『遺跡・史跡・自然の旅』・催事案内

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『遺跡・史跡・自然の旅』・催事案内

旅行への需要も復活のきざしを見せてきました。『トンボの眼』でも少しずつ活動を再開し始めました。まずは日帰り旅行を中心に「関東の古墳巡りシリーズ」の充実に加え、自然を対象とした「花めぐりシリーズ」を新たに設定しました。ここをスタートに宿泊を伴う国内旅行、さらには「海外旅行」も順次、再開していきたいと考えています。皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。

『遺跡・史跡・自然の旅』
和多都美神社
『遺跡・史跡・自然の旅』
小渕沢・神田大糸桜

【『関東の古墳をめぐる』シリーズ】


2024年下期(2024年10月~2025年3月)


【『花をめぐる』シリーズ】


【『国内・遺跡史跡の旅』シリーズ】


【『海外・遺跡史跡の旅』シリーズ】

『関東の古墳をめぐる』シリーズ

大和政権の象徴とも言える前方後円墳は、いつどのように東国(東海・信濃・関東)へ伝わったのか。豪華な副葬品や彩色壁画、鉄剣銘文など、東国古墳の特質を探り、古墳文化の東国伝播に秘められた、大和政権の東国支配の実態に迫ります。古墳や古代寺院、官衙の見学に加え、各コース共に博物館、資料館などを訪ね、学芸員の方の展示解説、訪問地ガイダンスをお願いしています。また、古墳概要などの基礎的な資料を事前にご用意しています。個人旅行では回り切れない特色ある古墳をテーマに沿って設定してコンパクトにめぐります。

関東の古墳をめぐる

特別企画】『漆山古墳発掘現場見学(高久健二先生臨地解説)と上野三碑をめぐる』

◆ポイント

群馬県(上野国)高崎市内にある、飛鳥時代から奈良時代に建てられ、漢文が刻まれた3基の石碑が上野三碑(こうずけさんぴ)です。山ノ上碑(山上碑)・多胡碑・金井沢碑の総称で日本に18例しか現存しない古代の石碑(金石文)(7世紀 ~ 11世紀)の中でも最古の石碑群です。いずれも国の特別史跡に指定されており、2017年にはユネスコ「世界の記憶」に登録されました。上信電鉄沿線に比較的隣接していますので電車、バス、徒歩で移動して見学します。また上信電鉄佐野の渡し駅の400㍍に漆山古墳が存在します。専修大学では毎夏、学生主流の発掘調査が行われ、大きな成果を上げています。その発掘現場をおとずれ、調査の指導にあたっておられる高久健二先生による臨地解説をしていただき、今年の発掘成果を学びます。発掘の成果の全貌がほぼわかる8月末に設定しました。

臨地講師

高久健二先生(専修大学教授)
略歴 1967年生まれ。
九州大学大学院文化科学研究科修士課程修了、韓国・東亜大学校大学院史学科博士課程修了・文学博士取得。
九州大学大学院比較社会文化研究科助手、埼玉大学教養学部准教授、教授を経て、現在、専修大学文学部教授。
専門は韓国・朝鮮考古学、東アジアの古墳文化。
主要著書『楽浪古墳文化研究』(学研文化社)他論文多数

期日 2024年8月28日(水)=日帰り
旅行料金 6,500円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 (JR高崎駅隣)上信電鉄高崎駅前集合・解散。
締め切り 2024年7月16日(月) 満員になり次第締め切ります。

■みどころ

◇山ノ上碑(やまのうえのひ)

高崎市山名町にある古碑です。隣接する山ノ上古墳と合わせて国の特別史跡に指定されています。日本国内で完全な形で残るものとしては最古の石碑とされています。輝石安山岩に縦4行53文字が刻まれています。書体は古い隷書体の特徴が見られます。
碑文に「辛己(巳)歳集月三日記」とあり、「辛巳年」にあたる天武天皇10年(681年)の建碑とされます。放光寺の僧侶・長利(ちょうり)が母の黒売刀自(くろめのとじ)のために墳墓の山ノ上古墳(下記参照)の近傍に建てたものとみられます。碑文はすべて漢字ですが、日本語の語順で読むことができ、日本独自の漢字の使用法を知る手掛かりとしても貴重です。

◇多胡碑(たごひ)

高崎市吉井町池字御門にある古碑です。多胡郡の建郡を記念して和銅4年(711年)頃に建碑されました。書道史の上からは日本三古碑の一つとされています。
身、笠石、台石からなり、碑文は上野国の片岡郡、緑野郡、甘良郡の三郡から300戸を分けて多胡郡を新設した内容で、『続日本紀』和銅4年(711年)3月辛亥(6日)条と一致しており、同書から711年頃の建立とされます。

◇金井沢碑

高崎市山名町にある古碑であり、国の特別史跡に指定されている。神亀3年(726年)2月29日建碑。台石にはめこまれ、文はその表面に陰刻されています。書体は古い隷書体の特徴が見られます。江戸時代の中ごろに出土し、かつては小川のほとりで付近の農家の洗濯板として使用されていたといいます。
その内容は、上野国群馬郡下賛(下佐野)郷高田里の三家(ミヤケ、屯倉)の子孫が、七世父母、現在の父母等のために天地に誓願して作る旨が記され、祖先の菩提と父母の安穏を仏に祈願している内容です。

◇漆山古墳(うるしやまこふん)

高崎市下佐野町、烏川東岸の河岸段丘上に築造された古墳です。烏川東岸一帯では帯状に古墳80基が分布して佐野古墳群が形成されましたが、現在では古墳群中最大の本古墳のほかにわずかしか残っていません。これまでに前方部の半分の墳丘が失われていましたが、2018年度(平成30年度)以降に専修大学により毎年夏期に発掘調査が実施されてきました。佐野古墳群では最終段階の築造と位置づけられ、築造当時としては古墳群を代表する盟主的古墳でした。当地域では6世紀後半頃にヤマト王権の直轄地として佐野屯倉が設置されたとされ、本古墳の被葬者はその管理者と推測する説があり、佐野屯倉の管理者の子孫が建碑したと見られる山上碑・金井沢碑の碑文との関連性が注目されています。

多胡碑
山ノ上碑覆屋・山ノ上古墳
漆山古墳・後円部墳頂の発掘調査

スケジュール

11:00)上信電鉄高崎駅改札口前集合…上信電鉄高崎駅=上信電鉄吉井駅…バスまたは徒歩…多胡碑・多胡碑記念館…バスまたは徒歩…上信電鉄吉井駅=上信電鉄西山名駅…バスまたは徒歩…山上碑…高崎自然歩道・石碑(いしぶみ)の道…金井沢碑…上信電鉄根小屋駅=上信電鉄佐野の渡し駅…漆山古墳(高久先生の臨地解説で発掘現場見学)…上信電鉄佐野の渡し駅=(17:30頃)上信電鉄高崎駅改札口前・解散。

No15『多摩川流域の古代をめぐる2-古墳の終末から寺院へ-』

◆ポイント

多摩川流域の古墳群には、その築造された時期と形式による特徴がはっきりしています。下流域の亀甲山古墳、宝来山古墳などの前方後円墳が出現する前期中葉、中下流域の野毛大塚古墳に代表される帆立貝形古墳の継続的造営と畿内の影響を強く受ける副葬品が認められる中期前葉、竪穴系円墳を主体とする群集墳が築造された中期後葉、新たに横穴式石室墳が導入された後期高葉、横穴墓などの終末期。そして古墳の終末とともにかわって寺院が建立される時代を迎えます。
今回の旅では多摩川の流れにそって「古墳の終末から寺院へ」をテーマに古代を旅します。

■みどころ

準備中

銅像釈迦如来倚像安置釈迦堂
熊野神社古墳
武蔵国の総社大国魂神社

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:00)=調布市(深大寺〈白鳳仏〉=三鷹市(三鷹天文台構内古墳)=府中市(熊野神社古墳展示館・熊野神社古墳)=国分寺市(大国魂神社・武蔵国府跡)・武蔵国分寺跡・武蔵国分寺跡資料館・東山道武蔵路跡)=東京駅丸の内口(丸ビル前) (17:30頃)解散。

期日 2024年9月17日(火)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 8名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前)  集合(08:00)
締め切り 2024年8月7日(水) 満員になり次第締め切ります。

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No1 『西毛(高崎・藤岡)の大型古墳をめぐる』』

◆ポイント

高崎市にある古墳で、渡来人集団を支配し、かつ大陸と積極的に交わった古代の毛野の首長の大型古墳・綿貫観音山古墳、藤岡市にあり毛野最大の七輿山古墳をはじめ、群集墳の分布が多い白石古墳群、この地を掌握した首長によって形成された倉賀野古墳群などを訪れます。

■みどころ

準備中

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)=関越自動車道=高崎IC=綿貫観音山古墳=観音塚考古資料館=倉賀野古墳群(浅間山古墳・大鶴巻古墳)=昼食=白石稲荷山古墳・藤岡歴史館・七輿山古墳・伊勢塚古墳=藤岡IC=関越自動車道=(18:00頃)東京駅丸の内口(丸ビル前) 解散。

期日 2024年10月16日(水)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)・解散(18:00頃)
締め切り 2024年9月9日(月) 満員になり次第締め切ります。

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No1 『西毛(高崎・藤岡)の大型古墳をめぐる』

◆ポイント

高崎市にある古墳で、渡来人集団を支配し、かつ大陸と積極的に交わった古代の毛野の首長の大型古墳・綿貫観音山古墳、藤岡市にあり毛野最大の七輿山古墳をはじめ、群集墳の分布が多い白石古墳群、この地を掌握した首長によって形成された倉賀野古墳群などを訪れます。

