が残っています。

善徳王陵

芬皇寺や瞻星台、新羅最大の皇龍寺九層木塔を建て、新羅仏教建築の全盛期に新羅初の女王となった善徳女王の陵墓です。王陵は自然石を利用し、円墳の下に2段に保護石を積んだ以外は特に装飾がなく、他の王陵に比べ規模は小さなものです。

望徳寺址

31代神文王によって創建された寺で、寺址には東西の木造塔や建物の礎石が残っています。典型的な統一新羅時代の双塔伽藍配置で、この他に南側の階段の跡がよく残っており、また西南には幢竿支柱が残っています。

金冠塚

天馬塚のある慶州古墳群中の一基で22代智證王前後の王の墓と推測されています。長方形状の墓壙を掘り,その中央に木材を組み合わせた槨をつくり,木棺を安置し,さらに槨外に人頭大の河原石を積み,盛土した積石木槨墳です。副葬品は豪華で,被葬者は古墳名の由来となった金冠をかぶり,切子玉・小玉・勾玉をつらねた首飾,金製腰佩をつけ,腕・足には金銀製釧(くしろ)・指輪・金銅製飾履をつけていました。

国立大邱博物館

慶尚北道地域の特色ある文化遺産を保存・展示する博物館で、旧石器時代から三国時代までの遺物を順に見学できます。また美術室では慶北地域の仏教文化、仏教彫刻品、仏像、仏教工芸品、高麗青磁や朝鮮白磁、粉青沙器などの優品が展示されています。

桐華寺

霊山とされる八公山の主峰・毘盧峰を中心にして鷲が羽ばたくように東峰と西峰があり、谷間ごとに新羅時代から護国を願う仏事を続けてきた桐華寺、把渓寺、仏像・塔・磨崖仏が数多く散在しています。桐華寺は、新羅ソジ王の時代の寺で、興徳王の時代に再建されました。

松林寺

統一新羅時代に建てられた高さ16.13㍍の五層磚塔仏塔があることで有名です。塼塔に使われた塼瓦は方形または長方形、摂氏800~1000℃で焼かれたものといわれます。これを地上 1m程度の花崗岩基壇上に五層に積み塔身を形成し、その上に高さ4.5mの青銅製相輪部が載っています。相輪部まで完全に残っているのは稀で貴重な文化財です。1959年の解体復元時に木製仏像と舍利容器(正倉院御物の「瑠璃坏」と酷似)などが発見され、国立大邱博物館に保管されています。

軍威三尊石窟

慶州の石窟庵以前、統一新羅時代初期に自然の洞窟につくられた石窟寺院で700年頃に造営された三尊石仏が安置されています。

義城石塔

統一新羅時代最初期の石塔で、磚塔様式が残されている面と、木造塔に由来する様式がそれぞれにみられ、いまだ完成していない新羅式石塔の姿をしています。 基壇は新羅式の石塔で一般的な二重基壇にはならず芬皇寺石塔と同じく単層基壇で大きさも比較的広くなっています。屋蓋は下面が段状の持送り、屋蓋石の上面も磚塔のような持送り状に段がついています。

造塔洞磚塔

現存する磚塔、模磚石塔の多くは統一新羅時代のもので、特に安東地方を中心に分布しており、安東・造塔洞磚塔は五層塼塔で塔身は高さ8.65m、一段目に小窓がありその両側には仁王像が浮彫にされた板石が填め込まれています。初層部分には花崗岩塊を使用しています。

鳳凰寺

文武王12年(672年)に義湘大師の弟子・能仁大德が創建した寺で、義湘大師が浮石寺から紙で折った鳳凰を飛ばしたところ、その鳳凰が風に乗って『鳳停寺』のある場所に下りたことから鳳停寺と名付けられたと伝えられています。境内には高麗時代に建てられた極楽殿、朝鮮時代初期建造の大雄殿、高麗時代の三層石塔、朝鮮後期の華厳講堂などがあります。極楽殿は12世紀ごろに建築された韓国国内で最も古い木造建築物です。