■みどころ

準備中

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)=関越自動車道=高崎IC=綿貫観音山古墳=観音塚考古資料館=倉賀野古墳群(浅間山古墳・大鶴巻古墳)=昼食=白石稲荷山古墳・藤岡歴史館・七輿山古墳・伊勢塚古墳=藤岡IC=関越自動車道=(18:00頃)東京駅丸の内口(丸ビル前) 解散。

期日 2024年10月16日(水)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)・解散(18:00頃)
締め切り 2024年9月9日(月) 満員になり次第締め切ります。

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No2 『上毛野の古墳(総社・保渡田古墳群・観音塚)の石室を見学する』

◆ポイント

前橋台地上の総社古墳群〈愛宕山古墳、宝塔山古墳、蛇穴山古墳の3基の方墳はこの時期としては県内最大〉、榛名山南麓の群馬町保土田・井出の地に分布し、広大な二重の堀を巡らし、多量の埴輪を立て並べていた三基の大型前方後円墳からなる保渡田古墳群〈二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳)、群馬県内では最後に造られた大型前方後円墳・観音塚古墳などと隣接の資料館を見学します。

■みどころ

準備中

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)=関越自動車道=高崎IC =総社古墳群(総社二子山古墳・愛宕山古墳・宝塔山古墳・蛇穴山古墳)=山王廃寺=上野国分寺・資料館=昼食=かみつけの里・保渡田古墳群(保渡田八幡山古墳・保渡田薬師塚古墳)=八幡観音塚古墳・観音塚考古資料館=高崎IC=関越自動車道=(18:00頃)東京駅丸の内口(丸ビル前) 解散。
・太字の古墳は横穴式石室内に入れる古墳です。

期日 2024年11月6日(水)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)・解散(18:00頃)
締め切り 2024年9月30日(月) 満員になり次第締め切ります。

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No3 『上毛野東部の大型古墳(太田天神山古墳を中心に)をめぐる』

◆ポイント

群馬県東部(東毛地域)には大型古墳が数多く築造されており、その被葬者はかつて上毛野といわれたこの地域を治めた王達と考えられます。なかでも東日本最大の前方後円墳、太田天神山古墳の被葬者は、王者の棺「長持形石棺」を用いていることから、その実力は抜きんでた存在であったことがうかがえます。この古墳を中心にそれと前後する王の古墳をめぐります。

■みどころ

準備中

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)=東北自動車道=館林IC=太田天神山古墳・女体山古墳=天良七堂遺跡(新田郡家跡)=二ツ山1号・2号墳=寺井廃寺=巖穴山古墳=鶴山古墳=亀山古墳=八幡山古墳=足利公園古墳群=佐野藤岡IC=東北自動車道=(18:30頃)東京駅丸の内口(丸ビル前)解散。

期日 2024年11月27日(水)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:00)・解散(18:30頃)
締め切り 2024年10月21日(月) 満員になり次第締め切ります。

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No4 『下毛野の大型古墳(「下野型古墳」)と寺院跡をめぐる』

◆ポイント

古代下野国の都賀郡と河内郡にあたる地域には6世紀後半に「下野型古墳」といわれる独特な型式の古墳が確立し、その後7世紀半ばまで有力な王の墓にはこの型式の古墳が継続します。そしてこの古墳の分布する地域は、奈良時代にはいると下野国分寺・国分尼寺、下野薬師寺といった仏教文化を花開かせた地でもあります。これら寺院跡と下野型古墳をめぐりながら、古代下野国の姿を実感します。

■みどころ

準備中

スケジュール

東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:30)=東北自動車道=佐野藤岡IC=小山市・摩利支天塚古墳・琵琶塚古墳=甲塚古墳=しもつけ風土記の丘資料館=下野国分寺・国分尼寺=国分寺愛宕塚=山王塚古墳・丸塚古墳=吾妻岩屋古墳=御鷲山古墳=下野薬師寺跡・下野薬師寺歴史館=壬生IC=東北自動車道=(18:30頃)東京駅丸の内口(丸ビル前)解散。

期日 2024年12月18日(水)=日帰り
旅行料金 16,000円
食事 昼食 1回付
最少催行人員 10名
集合・解散 東京駅丸の内口(丸ビル前) 集合(08:00)・解散(18:30頃)
締め切り 2024年11月11日(月) 満員になり次第締め切ります。

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No8「古代の出雲・伯耆を訪ねる」

★ポイント

大和の中心にある三輪山になぜ出雲の神様が祭られているのか?このような疑問からこの旅を企画しました。出雲勢力が大和に早くから進出し、邪馬台国を創ったのも出雲の人々だったからではないか?ゆかりの地や遺跡を歩きながら、記紀・出雲国風土記・魏志倭人伝等を読み解き、古代世界における出雲の存在と役割を考えます。

みどころ

◇西谷墳墓群(にしだにふんぼぐん)

弥生時代後期の弥生墳丘墓、古墳時代の古墳・横穴墓群、奈良時代の火葬墓などからなる。1953年に発見され、2018年現在で27号までと番外5号までの32基の墳墓と横穴墓群が確認されている。このうち、1~4・6・9号の6基が四隅突出型墳丘墓である。四隅突出型墳丘墓は出雲地域を中心とした特徴的な形をした弥生時代の墳丘墓で、出雲地域ではこの西谷墳墓群や安来市の荒島墳墓群に多く見られる。

◇荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)

広域農道の建設に伴い遺跡調査が行われ、この際に調査員が古墳時代の須恵器の破片を発見したことから発掘調査が開始された。1984年 ~ 1985年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。1998年に一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されている。出土品は国(文化庁)が所有し、2007年から「島根県立古代出雲歴史博物館」に常設展示されている。

◇加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)

1996年(平成8年)から~翌年にわたり、加茂町教育委員会と島根県教育委員会により発掘調査が行われた。その結果、一か所からの出土例としては日本最多となる39口の銅鐸が発見された(滋賀県野洲町大岩山遺跡における24個の出土例を大きく更新)。1999年に遺跡は国の史跡に指定。出土した銅鐸39口は、2008年に国宝に指定された。これらの銅鐸は国(文化庁)が所有し、島根県立古代出雲歴史博物館に保管されている。

◇田和山遺跡(たわやまいせき)

丘陵尾根に掘られた三重の環濠を持つ弥生時代の環濠集落で、通常、環濠内部に住居跡などが配置されるが、田和山遺跡の狭小な環濠内部は建物跡が2棟検出されたのみで、それ以外の建物跡は環濠の周辺から検出された。そのため、なぜこれだけ膨大な労働力を投下して環濠を掘削したのか、環濠内部には何があったのかが謎とされ、遺跡の性格・位置付けが問題とされた。環濠内からは、つぶて石や石鏃が出土しており、弥生時代の戦争を物語る山城ではないかという説、祭祀の拠点であったという説、環濠内部に銅鐸などの青銅祭器が保管してあったのではといった想像も提唱された。そのほか、弥生遺跡では極めて珍しく硯の出土も認められている(他例は福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で知られる)。遺跡の山頂部からは、宍道湖や松江市街、大山などが一望でき、大変眺望が良いロケーションにある。

◇荒島墳墓群・王陵の丘

1970年代前半には、仲仙寺古墳群、安養寺墳墓群、宮山古墳群が相次いで確認されるが、三者とも宅地造成業者により破壊を受ける。このうち仲仙寺古墳群は9・10号墓が発掘調査され8・9号墓のみが保存された。安養寺古墳群では発掘調査後すべて失われた。宮山古墳群はすでに記録保存されていた1号墳以外はすべて保存されることとなった。3遺跡の多くが失われてしまったとはいえ、地元研究者を中心とした活発な保存運動は先駆的なものであり、運動のなかで、仲仙寺古墳群と宮山古墳群は国史跡に指定された。1999年に国史跡「造山古墳」(造山1号墳)に造山2-4号墳、大成古墳、塩津山古墳群を追加指定し、史跡名称を「荒島古墳群」に変更した。

◇妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)

鳥取県西伯郡大山町富岡・妻木・長田および米子市淀江町福岡にある弥生時代の集落遺跡。国の史跡に指定されている。遺跡の面積は156haにもおよぶ大規模なものである。
大山山系・孝霊山から続く丘陵(通称「晩田山」)上に位置し、美保湾(日本海)を一望できる。島根県安来市から、この妻木晩田遺跡まで弥生後期に栄えた古代出雲の中心地であったと考えられる。

◇熊野大社(くまのたいしゃ)

島根県松江市八雲町熊野にある神社。式内社(名神大社)、出雲国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮である。出雲国造本来の奉斎社であり、意宇六社の一つに数えられている。

旅程スケジュール

1日目

羽田空港(10:20)→日本航空機(JL279)→(11:45)出雲空港=出雲・島根県立古代出雲歴史博物館=出雲大社=日御碕=西谷墳墓群=松江市内
(松江市内泊)

2日目

松江市内=荒神谷遺跡=加茂岩倉遺跡=神原神社古墳=田和山遺跡=安来・荒島遺跡=米子
(米子市内泊)

3日目

米子市内=妻木晩田遺跡=淀江廃寺跡・上淀白鳳の丘展示館=熊野神社=出雲風土記の丘=玉造博物館=出雲空港(16:05)→日本航空機(JL284)→(17:30)羽田空港着、解散。