河西マウル

両班文化が最も栄えた朝鮮時代の両班(貴族)村で、2010年に歴史民俗村として慶州・良洞民俗村と共に世界文化遺産に登録されました。伝統的な風水の原則や儀礼、村行事などを現代ま  でも守り続けています。また昔の家、東屋、寺院などの建物の多くがそのまま残っています。また、両班と庶民との関係をコミカルで風刺的に表現した仮面劇が伝承されています。

尚州博物館

新羅時代の9州、高麗時代の8牧のうちの一つ、朝鮮時代には慶尚監営が置かれていた尚州の文化遺産を体系的に保存する博物館です。屋外には石造遺物や生態池、伝統模様が刻まれた時計塔などが設置されています。

洛山洞古墳群

1987年に洛山洞の宅地造成にともなう緊急調査が行われ、古墳群は3世紀後半から5世紀前半にかけて築かれたもので、竪穴式石室、土墳墓、甕棺墓など多様で、横穴式石室墳が盛行する以前の墓制であることが明らかになりました。28号墳は、三国時代の末期、七世紀代のもので、石枕・足座を備えた埋葬法は新羅横穴式石室墳の影響であろうとみられています。これらの墓から出土した埋葬品には、新羅の金及び銀製の耳飾り、加耶時代(42-562)の土器が含まれており、この地方の支配勢力の集団墓地と推定されている

嶺南楼

晋州の矗石楼、平壌の浮碧楼とともに韓国三大楼閣の一つで朝鮮後期の代表的な楼閣です。両側に凌波閣と枕流閣の両翼があり、眼下には密陽江がゆったりと流れます。アラン閣、檀君を祭る天鎭宮、密城大君壇、密陽市立博物館があります。密陽は韓国3大アリラン・密陽アリランの発祥の地です。

表忠寺

興徳王が建立したといわれる寺で、寺院内には、国に大事がおこると、碑石から汗、涙がでるといわれ表忠碑閣を初め、三層石塔や青銅含銀香壇(国宝75号)などの文化財を保管しています。壬申の乱の終了後、四溟大使が日本に行き3000人の捕虜を連れて帰ってきたことを称え、表忠寺という名前がつけられたといわれています。

旅程表

日程 スケジュール
<1日目>
2024年10月17日(木)
成田空港(10:00)→航空機(JL957予定)→(12:15)釜山空港=バスで慶州へ。着後慶州市内(慶州文化財研究所<所蔵新羅遺物を観覧>、聖徳王陵、四天王寺址、善徳女王陵、望徳寺址、金冠塚など)
(慶州市内 コモドホテル慶州朝鮮泊予定)
<2日目>
2024年10月18日(金)
慶州から大邱へ。大邱(大邱博物館、桐華寺)見学後、安東へ。途中、松林寺、軍威三尊石仏、義城の大里古墳、石塔見学。安東着後見学(安東造塔洞古墳、造塔洞五層塼塔)
(安東市内 安東パークホテル泊予定)
<3日目>
2024年10月19日(土)
午前、鳳停寺見学後、河西マウルへ。河西マウル見学後、尚州へ。着後、尚州(沙伐王陵、臥龍洞遺跡、尚州博物館)見学後、善山の洛山洞古墳群見学後、大邱へ。
(大邱市内 大邱プリンスホテル泊予定)
<4日目>
2024年10月20日(日)
蜜陽へ。蜜陽(嶺南楼、表忠寺)見学後、釜山空港(14:00)→航空機(JL958予定)→(16:00)成田空港到着後、解散。
慶州文化財研究所外観
聖徳王陵亀趺
四天王寺基壇址
善徳王陵
望徳寺址に残る幢竿支柱
桐華寺大雄殿
松林寺五層磚塔
軍威三尊石窟三尊石仏
造塔洞五層塼塔
鳳凰寺大雄殿
河西マウル
三大楼閣の一つ嶺南楼
期間 2024年10月17日(木)~10月20日(日)=4日間
旅行料金 予価 193,000円(2名1室・2名様参加の1名様代金)
一人部屋追加料金 予価22,000円(1名でお申し込みの場合の追加料金)
食事 全食付(朝3、昼3、夕3回)
利用予定航空機会社 日本航空機(JL )利用予定 エコノミークラス
宿泊予定ホテル 慶州市内…コモドホテル慶州朝鮮又は同等クラス
安東市内…安東パークホテル又は同等クラス
大邱市内…大邱プリンスホテル又は同等クラス
最少催行 10名
定員 20名
締め切り 2024年9月6日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 株式会社TABi’Z(タビーズ・観光庁長官登録旅行業1906号)
旅行取扱会社 三進トラベル(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※成田空港発着となります。福岡・大阪発着希望の方はご相談ください。
※添乗員1名が成田空港より同行してお世話いたします。
※成田空港発着。福岡・大阪発着希望の方はご相談ください。
※燃費サーチャージ(目安11、800円:2024年2月27日現在)、また日本の空港施設使用料等、国際観光旅客税、および現地空港諸税が別途必要となります。