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

西谷墳墓群
西谷墳墓群
銅剣発見現場・荒神谷遺跡
銅剣発見現場・荒神谷遺跡
加茂岩倉遺跡出土の銅鐸
加茂岩倉遺跡出土の銅鐸
田和山遺跡
田和山遺跡
妻木晩田遺跡洞ノ原地区
妻木晩田遺跡洞ノ原地区
荒島墳墓群・古代出雲王陵の丘
荒島墳墓群・古代出雲王陵の丘
期日 2024年8月21日(水)~8月23日(金)=3日間
旅行料金 176,000円(2名1室・お一人様の旅費)
一人部屋追加料金 追加無し
食事 全食(朝2回、昼3回、夕2回)付
集合・解散 羽田空港集合・解散
利用航空機会社 日本航空(JL)など。
利用ホテル 松江市内:ドーミーイン松江または同等クラスホテル
米子市内: 米子ニューアーバンホテルまたは同等クラスホテル
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 羽田空港より『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年7月10日(水)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

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No9「北東北から津軽、縄文の世界を訪ねる」

★ポイント

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうち、今回は北東北にある縄文時代の遺跡群を訪れます。
これらの地域では約15,000年前には土器を使用して定住を開始しました。日本最大級の縄文集落跡である三内丸山遺跡や大湯環状列石をはじめ、是川遺跡・御所野遺跡・伊勢堂岱遺跡などを訪れます。また是川縄文館、三内丸山縄文時遊館などの博物館の国宝、国宝級の縄文土器、漆器などを鑑賞します。

みどころ

◇御所野遺跡(ごしょのいせき)

馬淵川右岸に位置し、東西に長く延びる河岸段丘における標高190~200mの中位段丘面に立地する。広い箇所では幅120mにもおよぶ平坦な台地が遺跡周囲では東から北へ弧状に0.5㎞ほどつづき、台地上の平坦面の広さはおよそ6haヘクタールにもおよんでいる。周辺にはケヤキやブナなどの落葉広葉樹林が広がり、クリ、ドングリ、アケビなどが豊富に実る。そばには馬淵川が流れ、そこを遡上するサケ・マスなどが利用された。

◇大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)

岩手県二戸郡一戸町で発見された縄文時代の環状集落遺跡。所在地は一戸町岩舘字御所野。1993年(平成5年)、国の史跡に指定された。遺跡は公園として整備され、竪穴建物、掘立柱建物、配石遺構などによる集落が再現されている。公園内に博物館も併設されている。
山岳丘陵の末端にのびる舌状台地の先端部に造られており、河原石を菱形や円形に並べた組石の集合体が外帯と内帯の二重の同心円状(環状)に配置されている配石遺構である。その外輪と内輪の中間帯には、一本の立石を中心に細長い石を放射状に並べ、その外側を川原石で三重四重に囲んでいる。その形から「日時計」といわれており、万座と野中の両方の遺跡にある。
大きい方の万座遺跡の環状直径は46メートルもあり現在発見されている中で日本で最大のストーンサークルである。組石は大きいほうの万座では48基、野中堂のほうは44基ある。中央の立石は大湯の東方約7-8キロメートルにある安久谷(あくや)川から運んだと推定されており、労働力の集中が見られる。
遺跡の使用目的に関しては諸説あるが、近くには構造が似ている一本木後ロ遺跡があり、これは墓であることが調査によって明らかになっており、またそれぞれの配石遺構の下から副葬品をともなう土坑が検出されたため大規模な共同墓地と考えられている[3]。さらに1948年(昭和23年)から始まった万座の周辺調査から掘立柱建物跡群が巡らされていたことが明らかになり、これらは墓地に附属した葬送儀礼に関する施設ではないかと推測されている

◇伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)

秋田県北秋田市脇神字伊勢堂岱にある縄文時代後期前半の環状列石が主体の遺跡である。国の史跡に指定されている。2021年7月27日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された。
秋田内陸縦貫鉄道の縄文小ヶ田駅南方の湯車川をこえた標高40 - 45メートルの河岸段丘の北端台地の上にあり、国内で唯一4つの環状列石(ストーンサークル)が発見された遺跡である。
保存状態が良く、学術的な価値が高いことから2001年1月に国の史跡に指定された。また、2021年7月27日に世界文化遺産に登録された[1]「北海道・北東北の縄文遺跡群」を構成する遺跡の一つでもある。
半径3キロメートル以内に大館能代空港・秋田内陸線 縄文小ヶ田駅・伊勢堂岱インターチェンジがありアクセス面で優れていて、縄文遺跡群を巡る起点の役割が期待されている[2]。
園路南側の森を抜けると、環状列石と白神山地が一望でき[3]、ガイダンス施設の「伊勢堂岱縄文館」周辺では田んぼアートや、約2千年前の品種の「蓮の花」を見ることができる。

◇三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)

縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前[1])の大規模集落跡。当時、クリ、クルミなど手入れされた落葉広葉樹林(ナラ林帯)に囲まれた集落で[2]、現在の沖館川右岸の河岸段丘上に立地する。1997年3月5日[3]、国の特別史跡に指定。2021年7月27日[4]、国際連合教育科学文化機関により、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された。遺跡には竪穴建物(竪穴住居)群、高床建物(高床倉庫)群、大形竪穴建物のほか、シンボル的な3層の掘立柱建物が再現されており、資料や出土品の展示施設「縄文時遊館」もある[5]。青森県教育庁三内丸山遺跡センターが継続的に発掘調査を行っている。

旅程スケジュール

1日目

(12:15)JR東北新幹線・新花巻駅集合(12:15)=岩手県二戸郡一戸町(御所野遺跡【国指定史跡】・御所野縄文博物館)=八戸市(八戸市博物館・八戸市縄文学習館・是川縄文館)=八戸市内
(八戸市内泊)

2日目

八戸市=奥入瀬(奥入瀬渓流の景観<石ヶ戸(駐車場を基点に約15分散策)…銚子大滝駐車場を基点に約30分散策) …十和田湖>)十和田湖=秋田県鹿角市(大湯環状列石【国指定特別史跡】・大湯ストーンサークル館)=北秋田市(伊勢堂岱遺跡【国指定史跡】・北秋田市文化会館内資料展示室)=大館市内
(大館市内泊)

3日目

大館市=青森県田舎館村(垂柳遺跡【国指定史跡】・田舎館村埋蔵文化財センター弥生館)=青森市(三内丸山遺跡【国指定特別史跡】・縄文時遊館・ねぶた館)=(16:30頃)JR東北新幹線・新青森駅前・解散。

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

御所野遺跡・屋根の竪穴式住居
御所野遺跡・屋根の竪穴式住居
伊勢堂岱遺跡出土土偶
伊勢堂岱遺跡出土土偶
奥入瀬渓流
奥入瀬渓流
大湯環状列石
大湯環状列石
是川縄文館
是川縄文館
三内丸山遺跡
三内丸山遺跡
期日 2024年9月18日(水)~9月20日(金)=3日間
旅行料金 113,000円(2名1室・お一人様の旅費)
一人部屋追加料金 追加料金無し
食事 全食(朝2回、昼3回、夕2回)付
集合・解散 JR東北新幹線・新花巻駅新幹線改札口前集合
JR東北新幹線・新青森駅前解散。
利用ホテル 八戸市内・・・ルートイン八戸駅前または同等ホテル
大館市内…ホテルルートイン大館大町または同等ホテル
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 JR新花巻駅よりJR新青森駅まで『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年8月8日(木)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※JR切符料金は全区間含みません。
催行決定後、各自で発着地より全区間ご購入願います。

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No10「邪馬台国を大和に探る」

★ポイント

日本はいかに形作られたのか。それを知る最良の手がかりは全国に点在する巨大古墳である。あい次ぐ発掘、また年輪年代法など最新科学の応用により、古代日本は急速にその姿を顕しつつある。―魏志倭人伝にも記された「邪馬台国」とはどこか?
最新の発掘成果を検証しながら大和を歩きます。

みどころ

◇安満宮山古墳(あまみややまこふん)

大阪府高槻市安満御所の町にある古墳。墳形は長方形で、規模は東西18m、南北21mと推定される。埋葬施設はコウヤマキ製の割竹形木棺の直葬。発掘調査によって青龍三年の紀年鏡などの副葬品が出土している。青龍三年の紀年鏡の発見により3世紀後半の築造とされている。

◇椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)

石室内には朱が塗られ、粘土床には10㎏を超える水銀朱がまかれていた。
小林行雄は、出土した三角縁神獣鏡を分類して7つの型式に大別した場合、この古墳の出土品では最古型式から4番目までの新しい鏡が含まれていたので、3世紀末の造営とした。桜井市の箸墓古墳、岡山市の浦間茶臼山古墳、天理市の黒塚古墳などとともに出現期古墳と総称される。

◇黒塚古墳(くろつかこふん)

1997年から翌年にかけて奈良県立橿原考古学研究所が行った第3次発掘調査で、三角縁神獣鏡33面とそれよりも少し古い画文帯神獣鏡1面が、副葬当時に近い状態で発見された。鏡を含めて埋葬当時の位置を保っていて、副葬品の配列方法とその意味がわかるものとなった。北東隅に大小2本の鉄棒をU字形に曲げた用途不明の鉄製品が立てかけられていた。大小2本の棒の間にはV字形の鉄製の管が、複数、付着または崩落し、この管で鋸歯状に大小のU字形鉄棒を結び付けていた形跡がある。畿内前期古墳に多い頭位北向きで、木棺外の北側には朱塗りの木盾が斜めに立てかけられていた。棺外の北鏡は斜めに置かれた盾の上部に乗せられていたとみられる。木棺外の西側の北小口に近い部分に、鏃群があり、切先は南を向き、元は隙間に矢柄の束があったと推定する。その南に11点の刀・剣・ヤリがまとめて置かれていた。棺内には被葬者の頭のところに画文帯神獣鏡と両側に刀1・剣1をおき、木棺外に東壁側15面、西壁側17面の三角縁神獣鏡を鏡面を内側に向けて木棺と壁のわずかな間に立てられていた。被葬者の上半身を棺内、棺外の二重に鏡と刀剣でコの字形に取り囲み、この配列により呪術的な役割をしていたとみられる。他に棺外の南側に、革を綴った胃だったとみられる約600点の大量の小札(こざね)、斧とヤリガンナの工具類、土師器などが配置してあった。玉類や腕装飾品類は出ていない。

◇箸墓古墳(はしはかこふん)

奈良盆地東南部、三輪山北西山麓の扇状地帯に広がる大和・柳本古墳群に含まれる纒向古墳群(箸中古墳群)の盟主的古墳であり、纒向遺跡箸中地区に位置する。出現期古墳の中でも最古級と考えられている前方後円墳である。築造年代は、墳丘周辺の周壕から出土した土器(土師器)の考古学的年代決定論と、土器に付着した炭化物による炭素14年代測定法により、邪馬台国の卑弥呼の没年(248年から遠くない頃)に近い3世紀中頃から後半とする説がある。現在は宮内庁により陵墓として管理されており、研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ)命である。

◇桜井茶臼山古墳(さくらいちゃうすやまこふん)

磐余の地に接した初瀬川の左岸にあり、自然丘陵を利用して築造されたものである。墳丘長207m、前方部が細長く、全体が柄鏡(えかがみ)形を呈する柄鏡式古墳である。古墳時代初期の内でも比較的新しいものであり、箸墓古墳に後続する時期に造営された巨大な前方後円墳である。墳丘に特殊器台や円筒埴輪を使用した痕跡がない。段築面には葺石が施されている。2023年、同古墳調査の結果、国内最多の103面以上の銅鏡破片が見つかり、桜井茶臼山古墳の被葬者は「他の古墳の追随を許さない隔絶した地位にあった人物であり、「3世紀末の奈良盆地には邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになったと発表した。

旅程スケジュール

1日目

(11:50)JR京都駅集合=安満宮山古墳=ふるさとミュージアム山城(京都府立山城郷土資料館)=椿井大塚山古墳=奈良市内
(奈良市内2連泊)

2日目

終日:橿原考古学研究所付属博物館・邪馬台国中枢部〈瀬田遺跡=黒塚古墳・黒塚古墳展示館=唐古・鑓遺跡=箸墓古墳=桜井茶臼山古墳=桜井市立埋蔵文化財センター=纏向遺跡=纏向石塚古墳=ホケノ山古墳=奈良市内
(奈良市内泊)

3日目

奈良市内=平城宮跡(大極殿・奈良文化財研究所展示館)=石上神宮=大和神社=近鉄奈良駅前解散(16:30頃。)

※上記日程は交通事情等により変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

安満宮山古墳雨宮山
安満宮山古墳雨宮山
椿井大塚山古墳
椿井大塚山古墳
黒塚古墳で大量の鏡
黒塚古墳で大量の鏡
箸墓古墳全景
箸墓古墳全景
桜井茶臼山古墳石室
桜井茶臼山古墳石室
桜井茶臼山古墳・銅鏡破砕片
桜井茶臼山古墳・銅鏡破砕片
期日 2024年9月25日(水)~9月28日(金)=3日間
旅行料金 128,000円
一人部屋追加料金 2,000円
食事 全食(朝2回、昼3回、夕2回)付
集合・解散 JR京都駅新幹線改札口前集合・近鉄奈良駅前解散
利用ホテル 奈良市内:コンフォートホテル奈良または同等クラス
最少催行 8名
定員 15名
添乗員 J京都駅より近鉄奈良駅前まで『トンボの眼』佐々木章が同行しお世話いたします。
締め切り 2024年8月9日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

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No104加耶諸国(金官加耶から大加耶、安羅加耶)への旅

◇ポイント

今、日韓古代史関連で、目覚しい解明がみられ、もっとも熱い視線がむけられているのが伽耶の地です。4世紀後半の高句麗の南下にともなうヤマト政権の百済を軸とした朝鮮半島との交渉、吉備、北九州などの地方勢力と新羅や百済、加耶との独自な交渉がからみあって、それが6世紀の磐井の乱を契機として朝鮮半島との交渉が大和政権に集約されていきます。その過程の舞台となった大加耶(高齢)や安羅加耶(咸安)などといった加耶諸国の主要地を巡ります。

見どころ

★忠州高句麗碑

高句麗と新羅との関係を兄弟になぞらえながらも、高句麗を「大王」として新羅王を「東夷之寐錦」と位置づけている。また高句麗が寐錦以下の官に衣服を下賜したことや、新羅領内で300人を徴発して高句麗軍官の指揮下に置いたことも記され、朝鮮半島内に勢力を拡大した長寿王の時代、高句麗が新羅を従属させていたことを示す資料である。国宝第205号。

★国立中原文化財研究所

★池山洞古墳群

大加耶邑の周囲を取り囲む山の上にある山城は大加耶時代の主山城で。大加耶王宮の背後城で外城と内城を備えた二重城です。山城から南方に延びた稜線に沿って、大加耶が成長し始めた400年頃から滅亡した562年の間に作られた大加耶の王陵が並んでいます。ここには韓国で初めて発掘された殉葬墓の王陵である池山洞44号墳・45号墳を始め、王族・貴族が埋葬されたと推定される704基の大小の墓が分布しています。

于勒博物館

于勒博物館は伽倻琴を創り出した楽聖于勒に関する資料を収集・展示し、于勒と伽倻琴の世界を紹介するために建てられました。

★海印寺

韓国三大寺院の一つで、新羅時代の802年に順應、理貞の両僧侶によって創建されました。

★陜川博物館

玉田古墳群から出土された鉄器、土器、各種装身具など、350余点の遺物が展示されています。

★玉田古墳群

日本書紀に登場する古代の「多羅国」の支配層たちの古墳群で、古代日本と深い交流があったが、6世紀、新羅に併合される際、日本に移住した渡来人をタラシヒコ、タラシヒメと呼び、百済を旧多羅=「くだら」と呼んでいた。玉田古墳群の名前は田んぼからたくさんの玉が見つかったことで名づけられた。

★末伊山古墳群

咸安末伊山古墳群は加耶の全時期において勢力を維持した阿羅加耶を代表する古墳群です。丘陵地の稜線に沿って大小の墳丘が並び、一番大きいものは直径40m、高さ9.7mに達します。また墓からは高杯、長頸壺、双把手付壺、器台など阿羅加耶特有の様式で製作された土器が多数出土しています。6世紀に新羅(シルラ)に併合されるまで、優れた鉄器文化を発展させた加耶国ですが、特に阿羅加耶は、日本の日本書紀による「任那(みまな)日本府」の地としても注目を集めてきました。

★咸安博物館

末伊山古墳群(史跡第525号)から発掘された阿羅加耶の高杯や馬甲など、多様な遺物が古墳群のすぐ横にある咸安博物館に展示されています。

★亀旨峰

伽倻の始祖である首露王が降りてきたと伝えられているところです。以前はカメの頭の形をしていることから亀首峰といわれていましたが、現在は亀旨峰と呼ばれています。

★国立金海博物館

古代国家のひとつ伽倻の文化遺産を集大成した博物館です。伽倻の文化財を集めて展示するとともに釜山と慶南地域の先史時代の文化と伽倻の成長の基盤になった弁韓の文化遺産を展示しています。

★大成洞古墳群

発掘調査の結果、金官伽倻支配者層の墓地であったことが判明しました。墓は全136基で種類は木棺墓、木槨墓、甕棺墓、石槨墓、橫穴橫口式の石室墓です。丘陵の稜線部に形成された大型の木槨墓は埋葬主体部の大きさと副葬された遺物の量と質から見て、3世紀後半~5世紀前半にかけのて金官加倻支配者層の墓であると推測されます。3世紀末に初めて人と馬を殉葬し武器を副葬する習慣とともに、騎馬用の鉄製の鎧と兜、北方遊牧民族的な墓祭、馬具類、陶質土器、銅復など北方遊牧民族の習慣が反映された遺物が多く出土ました。さらに筒形銅器、巴形銅器、各種碧玉製の石製品など古代日本との交流の実態を究明することができる遺物が出土しました。大成洞遺跡は伽倻の成立と展開、性格、政治や社会構造を解明するのに欠かせない重要な遺跡です。