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No107「秋の韓国・南山石仏めぐりと伽耶山・俗離山への旅」

ポイント

深まりつつある秋の時期に、歴史と美術の両面から韓国の造形美意識を訪ね歩く旅です。
慶州では南山に登り、新羅の都を眼下に自然の中に身を置き、岩壁に刻まれた磨崖仏を拝します。韓国三大寺刹の一つ海印寺では、膨大な八万大蔵経を作った高麗時代のエネルギーを伽耶山全体が紅葉に彩られる1年中で最も美しい時期に訪れることになります。
奈良・法隆寺にも似た法住寺の五重木塔・捌相殿(べっそうでん)を見上げれば、奈良仏教が、百済、新羅仏教の影響を受けていることがうかがわれます。寺の近くの民画美術館へも足を踏み入れ、朝鮮時代の庶民の絵画として親しまれた民絵を鑑賞し、ソウルへ向かいます-ソウル中央国立博物館、秘園など、三国時代から現代まで幅広く仏教美術や美術作品に直接触れ、体験することによって両国の文化の理解が深まる旅情あふれる旅です。

■みどころ

◇韓国の名刹…仏国寺・海印寺・法住寺・神勒寺

・仏国寺……韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の寺院で第11教区本寺。吐含山のふもとにある。1995年、石窟庵とともに「石窟庵と仏国寺」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。また釈迦塔などが韓国の国宝に指定されている。
・海印寺……慶尚南道陜川郡にある寺院。曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の三宝寺院、五大叢林(海印叢林)に数えられている。高麗八万大蔵経の版木が保管されている。大蔵経板殿は世界遺産に登録されている。

・法住寺……曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第5教区本寺である。1624年に建立された捌相殿は韓国唯一の木塔で国宝(国宝第55号)に指定されている。
・神勒寺……寺の前に南漢江が流れ、広い砂地が広がる美しい寺院です。新羅時代に元暁大師が創建。

◇南山の石仏……慶州南部に位置する南山麓一帯の石仏を見学致します。

・南山仏谷磨崖如来坐像 ・南山塔谷磨崖仏像群 ・南山弥勒谷石造如来坐像 ・菩提寺磨崖石仏など。

◇龍仁市(ヨンイン)韓国民俗村

鮮半島に古くから息づく生活様式や文化を見学・体験できる野外博物館です。約20万坪の広大な敷地に各地方の特色が表れた270棟の伝統家屋が展示されている。また、陶磁器や韓紙(ハンジ)といった工芸品の制作過程を再現している工房もある。

◇慶州国立博物館・国立ソウル中央博物館
◆韓国の秋の味覚

・松茸料理……松茸を形を活かしたままスライスして焼く。秋に採取する松茸は、豊かな香りが特徴で、しかもタンパク質が豊富なため、貴重な食材とされる。松茸の香りをしっかり味わいながら、最も気軽に食べることができるのは焼き料理。

旅程

日程 スケジュール
<1日目>
成田→釜山=慶州
成田空港(10:50)→日本航空機(JL957)→(13:05)釜山空港=慶州(統一新羅時代の代表的仏跡・仏国寺、甘美な釈迦像を安置する石窟庵を見学)
(慶州泊)
<2日目>
慶州滞在
午前、新羅の仏教聖地・南山の石仏を訪ねる。
午後、慶州国立博物館
(慶州泊)
<3日目>
慶州=海印寺=俗離山=法住寺
慶州=国立公園伽耶山の深山幽谷の地に、9世紀初頭創建の古刹・海印寺、韓国八景のひとつで、絶景で知られる俗離山の法住寺へ。夜、秋の味覚・松茸料理賞味。
(俗離山泊)
<4日目>
俗離山=ヨジュ=龍仁=ソウル
南漢江のほとりに秀麗な自然景観をかもすヨジュの神勒寺、朝鮮朝4代世宗大王陵を訪ね、龍仁市(ヨンイン)の韓国民俗村に立ち寄りソウルへ。
(ソウル泊)
<5日目>
ソウル→成田
ソウル市内観光(国立ソウル中央博物館、秘園など)
夕刻、ソウル空港(17:40)→日本航空機(JL5204)→(20:00)成田空港、到着後解散。
仏国寺
阿閦如来座像・石窟庵
八万大蔵経の納められた伽倻山・海印寺
朝鮮半島唯一の木造の五重塔(法住寺)
神勒寺(シンルクサ)の紅葉
南山・七仏浮彫
慶州南山仏谷磨崖如來坐像
松茸牛肉プルコギ
期間 2024年10月30日(水~11月3日(日)=5日間
旅行料金 未定(近日発表)
一人部屋追加料金 未定(1名でお申し込みの場合の追加料金)
食事 全食付(朝4、昼4、夕4回)
利用予定航空機会社 日本航空・大韓航空・エアプサンなど
宿泊予定ホテル 慶州…慶州グランドホテルクラス
俗離山…レイク ヒルズ ソンニサン ホテルクラス
ソウル…ロッテ シティ ホテル ミョンドンクラス
最少催行 10名
定員 15名
締め切り 2024年9月20日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 株式会社TABi’Z(タビーズ・観光庁長官登録旅行業1906号)
旅行取扱会社 三進トラベル(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※成田空港発着。福岡・大阪発着希望の方はご相談ください。
※燃費サーチャージ(目安11、800円:2024年11月2日現在)、また日本の空港施設使用料等、国際観光旅客税、および現地空港諸税が別途必要となります。
※添乗員1名が成田空港より同行してお世話いたします。

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『三進』「武井一先生の『韓国現地で受ける課外授業』と地元グルメを楽しむ 釜山・慶尚道・全羅道4日間」

旅行期間:2024年8月25日(日)~8月28日(水)=4日間

武井一先生 現地での直接講義第2弾!

2年に渡って三進トラベルサービスオンライン講座で韓国の歴史を担当していただいた武井一先生と共に韓国に行って、現地で歴史的建造物や遺跡を見学しながら直接、講義を受けるツアーです。先生は長年にわたり東京都立日比谷高等学校をはじめとした高等学校で社会科と韓国語を教えており、ある程度レベルが高いが一般の人々も理解できる高校レベルの授業を直接韓国で受けることができます。また、早稲田大学エクステンションセンターや亀戸文化センターで韓国関係の市民講座も行っており、その判りやすさには定評があります。
今回は釜山および全羅道を中心に旅します。今回の訪問地は文禄慶長の役の要衝だった地が多く、激戦地となったことから史跡が数多く残されており、日韓の歴史を学ぶのに見ておきたい場所です。数多くある見どころを武井一先生がセレクトして、その見学地について歴史的経緯等を詳細に解説致します。どうぞ奮ってご参加の程、お待ち申し上げております。