★大成洞博物館

旅程

日程 スケジュール 食事
<1日目> 忠州(忠州高句麗碑・国立中原文化財研究所・弾琴台)(水安堡泊予定)
日本語ガイドと合流し、専用車で移動忠州へ
忠州高句麗碑、国立中原文化財研究所、弾琴台忠州見学
ホテルへご案内 (水安堡温泉 泊)
朝:×
昼:×(自由食)
夜:キジ鍋
<2日目> 忠州から大邱へ移動
国立大邱博物館 見学
高霊へ移動
高霊博物館、池山洞古墳群、主山城、延詔洞王宮推定地・于勒博物館、 見学
海印寺へ移動
海印寺見学
ホテルへご案内(陜川郡 泊予定)
朝:ホテル
昼:参鶏湯
夜:山菜韓定食
<3日目> 海印寺から陜川へ移動
梅岸里加耶碑、陜川博物館、玉田古墳群、城山土城 見学
咸安へ移動
忠義公園、推定王宮址、咸安博物館、末伊山古墳群 見学
昌原へ移動
夕食
ホテルへご案内(昌原 泊)
朝:ホテル(韓国式朝定食)
昼:韓牛カルビ
夜:ふぐチリ
<4日目> 朝食
晋州から金海へ移動
首露王妃陵・亀旨峰・国立金海博物館・大成洞博物館・大成洞古墳群・首露王陵・鳳凰台 見学
釜山・金海空港へ
金海空港(16:20)→大韓航空(KE713)―(18:30)成田空港着。着後、通関手続きを経て解散
お疲れ様でした
※上記行程は現地事情で変更になることがございます。ご了承ください。
朝:ホテル
昼:コンドゥレ石釜飯定食
夜:×
忠州高句麗碑
高霊池山洞古墳群
八万大蔵経・海印寺
咸安博物館
末伊山古墳群の馬甲塚から出土された馬甲と馬具
金海亀旨峰
金海大成洞古墳群
馬甲・大成洞博物館
期間 2024年9月5日(木)~9月8日(日)=4日間
旅行料金 未定
一人部屋追加料金 未定(1名でお申し込みの場合の追加料
食事 全食付(朝3、昼3、夕3回)
利用予定航空機会社 大韓航空機(KE )利用予定 エコノミークラス
宿泊予定ホテル 水安堡・・・水安堡パークホテル又は同等クラス
海印寺・・・加耶ホテル又は同等クラス
晋州・・・ホテルインターナショナル晋州又は同等クラス
最少催行 10名
定員 20名
締め切り 2024年7月19日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 株式会社TABi’Z(タビーズ・観光庁長官登録旅行業1906号)
旅行取扱会社 三進トラベル(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※成田空港発着となります。福岡・大阪発着希望の方はご相談ください。
※添乗員1名が成田空港より同行してお世話いたします。
【旅行代金に含まれるもの】 往復国際航空(航路)エコノミークラス運賃(※現地発着の方は除く)、運送機関が課す付加運賃料金(燃油サーチャージ)、空港税、国際観光旅客税、空港施設使用料、日程表記載の移動車両の運賃・料金、日程表に記載されている宿泊料金および諸税・サービス料、日程表に記載されている観光の料金、日程表に記載されている食事代および諸税・サービス料、日程表記載の観光の料金及び伴う場合のガイド料金、団体行動中のチップ
【旅行代金に含まれないもの】 日本での前後泊時の宿泊費・移動交通費、超過手荷物料金、任意の海外旅行傷害保険、お飲み物代金、オプショナルツアー代金、日程表記載の内容以外に行動される場合の諸経費、個人的性質の費用、傷害・疾病に関する治療費、パスポート取得費用、カフェ代
※前泊・延泊などは個別に対応いたします。ご相談ください。

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No105「文明の十字路・ウズベキスタン」

◆ポイント

シルクロードの青い都・サマルカンド

サマルカンドはアレクサンドロス大王の時代にはマラカンダと呼ばれ、その繁栄はソグドによって担われていた。商才と工芸技術にたけたソグド人は、さまざまな王朝の支配を受けながらも数世紀にわたって営々とサマルカンドを築き上げてきた。しかし、1220年のモンゴル軍の攻撃で、町の人口の四分の三以上が殺されるという壊滅的な被害を受ける。アフラシャブの丘にあった町は壊滅的な被害を受ける。そのサマルカンドを蘇らせたのがチムールである。彼は帝国各地から連れ帰った職人や建築家たちを使い、サマルカンドをイスラム世界に名だたる都市に復興した。
それから600年以上を経た現在も圧倒的な迫力で旅人の目をくぎ付けにする。

テルメズ周辺の仏教遺跡

クシャーナ朝の時に仏教の盛んな土地になり、玄奘が通った道には仏教遺跡が多く残っていて、『大唐西域記』ではテルメズに「呾蜜」の漢字をあてて、伽藍が十余ヶ所あることを伝えている。
ウズベキスタンには、中央アジア諸国の中で最も多くの仏教遺跡がある。そのうちの多くが国の南部、アム川北岸の都市テルメズとその周辺に集中している。仏教僧院(寺院)としてのみ機能したもの、都城址の城壁内にあって、ゾロアスター教など他の宗教施設と共存する、の二つのタイプがある。

■みどころ

◇テルメズ

アムダリヤ川を隔てた向こう側はアフガニスタンである。町の名前の由来はギリシア語 で「暑い所」を意味し、アレクサンドロス大王の東征の時代にまで遡ることができるという。実際、ウズベキスタンで最も暑い都市である。バクトリアの時代には既に定住があったことが認められる。クシャーナ朝の時は仏教の盛んな土地になり、仏教遺跡が多く残っている。

◇ダルヴェルジンテベ遺跡

ウズベキスタン・スルハンダリヤ州南東部、州都テルメズより60km北東にある遺跡である。グレコ・バクトリア王国時代、バクトリア地方北部に小規模な要塞が作られた後、紀元前1世紀頃都市が形成され、クシャーナ朝の時代に発展を遂げ、行政地域、居住地域、窯業などの産業地域、仏教寺院などが建設された。遺跡の住居からは金のネックレスなど多くの金製品が発見されている。3世紀頃には都市として衰退したと考えられている。

◇シャブリサーブス

7世紀には玄奘もインドへの途上に立ち寄ったほか、チムールの生誕地としても知られている。1336年、この地の豪族の家に生まれたチムールは広大な帝国を築いた後も故郷を忘れず、サマルカンドに引けを取らない壮大な建築群を建設、今もゆかりの廟や建物が残っている。
・ドルッティロワット建築群
チムールの父と指導者の二つの廟、モスク、神学校が一緒になった建築群。美しいタイル、鮮やかなドーム、室内の美しい模様のフレスコ画が印象的です。
・ドルッサオダット建築群
自分の後継者にと願っていた22歳の若さで戦死した長男を悼む廟として建てられた。
・アク・サライ宮殿
チムールが残した最大の建造物。現在は入口アーチの残骸だけが残る。テチムールが建てたお城で、とても大きな建造物です。現存しているのはほんの一部。

◇サマルカンド

紀元前10世紀ごろからオアシス都市として発展し、シルクロードの要衝として商業が盛であった。13世紀、チンギス・ハーンによって街が破壊された後、アミール・チムールによるチムール帝国の首都としてあらたに発展した。15世紀に入り、第4代君主であるウルグ・ベクによって、ウルグ・ベク・マドラサが建築されたことが、レギスタン広場の始まりである。
・レギスタン広場
3つのマドラサ<ティラカリ・マドラサ、ウルグ・ベク・マドラサ、シェルドル・マドラサ>が囲む広場で世界遺産に登録されている。
・ウルグ・ベク・マドラサ
レギスタンン広場正面から左に位置する最も古いマドラサ。チムール朝第4代君主ウルグ・ベクにより、1417年から1420年の約3年の工期をかけて完成した。モスク・講義室・寄宿舎があり、当時の学生が生活していた。現在では、天文学者でもあったウルグ・ベクの功績を讃える博物館となっている。
・シェル・ドル・マドラサ
ウルグ・ベク・マドラサの対面に位置するマドラサ。ク・マドラサを模しているが、王の権力を誇示するための装飾が施されている。「シェル・ドル」とはタジク語でライオンを意味し、正面にライオンがシカを追う様子が描かれている。イスラム教では偶像崇拝が禁止されているため、イスラム建築に動物が描かれることは珍しい。
・ティリャー・コリーモスクマドラサ
レギスタン広場正面に位置する最も新しいマドラサ。1646年から1660年にかけて建設された。当時、中央アジア最大といわれたビビハニム・モスクが破壊されていたため、このマドラサが、サマルカンドのメインモスクとして位置付けられた。「ティリャー・コリー」とは金箔を施されたという意味があり、その名前の通り、礼拝所には一面の金の装飾が施されている。建設当時は5kgの金箔が使われていたとされ、後の修復時にも3kgの金箔が使われたとされる。
・グリ・アミール廟
チムールとその一族、ウルグ・ベクが眠る墓がある
・ビビハニム・モスク
イスラム最大のモスク跡、青のイスラム建築群・シャーヒズンダ廟群
・サマルカンド郊外
チンギス・―ハンが破壊し荒廃したアフラシャブの丘、ウルグ・ベク天文台など。

◇ペンジケント

タジキスタンの西部ソグド州ザラフシャン川沿いにあり、ウズベキスタンとの国境の街でサマルカンドから約60㎞と近い。ウズベキスタンのサマルカンド州、ブハラ州とともに古代国家ソグディアナに相当する。
・中央アジアのポンペイ
8世紀のアラブ襲来の時に、住民が町を放棄したままの状態で古代都市としての原形をとどめている。

◇タシケント

・ナボイ劇場
中央アジア内で随一の舞台芸術(バレエ・オペラなど)レベルを誇る。第二次世界大戦中に建てられ、ソ連時代には政府から“Grand(グランド)”の称号を与えらえた、由緒正しき劇場でした。実は日本とも繋がりの深い建物。この美しい劇場を建てたのは、第二次世界大戦後にタシケントに連行された日本人捕虜の人たちでした。1966年の大地震でタシケントの街は壊滅的な被害を受けましたが、ナボイ劇場だけはびくともしなかったそうで、住民の避難所などとして使われました。この出来事は、日本とウズベキスタンの友好関係が深まる大きなきっかけとなりました。劇場の外には、日本兵が建設に携わったことを記すプレートが飾られています。
・ウズベキスタン国立博物館
石器時代の出土品から現代の資料までバラエティ豊かに揃えられた展示物は、有史以前からのウズベキスタンの歴史を物語っています。そのうちの一つが、テルメズから見つかった三尊仏。紀元前のものと考えられており、この時代にはすでにウズベキスタンに仏教が伝わっていた事を示す大変重要なものです。ほかにも、様々な時代に作られた世界各地のお金のコレクションも大きな見どころです。

旅程

日程 スケジュール
<1日目> 成田国際空港(10:25)→ウズベキスタン航空(HY528)直行便→(16:05)タシケント空港着後、中央アジア最大の都市・タシケント市内へ。
(タシケント泊) 
<2日目> タシケント空港へ。タシケント空港(10:30)→国内線(HY1159)→(11:45)テルメズ空港着。スルハンダリヤ州の州都・テルメズ見学(ファヤズ・カラ、カンブレ・テパ、カラテバ、国立博物館)
(テルメズ泊)
<3日目> クシャーナ朝時代の都城址、ダルヴェルジンテベへ。着後、ダルヴェルジンテベ見学。テルメズに戻り休息。
(テルメズ泊)
<4日目> チムールの生誕地で古代ソグディアナのオアシス都市、シャブリサーブスへ。着後、シャブリサーブス見学(チムールの父の墓・ドルッテオバットバット建築群、長男の墓・ドルオダット建築群)、見学後イスラムの宝石・サマルカンドへ。
(サマルカンド泊)
<5日目> 午前、サマルカンド市内観光(旧市街の中心にあり、壮大な3つのメドレッセが囲むレギスタン広場<金色に輝く内装が美しいティラカリメドレッセ、天文学者であったウルグ・ベクの遺産ウルグ・ベク・メドレッセ、イスラムのタブーを破る人面が描かれたシェルドル・メドレッセ>、チムール一族が眠るグリ・アミール廟、イスラム最大のモスク跡ビビハニム・モスク跡、青のイスラム建築群・シャーヒズンダ廟群。
午後、サマルカンド郊外観光(チンギス・ハーンが破壊し荒廃した旧サマルカンドの街址アフラシャブの丘、驚くべき正確さを誇るウルグ・ベク天文台など)
(サマルカンド泊)
<6日目> タジキスタンのペンジケントへ(タジキスタン国境で入出国手続きを受けます)、ソグド人の古代都市遺跡・ペンジケント見学(古代ソグド人の遺跡や郷土博物館、バザール、モスクなど)見学後、サマルカンドに戻ります。夕刻、サマルカンド駅へ。
サマルカンド駅(17:00変更→17:20)=高速列車変更→高速鉄道・アフラシャブ号新幹線=(19:30変更→19:44)タシケント駅着後、タシケント市内へ。
(タシケント市内泊)
<7日目> 終日、タシケント市内観光(抑留日本兵によって建てられたバレエ・オペラ劇場・ナボイ劇場、ウズベキスタンの歴史を紹介するウズベキスタン国立博物館、テレビ塔、自由広場、ドーム屋根の下の巨大食料品バザール・チュルスーバザール、旧市街など)夕食後、タシケント空港へ。
タシケント空港(21:05)→ウズベキスタン航空(HY527)→(機中泊)
<8日目> (08:55)成田空港着。入国手続きを経て解散。
カラテパ(テルメズ)
ダルヴェルジン・テペ遺跡(テルメズ)
テルメズの市場
レギスタン広場(サマルカンド)
ウルグベク天文台跡(サマルカンド)
アフラシャブの丘 アフラシャブ博物館
カラーン・ミナレット・ブハラ (高さ46m)
チャハル・ミナール・ブハラ(「4本のミナレット」)
釈迦如来像 ウズベキスタン歴史博物館(タシケント)
ウズベキスタン料理
プロフ(ピラフ)
シュルボ・ドゥシュペラ
期間 2024年10月4日(金)~10月11日(金)=8日間
旅行料金 未定(近日発表)
一人部屋追加料金 未定(一人様参加の場合の追加料金)
食事 全食付(朝食7回、昼食6回、夕食7回、機内食2回)
利用予定航空機会社 ウズベキスタン航空機(HY )利用予定 エコノミークラス
宿泊予定ホテル テルメズ…00000または同等クラスホテル
サマルカンド…ヒルトンガーデンインホテルまたは同等クラス
タシケント・・・ハイアットリージェンシーホテルまたは同等クラス
最少催行 8名
定員 15名
締め切り 2024年8月26日(月)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 株式会社TABi’Z(タビーズ・観光庁長官登録旅行業1906号)
旅行取扱会社 三進トラベル(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※燃費サーチャージは旅行代金に含まれておりません。目安50000円(基準日12月21日現在)今後、原油価格の変動に伴い金額が変更される可能性がございます。
※国内空港施設使用料、旅客保安サービス料、海外空港税、国際観光旅客税が別途必要となります。

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No106「新羅王都と新羅文化圏(慶州と慶尚北道)を訪ねる」

旅のポイント

新羅千年の都・慶州に善徳女王をはじめとする王陵や四天王寺址などの仏教寺址を見学し、慶尚北道の義城、大邱、安東、尚州の周辺文化圏では新緑の幽山に包まれた桐華寺などの木造建築物、造塔洞塼塔(せんとう)をはじめとする塼塔・石塔、軍威の三尊石仏…さらに各地の博物館や古墳群に新羅文化のなごりを探ります。また世界遺産の歴史民俗村を訪ねるのも楽しみです。

◇みどころ

慶州文化財研究所

新羅文化圏における文化財発掘や学術調査を担当している研究所で、展示館では博物館などでは見学できない所蔵遺物を観覧することができます。

聖徳王陵

国内政治を安定させ、唐との外交を活溌にし、三国統一以後の政治的に最も安定した新羅の全盛期をつくりあげた新羅33代聖徳王の陵墓です。唐の習慣が多く流れ込み、墓も同様で墓の前を文人、武人、獅子が守り、まわりを仏教の護国思想とも習合した十二支像が守っています。

四天王寺址

三国統一後に仏法の力で唐の勢力を退散させることを目的で、30代文武王によって創建された寺です。双塔式伽藍配置(双塔一金堂式)で、現在は塔の礎石、亀趺、幢竿支柱が残っています。

善徳王陵

芬皇寺や瞻星台、新羅最大の皇龍寺九層木塔を建て、新羅仏教建築の全盛期に新羅初の女王となった善徳女王の陵墓です。王陵は自然石を利用し、円墳の下に2段に保護石を積んだ以外は特に装飾がなく、他の王陵に比べ規模は小さなものです。

望徳寺址

31代神文王によって創建された寺で、寺址には東西の木造塔や建物の礎石が残っています。典型的な統一新羅時代の双塔伽藍配置で、この他に南側の階段の跡がよく残っており、また西南には幢竿支柱が残っています。

金冠塚

天馬塚のある慶州古墳群中の一基で22代智證王前後の王の墓と推測されています。長方形状の墓壙を掘り,その中央に木材を組み合わせた槨をつくり,木棺を安置し,さらに槨外に人頭大の河原石を積み,盛土した積石木槨墳です。副葬品は豪華で,被葬者は古墳名の由来となった金冠をかぶり,切子玉・小玉・勾玉をつらねた首飾,金製腰佩をつけ,腕・足には金銀製釧(くしろ)・指輪・金銅製飾履をつけていました。

国立大邱博物館

慶尚北道地域の特色ある文化遺産を保存・展示する博物館で、旧石器時代から三国時代までの遺物を順に見学できます。また美術室では慶北地域の仏教文化、仏教彫刻品、仏像、仏教工芸品、高麗青磁や朝鮮白磁、粉青沙器などの優品が展示されています。

桐華寺

霊山とされる八公山の主峰・毘盧峰を中心にして鷲が羽ばたくように東峰と西峰があり、谷間ごとに新羅時代から護国を願う仏事を続けてきた桐華寺、把渓寺、仏像・塔・磨崖仏が数多く散在しています。桐華寺は、新羅ソジ王の時代の寺で、興徳王の時代に再建されました。

松林寺

統一新羅時代に建てられた高さ16.13㍍の五層磚塔仏塔があることで有名です。塼塔に使われた塼瓦は方形または長方形、摂氏800~1000℃で焼かれたものといわれます。これを地上 1m程度の花崗岩基壇上に五層に積み塔身を形成し、その上に高さ4.5mの青銅製相輪部が載っています。相輪部まで完全に残っているのは稀で貴重な文化財です。1959年の解体復元時に木製仏像と舍利容器(正倉院御物の「瑠璃坏」と酷似)などが発見され、国立大邱博物館に保管されています。

軍威三尊石窟

慶州の石窟庵以前、統一新羅時代初期に自然の洞窟につくられた石窟寺院で700年頃に造営された三尊石仏が安置されています。

義城石塔

統一新羅時代最初期の石塔で、磚塔様式が残されている面と、木造塔に由来する様式がそれぞれにみられ、いまだ完成していない新羅式石塔の姿をしています。 基壇は新羅式の石塔で一般的な二重基壇にはならず芬皇寺石塔と同じく単層基壇で大きさも比較的広くなっています。屋蓋は下面が段状の持送り、屋蓋石の上面も磚塔のような持送り状に段がついています。

造塔洞磚塔

現存する磚塔、模磚石塔の多くは統一新羅時代のもので、特に安東地方を中心に分布しており、安東・造塔洞磚塔は五層塼塔で塔身は高さ8.65m、一段目に小窓がありその両側には仁王像が浮彫にされた板石が填め込まれています。初層部分には花崗岩塊を使用しています。