ご興味ある方は下記アドレスをクリックいただき旅行案内をごらんください。
https://www.sanshin-travel.com/tour/20789

旅行について

上記の国内旅行は『トンボの眼編集室』が旅行プランを企画し、株式会社三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)が旅行企画・実施する募集型企画旅行です。お客様は株式会社三進トラベルサービスと募集型企画旅行契約(以下旅行契約)を締結することになります。取消料金などの旅行諸条件は、株式会社三進トラベルサービスにお問い合わせください。旅行の取り扱いは株式会社三進トラベルサービスが行います。また上記の海外旅行は『トンボの眼編集室』が旅行プランを企画し、株式会社タビーズ(観光庁長官旅行業1906号)が旅行企画・実施する募集型企画旅行です。お客様は株式会社タビーズと募集型企画旅行契約(以下旅行契約)を締結することになります。旅行の取り扱いはタビーズの受託販売会社・株式会社三進トラベルサービスが行います。国内・海外旅行ともに旅行業法に則り、旅行の(交通・宿泊などの手配・旅費の授受・出発の案内など)業務は株式会社三進トラベルサービスが行います。

旅行のお問い合わせ・パンフレットの請求先

お問い合わせ・パンフレットの請求先 『トンボの眼』編集室
担当 佐々木 章
所在地 〒234-0051 
神奈川県横浜市港南区日野8-16-3-104
メール info@tonbonome.net
TEL 090-1706-6024
FAX 045-846-9781

旅行のお申し込み先

パンフレットが届き、ご検討のうえお申し込みの際は、まずお電話でお申し込みください。

申し込み先

お電話でのお申し込みを受けましたら、折り返し、申込み書・旅行条件書・お申し込み金(50,000円以下の旅費の場合は全額)のご請求書をご送付いたします。

申し込み先 三進トラベルサービス
フリーダイヤル 0120-988-134
TEL 03-6264-8739
FAX 03-6264-8737
受付時間 10:00~18:00
土・日・祝日休業
担当 税所(さいしょ)
所在地 〒103-0012 東京都中央区堀留町1-10-19 第1川端ビル2階

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出発までの流れ

出発日の40日前を目処に旅行代金の残金請求をさせていただきます。
入金確認後、出発の3~4週間前に『旅の案内』として

  • 集合場所
  • 出発の案内
  • 旅行中緊急時の連絡先
  • 航空機便名・発着時間
  • 旅程表
  • 宿泊ホテル
  • 出入国カード(場合により機内配布)
  • 留守宅控え

などの資料をご自宅宛に郵送いたします。

取消料

お客様は、いつでも下記に定める取消料をお支払いいただいて、旅行契約を解除することができます。この場合、すでに収受している旅行代金(あるいは申し込み金)から所定の取消料を差し引き、払い戻しいたします。申し込み金のみで取消料がまかなえない時はその差額を申し受けます。取消料は、土曜日・日曜日・祝日、17:00以降に取り消される場合は、翌日の取り扱いとなります。

国内旅行規定

旅行開始日の前日から起算してさかのぼって

21日目にあたる日以前の解除 無料
20日目にあたる日以降の解除 旅行代金の20%
10日目にあたる日以降の解除 旅行代金の30%
7日目にあたる日以降の解除 旅行代金の40%
旅行開始日前日の解除 旅行代金の50%
旅行開始日の解除または無連絡 旅行代金の100%

海外旅行規定

旅行開始日の前日から起算してさかのぼって

40日目にあたる日以前の解除 無料
30日目にあたる日以降の解除 旅行代金の20%
7日目にあたる日以降の解除 旅行代金の40%
旅行開始日前日の解除 旅行代金の50%
旅行開始日の解除または無連絡 旅行代金の100%