鳳凰寺

文武王12年(672年)に義湘大師の弟子・能仁大德が創建した寺で、義湘大師が浮石寺から紙で折った鳳凰を飛ばしたところ、その鳳凰が風に乗って『鳳停寺』のある場所に下りたことから鳳停寺と名付けられたと伝えられています。境内には高麗時代に建てられた極楽殿、朝鮮時代初期建造の大雄殿、高麗時代の三層石塔、朝鮮後期の華厳講堂などがあります。極楽殿は12世紀ごろに建築された韓国国内で最も古い木造建築物です。

河西マウル

両班文化が最も栄えた朝鮮時代の両班(貴族)村で、2010年に歴史民俗村として慶州・良洞民俗村と共に世界文化遺産に登録されました。伝統的な風水の原則や儀礼、村行事などを現代ま  でも守り続けています。また昔の家、東屋、寺院などの建物の多くがそのまま残っています。また、両班と庶民との関係をコミカルで風刺的に表現した仮面劇が伝承されています。

尚州博物館

新羅時代の9州、高麗時代の8牧のうちの一つ、朝鮮時代には慶尚監営が置かれていた尚州の文化遺産を体系的に保存する博物館です。屋外には石造遺物や生態池、伝統模様が刻まれた時計塔などが設置されています。

洛山洞古墳群

1987年に洛山洞の宅地造成にともなう緊急調査が行われ、古墳群は3世紀後半から5世紀前半にかけて築かれたもので、竪穴式石室、土墳墓、甕棺墓など多様で、横穴式石室墳が盛行する以前の墓制であることが明らかになりました。28号墳は、三国時代の末期、七世紀代のもので、石枕・足座を備えた埋葬法は新羅横穴式石室墳の影響であろうとみられています。これらの墓から出土した埋葬品には、新羅の金及び銀製の耳飾り、加耶時代(42-562)の土器が含まれており、この地方の支配勢力の集団墓地と推定されている

嶺南楼

晋州の矗石楼、平壌の浮碧楼とともに韓国三大楼閣の一つで朝鮮後期の代表的な楼閣です。両側に凌波閣と枕流閣の両翼があり、眼下には密陽江がゆったりと流れます。アラン閣、檀君を祭る天鎭宮、密城大君壇、密陽市立博物館があります。密陽は韓国3大アリラン・密陽アリランの発祥の地です。

表忠寺

興徳王が建立したといわれる寺で、寺院内には、国に大事がおこると、碑石から汗、涙がでるといわれ表忠碑閣を初め、三層石塔や青銅含銀香壇(国宝75号)などの文化財を保管しています。壬申の乱の終了後、四溟大使が日本に行き3000人の捕虜を連れて帰ってきたことを称え、表忠寺という名前がつけられたといわれています。

旅程表

日程 スケジュール
<1日目>
2024年10月17日(木)
成田空港(10:00)→航空機(JL957予定)→(12:15)釜山空港=バスで慶州へ。着後慶州市内(慶州文化財研究所<所蔵新羅遺物を観覧>、聖徳王陵、四天王寺址、善徳女王陵、望徳寺址、金冠塚など)
(慶州市内 コモドホテル慶州朝鮮泊予定)
<2日目>
2024年10月18日(金)
慶州から大邱へ。大邱(大邱博物館、桐華寺)見学後、安東へ。途中、松林寺、軍威三尊石仏、義城の大里古墳、石塔見学。安東着後見学(安東造塔洞古墳、造塔洞五層塼塔)
(安東市内 安東パークホテル泊予定)
<3日目>
2024年10月19日(土)
午前、鳳停寺見学後、河西マウルへ。河西マウル見学後、尚州へ。着後、尚州(沙伐王陵、臥龍洞遺跡、尚州博物館)見学後、善山の洛山洞古墳群見学後、大邱へ。
(大邱市内 大邱プリンスホテル泊予定)
<4日目>
2024年10月20日(日)
蜜陽へ。蜜陽(嶺南楼、表忠寺)見学後、釜山空港(14:00)→航空機(JL958予定)→(16:00)成田空港到着後、解散。
慶州文化財研究所外観
聖徳王陵亀趺
四天王寺基壇址
善徳王陵
望徳寺址に残る幢竿支柱
桐華寺大雄殿
松林寺五層磚塔
軍威三尊石窟三尊石仏
造塔洞五層塼塔
鳳凰寺大雄殿
河西マウル
三大楼閣の一つ嶺南楼
期間 2024年10月17日(木)~10月20日(日)=4日間
旅行料金 予価 193,000円(2名1室・2名様参加の1名様代金)
一人部屋追加料金 予価22,000円(1名でお申し込みの場合の追加料金)
食事 全食付(朝3、昼3、夕3回)
利用予定航空機会社 日本航空機(JL )利用予定 エコノミークラス
宿泊予定ホテル 慶州市内…コモドホテル慶州朝鮮又は同等クラス
安東市内…安東パークホテル又は同等クラス
大邱市内…大邱プリンスホテル又は同等クラス
最少催行 10名
定員 20名
締め切り 2024年9月6日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 株式会社TABi’Z(タビーズ・観光庁長官登録旅行業1906号)
旅行取扱会社 三進トラベル(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※成田空港発着となります。福岡・大阪発着希望の方はご相談ください。
※添乗員1名が成田空港より同行してお世話いたします。
※成田空港発着。福岡・大阪発着希望の方はご相談ください。
※燃費サーチャージ(目安11、800円:2024年2月27日現在)、また日本の空港施設使用料等、国際観光旅客税、および現地空港諸税が別途必要となります。

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No107「秋の韓国・南山石仏めぐりと伽耶山・俗離山への旅」

ポイント

深まりつつある秋の時期に、歴史と美術の両面から韓国の造形美意識を訪ね歩く旅です。
慶州では南山に登り、新羅の都を眼下に自然の中に身を置き、岩壁に刻まれた磨崖仏を拝します。韓国三大寺刹の一つ海印寺では、膨大な八万大蔵経を作った高麗時代のエネルギーを伽耶山全体が紅葉に彩られる1年中で最も美しい時期に訪れることになります。
奈良・法隆寺にも似た法住寺の五重木塔・捌相殿(べっそうでん)を見上げれば、奈良仏教が、百済、新羅仏教の影響を受けていることがうかがわれます。寺の近くの民画美術館へも足を踏み入れ、朝鮮時代の庶民の絵画として親しまれた民絵を鑑賞し、ソウルへ向かいます-ソウル中央国立博物館、秘園など、三国時代から現代まで幅広く仏教美術や美術作品に直接触れ、体験することによって両国の文化の理解が深まる旅情あふれる旅です。

■みどころ

◇韓国の名刹…仏国寺・海印寺・法住寺・神勒寺

・仏国寺……韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の寺院で第11教区本寺。吐含山のふもとにある。1995年、石窟庵とともに「石窟庵と仏国寺」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。また釈迦塔などが韓国の国宝に指定されている。
・海印寺……慶尚南道陜川郡にある寺院。曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の三宝寺院、五大叢林(海印叢林)に数えられている。高麗八万大蔵経の版木が保管されている。大蔵経板殿は世界遺産に登録されている。

・法住寺……曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第5教区本寺である。1624年に建立された捌相殿は韓国唯一の木塔で国宝(国宝第55号)に指定されている。
・神勒寺……寺の前に南漢江が流れ、広い砂地が広がる美しい寺院です。新羅時代に元暁大師が創建。

◇南山の石仏……慶州南部に位置する南山麓一帯の石仏を見学致します。

・南山仏谷磨崖如来坐像 ・南山塔谷磨崖仏像群 ・南山弥勒谷石造如来坐像 ・菩提寺磨崖石仏など。

◇龍仁市(ヨンイン)韓国民俗村

鮮半島に古くから息づく生活様式や文化を見学・体験できる野外博物館です。約20万坪の広大な敷地に各地方の特色が表れた270棟の伝統家屋が展示されている。また、陶磁器や韓紙(ハンジ)といった工芸品の制作過程を再現している工房もある。

◇慶州国立博物館・国立ソウル中央博物館
◆韓国の秋の味覚

・松茸料理……松茸を形を活かしたままスライスして焼く。秋に採取する松茸は、豊かな香りが特徴で、しかもタンパク質が豊富なため、貴重な食材とされる。松茸の香りをしっかり味わいながら、最も気軽に食べることができるのは焼き料理。

旅程

日程 スケジュール
<1日目>
成田→釜山=慶州
成田空港(10:50)→日本航空機(JL957)→(13:05)釜山空港=慶州(統一新羅時代の代表的仏跡・仏国寺、甘美な釈迦像を安置する石窟庵を見学)
(慶州泊)
<2日目>
慶州滞在
午前、新羅の仏教聖地・南山の石仏を訪ねる。
午後、慶州国立博物館
(慶州泊)
<3日目>
慶州=海印寺=俗離山=法住寺
慶州=国立公園伽耶山の深山幽谷の地に、9世紀初頭創建の古刹・海印寺、韓国八景のひとつで、絶景で知られる俗離山の法住寺へ。夜、秋の味覚・松茸料理賞味。
(俗離山泊)
<4日目>
俗離山=ヨジュ=龍仁=ソウル
南漢江のほとりに秀麗な自然景観をかもすヨジュの神勒寺、朝鮮朝4代世宗大王陵を訪ね、龍仁市(ヨンイン)の韓国民俗村に立ち寄りソウルへ。
(ソウル泊)
<5日目>
ソウル→成田
ソウル市内観光(国立ソウル中央博物館、秘園など)
夕刻、ソウル空港(17:40)→日本航空機(JL5204)→(20:00)成田空港、到着後解散。
仏国寺
阿閦如来座像・石窟庵
八万大蔵経の納められた伽倻山・海印寺
朝鮮半島唯一の木造の五重塔(法住寺)
神勒寺(シンルクサ)の紅葉
南山・七仏浮彫
慶州南山仏谷磨崖如來坐像
松茸牛肉プルコギ
期間 2024年10月30日(水~11月3日(日)=5日間
旅行料金 未定(近日発表)
一人部屋追加料金 未定(1名でお申し込みの場合の追加料金)
食事 全食付(朝4、昼4、夕4回)
利用予定航空機会社 日本航空・大韓航空・エアプサンなど
宿泊予定ホテル 慶州…慶州グランドホテルクラス
俗離山…レイク ヒルズ ソンニサン ホテルクラス
ソウル…ロッテ シティ ホテル ミョンドンクラス
最少催行 10名
定員 15名
締め切り 2024年9月20日(金)
※但し、満員になり次第、締切ります。
企画 『トンボの眼』編集室
旅行企画実施 株式会社TABi’Z(タビーズ・観光庁長官登録旅行業1906号)
旅行取扱会社 三進トラベル(東京都知事登録旅行業第2-6204号)

※成田空港発着。福岡・大阪発着希望の方はご相談ください。
※燃費サーチャージ(目安11、800円:2024年11月2日現在)、また日本の空港施設使用料等、国際観光旅客税、および現地空港諸税が別途必要となります。
※添乗員1名が成田空港より同行してお世話いたします。

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『三進』「武井一先生の『韓国現地で受ける課外授業』と地元グルメを楽しむ 釜山・慶尚道・全羅道4日間」

旅行期間:2024年8月25日(日)~8月28日(水)=4日間

武井一先生 現地での直接講義第2弾!

2年に渡って三進トラベルサービスオンライン講座で韓国の歴史を担当していただいた武井一先生と共に韓国に行って、現地で歴史的建造物や遺跡を見学しながら直接、講義を受けるツアーです。先生は長年にわたり東京都立日比谷高等学校をはじめとした高等学校で社会科と韓国語を教えており、ある程度レベルが高いが一般の人々も理解できる高校レベルの授業を直接韓国で受けることができます。また、早稲田大学エクステンションセンターや亀戸文化センターで韓国関係の市民講座も行っており、その判りやすさには定評があります。
今回は釜山および全羅道を中心に旅します。今回の訪問地は文禄慶長の役の要衝だった地が多く、激戦地となったことから史跡が数多く残されており、日韓の歴史を学ぶのに見ておきたい場所です。数多くある見どころを武井一先生がセレクトして、その見学地について歴史的経緯等を詳細に解説致します。どうぞ奮ってご参加の程、お待ち申し上げております。

ご興味ある方は下記アドレスをクリックいただき旅行案内をごらんください。
https://www.sanshin-travel.com/tour/20789

【三進】八田靖史と行くコリアチックジャパン滋賀の旅

旅行期間:2024年8月30日(金)~9月月1日(日)=3日間

コリアンフード・コラムニストの八田靖史さんと共に
滋賀の美味しい料理を食しながら『日本の中の韓国』を巡ります!

【八田さんからコメントをいただきました!】
アンニョンハセヨ、八田靖史です。2024年春のまんぷくツアーで尚南道咸安郡を訪れた際、伽耶諸国のひとつ阿羅伽耶(アラガヤ)の古墳群を眺めていたら、地元の方から「日本の滋賀県にも阿羅伽耶ゆかりの地域がありますよ」という話を聞きました。それは気になる! ということで下見に行ってみたところ、渡来人の移り住んだゆかりの史跡や、江戸時代にやってきた朝鮮通信使の足跡など、滋賀県は想像以上に見どころ満載なのでした。近江牛や、琵琶湖の幸、高島とんちゃん(鶏焼肉)などの地元グルメも楽しみつつ、滋賀県内のコリアチックなスポットを巡ってみたいと思います。

✿滋賀は昔から朝鮮半島とのつながりが深い場所。八田靖史さんと共に美味しい料理を食しながら、『日本の中の韓国』を訪ねます。 

ツアーのポイント
1.コリアンフードコラムニスト八田靖史さんが実際に見て食べた地元の厳選料理
・地元老舗料亭でいただく『近江牛』の会席フルコースディナー
・日本一の湖沼・琵琶湖の地産地消のお食事を堪能!
(琵琶鱒、旬の鮎、瀬田蜆、鰻、高島とんちゃんほか)
・忘れてはならない、ちょっぴりおやつとスイーツ!クラブハリエでお馴染みの今話題のラ・コリーナ近江八幡を訪問いたします。
2.まさにコリアチック!日本有数の渡来人が移住したエリア・琵琶湖を1周しながら足跡を辿ります。
そして滋賀出身で古墳研究に詳しい「トンボの眼」主宰者が同行し解説いたします。
3.お泊りは、静かな湖畔に佇む水のきれいな湖北エリアのホテルと、温泉大浴場付きホテルにお泊りいただく2泊3日です。おひとり様でも安心の1名1室のお部屋をご用意しております。
4.参加しやすい京都駅発着(お帰りは大阪まで送迎付き)
当日、最終日ともに東京からでも参加可能な集合解散時間です!また最終日は、大阪で2次会も設定!(希望者のみ)
5.2024年秋のまんぷくツアーにご参加いただいく方は、うれしい割引特典があります。(お一人様3,000円割引)

ご興味ある方は下記アドレスをクリックいただき旅行案内をごらんください。
8/30(金)発 八田靖史と行くコリアチックジャパン滋賀 2泊3日の旅 – 韓国専門旅行会社 三進トラベルサービス

「石塔寺」阿育王塔と呼ばれる石造三重塔
「白髭神社」琵琶湖に建つ朱色の大鳥居

旅行について

上記の国内旅行は『トンボの眼編集室』が旅行プランを企画し、株式会社三進トラベルサービス(東京都知事登録旅行業第2-6204号)が旅行企画・実施する募集型企画旅行です。お客様は株式会社三進トラベルサービスと募集型企画旅行契約(以下旅行契約)を締結することになります。取消料金などの旅行諸条件は、株式会社三進トラベルサービスにお問い合わせください。旅行の取り扱いは株式会社三進トラベルサービスが行います。また上記の海外旅行は『トンボの眼編集室』が旅行プランを企画し、株式会社タビーズ(観光庁長官旅行業1906号)が旅行企画・実施する募集型企画旅行です。お客様は株式会社タビーズと募集型企画旅行契約(以下旅行契約)を締結することになります。旅行の取り扱いはタビーズの受託販売会社・株式会社三進トラベルサービスが行います。国内・海外旅行ともに旅行業法に則り、旅行の(交通・宿泊などの手配・旅費の授受・出発の案内など)業務は株式会社三進トラベルサービスが行います。

旅行のお問い合わせ・パンフレットの請求先

お問い合わせ・パンフレットの請求先 『トンボの眼』編集室
担当 佐々木 章
所在地 〒234-0051 
神奈川県横浜市港南区日野8-16-3-104
メール info@tonbonome.net
TEL 090-1706-6024
FAX 045-846-9781

旅行のお申し込み先

パンフレットが届き、ご検討のうえお申し込みの際は、まずお電話でお申し込みください。

申し込み先

お電話でのお申し込みを受けましたら、折り返し、申込み書・旅行条件書・お申し込み金(50,000円以下の旅費の場合は全額)のご請求書をご送付いたします。

申し込み先 三進トラベルサービス
フリーダイヤル 0120-988-134
TEL 03-6264-8739
FAX 03-6264-8737
受付時間 10:00~18:00
土・日・祝日休業
担当 税所(さいしょ)
所在地 〒103-0012 東京都中央区堀留町1-10-19 第1川端ビル2階

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出発までの流れ

出発日の40日前を目処に旅行代金の残金請求をさせていただきます。
入金確認後、出発の3~4週間前に『旅の案内』として

  • 集合場所
  • 出発の案内
  • 旅行中緊急時の連絡先
  • 航空機便名・発着時間
  • 旅程表
  • 宿泊ホテル
  • 出入国カード(場合により機内配布)
  • 留守宅控え

などの資料をご自宅宛に郵送いたします。

取消料

お客様は、いつでも下記に定める取消料をお支払いいただいて、旅行契約を解除することができます。この場合、すでに収受している旅行代金(あるいは申し込み金)から所定の取消料を差し引き、払い戻しいたします。申し込み金のみで取消料がまかなえない時はその差額を申し受けます。取消料は、土曜日・日曜日・祝日、17:00以降に取り消される場合は、翌日の取り扱いとなります。

国内旅行規定

旅行開始日の前日から起算してさかのぼって

21日目にあたる日以前の解除 無料
20日目にあたる日以降の解除 旅行代金の20%
10日目にあたる日以降の解除 旅行代金の30%
7日目にあたる日以降の解除 旅行代金の40%
旅行開始日前日の解除 旅行代金の50%
旅行開始日の解除または無連絡 旅行代金の100%

海外旅行規定

旅行開始日の前日から起算してさかのぼって

40日目にあたる日以前の解除 無料
30日目にあたる日以降の解除 旅行代金の20%
7日目にあたる日以降の解除 旅行代金の40%
旅行開始日前日の解除 旅行代金の50%
旅行開始日の解除または無連絡 旅行代金の100%